山里の記憶95


切り干し芋:新井マサ子さん



2011. 12. 4



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 十二月四日、天空の里と呼ばれている皆野町日野沢の立沢(たつさわ)耕地に向かって
車を走らせていた。今日は切り干し芋の取材が出来るということで、新井マサ子さん(六
十六歳)のお宅に伺った。                            
 庭ではすでに切って干してある芋が専用の干し台に並べられ、日光をさんさんと受けて
いた。挨拶をして切り干し芋作りの話を聞かせていただいた。マサ子さんは十年くらいこ
の切り干し芋を作っている。知り合いが大きな袋で何個も買ってくれるし、直売場に出し
ても人気があってすぐに売れる。ただ、作るのに手間がかかるので今この周辺ではマサ子
さんしか作っていない。                             

 切り干し芋はサツマイモで作る。種類はタマユタカ。今年は十一月四日に収穫したが、
豊作だった。霜が一度降りた後だったが収穫に問題はなかった。通常、霜が降りると芋は
ダメになってしまうと言われているが、この芋は大丈夫なようだ。ベニアズマなどのよう
に皮が赤い色のサツマイモではなくて白い色のサツマイモだ。            
 蒸かして干すと甘くなるので、切り干し芋はこの芋に限るという。蒸かして切って三日
から四日干すと白い粉がふいてきて甘くなるという。                

 芋は蔵に入れて、籾殻をかけて傷まないように保管しておいた。十一月二十四日に助っ
人を呼んで蒸かして切った。マサ子さんの切り干し芋は薄切りタイプではなくて、一口大
のぶつ切りタイプだ。「この方が食べやすいっていうんで、こうにしてるんだいね・・」
と笑う。この地区では昔からこのタイプで、一口で食べられると好評のようだ。    
 十日前に作業した写真を見せてくれた。庭にカマドが据えられて、口が五十センチもあ
る大釜がかかっている。水を入れてすぐに芋を入れる。沸騰してから一時間ほど蒸かし、
熱々のうちに皮をむく。熱いまま皮をむくので両手に軍手をして、手が火傷しないように
する。皮は竹べらでめくるように厚くむく。                    
 皮をむいたタマユタカを包丁で縦四つ割に切り、一口大になるように大きさを揃えてぶ
つ切りにする。こうして切った芋を天日で干すのだが、これが大変な作業になる。   

養蚕の竹カゴで切った芋を干す。ひとカゴ10キロくらいの重さがある。 近所の人に手伝ってもらう皮むき。熱いうちに一気にやらないとダメ。

 干す平カゴは横九十センチ縦一メートル十センチくらいの大きさで、ここに切った芋を
並べる。この平カゴは昔、繭を干すのに使ったカゴだ。繭と違い、水分のある芋はとても
重くて、一カゴ十キロ以上の重さになってしまう。当然、一人では動かせない。二人で持
って運ぶのだが、日当たりによって場所を移動しなければならないし、天気が悪くなった
り、日が当たらなくなったら収納しなければならない。カビが生えたら台無しになってし
まう。美味しい切り干し芋を作るのは本当に手間がかかるし重労働だ。        

 マサ子さんの家では腰の高さに台を作って平カゴを並べるほか、専用の鉄製パイプの多
段棚も作ってある。車輪がついていてそのまま向きを変えたり、移動したり出来る優れも
のの棚だ。ご主人の昭夫さん(六十八歳)と二人で、大量の切り干し芋を作るので、工夫
した結果だった。この多段棚なしでは切り干し芋を乾かすのが難しい。        
 この棚で干していても、向きを変えたり上下を変えたりと常に手をかけている。大きな
舟のような容器で芋を混ぜ合わせ、乾燥具合が一定になるようにかき混ぜるのも重労働だ
。伺った時はすでに十日ほど干した後だったが、まだまだ乾燥具合が足りないとのこと。
 最終的に出来上がった乾燥芋は袋詰めされて、直売場などに並ぶという。それ以外にも
たくさんの人に配るので、すぐになくなってしまうとのこと。切り干し芋が好きな人は多
く、需要はたくさんあるのだが、作る人がなくなってしまった。今はこの周辺でもマサ子
さんだけになってしまったとのこと。                       
 干した芋を保管するのは茶箱が一番だ。中に入れておくと芋が汗をかくのがいい。汗を
かいた芋を、翌日また天日に当てて乾燥させる。こうすることで早く水分が抜ける。  

