山里の記憶92


酢まんじゅう:斉藤さださん



2011. 10. 13



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 十月十三日、札所三十三番菊水寺の駐車場で吉瀬さんと待ち合わせ、近くの斉藤さださ
ん(七十九歳)を訪ねた。今日は、むかし懐かしい酢まんじゅう作りの取材をお願いして
いた。さださんは大きな声で元気に挨拶してくれた。何だかこちらまで元気になる明るい
人だった。                                   

 家の外には蒸し器にまんじゅうが入れられて、ビニールで覆われていた。「こうやって
萌やすんだいね。夏だと一時間くらいで萌えるんだけど、今の時期じゃあ三時間くらいか
かるんかさあ・・」「まあ、中に上がってくんない・・」              
 炬燵に誘われ、三人で話し込む。そうこうしているうちに先ほどのまんじゅうが蒸し上
がった。蒸し器が運ばれ、蓋をとると湯気の中からまん丸いおまんじゅうが出てきた。 
 ゴトクのような器具で蒸し器の中が二段になっていて、一度に十六個のまんじゅうが出
来るように工夫されている。「これも自分で考えたんだいね」とさださん。      

材料を並べて、酢まんじゅうの作り方を説明してくれるさださん。 蒸し上がった酢まんじゅう。ツンと鼻を刺す懐かしい香り。

 まんじゅうを皿に取り、さださんが「さあさあ・・」と勧めてくれる。作り方を聞く前
に食べてみることにして、それを頂く。熱々のまんじゅうを割って口に運ぶ。その時の香
りが、本当にむかし懐かしい香りだった。ひとくち食べた。もっちりとした皮がじつに美
味しい。懐かしさに思わず声が出た。                       
「わあっ、これむかしの味だ!酢まんじゅうだ!」おふくろがむかし作ってくれた酢まん
じゅうの味そのものだった。酢まんじゅうは皮が美味しい。すぐにパクパクと二個も食べ
てしまった。皮だけのまんじゅうを作って味噌をつけて食べた記憶もある。      

 さださんは小豆餡としゃくし菜餡の二種類を作ってくれていた。しゃくし菜は前日に塩
出しして、朝から釜で二時間煮てくれた甘辛い絶品だった。酢まんじゅうの皮との相性で
言えば、私はしゃくし菜餡に軍配を上げる。                    

 ひと休みしてからさださんに作り方を聞く。本来は夏の暑い盛りに作るものだが、今の
時期でも作れるという。酢まんじゅうの元はお米で作る。茶碗一杯のご飯でゆるくお粥を
作って、酢まんじゅうの元一合、米麹一合を加える。おなめ作りの麹でも大丈夫とのこと
。これを夏は外に置いておくと、ブクブクと発酵してくる。ブクブクからザーッという音
がするようになれば大丈夫。今の時期(十月)だと車の中などに置いておくといい。ご飯
茶碗一杯のお米で十五個のまんじゅうが出来る汁になる。              
 発酵してきたら網で漉して汁と実に分ける。実はそのまま元として保管する。この汁で
小麦粉をこねて酢まんじゅうの種にする。発酵した汁は一週間くらい冷蔵庫で保管出来る
が、冷えると萌えが悪くなるのでイースト菌を加えて使う。             
 実は次回の元になるので、カラカラに乾燥させて保存するか冷凍で保存する。    

 この汁で小麦粉を耳たぶの固さより少し固めにこねて皮を作る。さださんは分量を計る
ことなく手の感触で決めてちぎる。それを手のひらと指先でクルクル回しながら平らにし
てその上に餡を乗せる。平らにするとき中央を厚くしておく。            
 餡をまるく包みながら皮を上に伸ばし、最後は口をつまんで止め、そこを下にしてクル
クルと両手で丸めるとまんじゅうになる。これを蒸し器に間隔を空けて置く。まんじゅう
が萌えた(膨らんだ)時にくっつかないように置くのがポイント。          
 一キロの小麦粉で二十五個のまんじゅうが出来る。                