 マサ子さんが持っていた「皆野町郷土の味伝承士」の冊子に載っていた「切り干し芋の
作り方」を紹介すると、以下のようになっている。                 
 切り干し芋の作り方                              
・芋はきれいに洗い、小さいものは一時間、大きいものは二時間ほど蒸かす。     
・皮は厚めにむく。                               
・ザルの上に置き、中心部まで冷ます。                      
・包丁で二から三センチの乱切りにする。小さいものは丸のままでもいい。      
・カゴに並べ、三日間天日干しする。                       
・昼間は外で日光と風をよく当て、一日に二から三回裏返す。夜は屋内に入れる。   
・三日間干したあとはものは十時から午後二時くらいまで干してすぐに缶に入れる。  
 これをくり返すと白い粉がふく。                        
・白い粉がふくと缶に入れても保存がきく。                    
・缶に入れる以外の保存方法として、冷凍するという手段もある。          

下に車が付いていて、簡単に移動できる多段棚。これで芋を干す。 今も使っているという背負子を背負って見せてくれた。

 切り干し芋を乗せた平カゴを移動させながら、昭夫さんに話を聞いた。       
 今年はイノシシの被害を受けたのは一回だけだった。それも収穫が始まってからだった
ので被害は少なかった。イノシシの被害を少なくするために、昭夫さんは遠く国神に畑を
借りて芋を作っている。今年は三畝分(さんせぶ)の畑を借りた。以前は大豆用にも畑を
借りていたのだが、大豆を作らなくなったので今はやめてしまった。         
 切り干し芋用のタマユタカとは別に、焼き芋や料理用のベニアズマを少しだけ作ってい
る。山奥の畑でサツマイモを作るのはイノシシのエサ作りのようなもので誰も作らなくな
ってしまった。切り干し芋を作る人がいなくなったのもイノシシのせいだろうという。
 家を改築したときに、それまであったモロをなくしてしまったのも大きいという。モロ
というのは地下蔵で、モロさえあればいくら芋を作ってもそこに入れておけて傷むことは
なかった。昔の家にはそれぞれ専用のモロがあったものだが、新しい家にはその場所は必
要ない。必然的に芋を長く保管できる場所がなくなってしまった。          

 天空の里らしく空が広く日当たりがいい庭だったが、日が陰ると急に寒くなった。「寒
くなったから家の中に入ってお茶でも飲みましょう」と誘われ、家の炬燵に入ってマサ子
さんから昔の話を聞いた。                            
 マサ子さんは三田川の法師落人(ほうしおちうど)から二十三歳の時嫁に来た。迎えた
昭夫さんは二十五歳だった。冬は午後になると日が陰るような空の狭いところからここに
来て思ったのは「空が明るいなあ・・」という事だったそうな。ここは天空の里と呼ばれ
るほど空が近く、広い。谷底の集落とは明るさが段違いだ。             
「日が当たる家で良かった」「こんなに明るくて、こんなに日があたって良かったいねえ
、前の家は日がすぐに陰るんで暗かったんだいね。ここは空が広いよね・・」     

 小鹿野町農協で有線放送のアナウンサーをしていたマサ子さん。お見合いしての結婚だ
った。当時は車を持っている家も少なかったし、道も悪かった。この立沢耕地にも二台し
か車がなかった時代だ。嫁入り道具を運ぶのも大変だった。             
 身体も丈夫で、陽気で元気なマサ子さん、本当によく働いた。今でも、今回取材した切
り干し芋作りや豆腐作りなどを指導している。味噌作りに至っては「郷土の味伝承士」に
認定されているほどだ。                             
 子供は五人に恵まれた。孫が十一人もいる。お祝いなどでみんなが揃うとにぎやかな事
になる。先日行われた昭夫さんの快気祝いでみんなが集まったときは大変だった。でも、
子供らの顔を見ていると苦労もなにもかも飛んでしまう。楽しい時間だった。     

出来上がった切り干し芋を袋詰めしているマサ子さん。 程よく固く程よく柔らかい干し芋。白い粉が吹いて美味しい。

 後日、出来上がった切り干し芋を見に伺った。寒い朝だったが、マサ子さんと昭夫さん
が庭で切り干し芋を袋詰めしていた。芋は見事に白い粉をふいていて美味しそうだった。
ひとついただいて口に運ぶ。噛むとしっかりした歯ごたえで、芋の味がふわっと口に広が
った。お日様に凝縮された芋の甘さが爽やかに口に残る。「いやあ、旨いですね、これ」
カミさんの大好物でもあるので、さっそく一袋購入した。いいお土産ができた。    
 元気に動き回るマサ子さんを見ながら、こういう人がいるからこそ郷土の味は伝承され
るのだなあと実感していた。残したいと思っても、実際に熱意をもってやる人がいなかっ
たら伝承はできない。この人がいるからこそ残せるのだと、思わず頭が下がった。