 この蒸し器にビニールをかぶせ、今の時期なら三時間、夏なら一時間、外の日当り良い
ところに置けば丸く大きく萌えてくれる。よく萌えればパンパンのまんじゅうになり、萌
えないとデコボコのまんじゅうになる。                      
 イースト菌や炭酸でも膨らむが、酢まんじゅうのこの味にはならない。さださんも「皮
がなんともだいね・・」と言う。とにかく、酢まんじゅうは皮が美味しい。      
「もう、こんな面倒くさいことをやる人はいやあしねえやいねえ・・」        

これはしゃくし菜を餡にした酢まんじゅう。甘辛い漬物がよく合う。 この液が酢まんじゅうのポイント。これを作るのに手間がかかる。

 元の作り方を聞いた。元は八月の末に作る。うるち米を蒸しムシロに広げて粗熱を取り
、人肌まで冷まし、その温度を持続させる。湯たんぽを入れたり、電気毛布を使ったりし
て、二日半くらい置くと麹になり、酢まんじゅうの元が出来る。この時の温度が高いと黒
い元になってしまい、白いツヤツヤの酢まんじゅうが出来なくなる。         

 お店などで酢まんじゅうを作るには、専用の部屋を用意し部屋内を温度調節出来るよう
にしている。ただ、さださんのような元は作らず、イースト菌で発酵させている。発酵が
促進されることから、真夏に作られることが多かった酢まんじゅう。お盆の頃によく作っ
てもらった記憶がある。                             

 むかしは朝焚いたご飯が夕方にはスエて傷んでしまうことが多かった。井戸の中に下げ
ておくとか工夫はしても、どうしようもない事だった。そんなご飯を種にして、酢まんじ
ゅう作りをやった。もちろん、普通のご飯でも良いのだが、食べられなくなったものを加
工して別のものする。むかしの人の生活の知恵だった。               
 発酵させるのだから傷んだご飯でも問題はない。                 

 作業が一段落したので、さださんに昔の話を聞いてみた。             

 さださんは二十一歳の時に長若(ながわか)から源八さんのところに嫁に来た。源八さ
んは二十三歳だった。                              
 「じいちゃんは働き者だったんよ・・」とさださんは昔を懐かしむ。        
 五十七年間牛を飼っていた。二十頭の牛を飼い、十五頭の牛から乳をしぼった。畑仕事
では金にならなかった。子供らを育てるために牛を飼った。エサを買わずに自分たちで作
った。トウモロコシを植え、サイロ十本をいっぱいにした。             
 さださんは子取りもやった。子取りとは牛のお産婆さんだ。五十年やってきたという。
子を産ませ、毎日の乳搾りをする。その牛乳を売って、三人の子供を育て上げた。   

 長女は坂戸に嫁ぎ、長男は大宮、次男が家を継いでいる。畑だけでなく、牛を飼ってい
たので現金収入があった。「牛のお陰で、子供を大学に出せたし、家も建てられたんだい
ねえ・・」さださんは牛飼いのお陰だったと振り返る。               
 「じいちゃんが牛に踏まれて大けがをしたこともあったいね・・」牛の世話があったの
で入院せずに家で治した。じいちゃんがオーストラリアに三泊四日の研修旅行に行った時
には、さださんが一人で牛の世話をした。目が回るような大変さだったが、今になってみ
ればいい想い出だ。                               

 耕耘機やトラクターも運転する。「みんなじいちゃんが教えてくれたんさあ・・」牛飼
いの合間に蚕もやった。一トンの蚕を出荷したこともある。その時は表彰された。隣にあ
る大きな家の一階と二階、そしてハウスでも蚕を飼った。              
 じいちゃんは冬は大滝の奧で土方仕事をやった。その間、牛はさださんが守っていた。
さださんは泉田(いずみだ)の会社に勤め、昼休みの五十分間に家に戻って牛のエサくれ
をやった。自分が昼を食べる時間がないほどだった。二人とも本当によく働いた。   

さあさあ、食べて食べて、とおまんじゅうを勧めてくれた。 仏壇には三年前に亡くなったご主人の写真が飾られている。

 じいちゃんは人に好かれる人で、絵が上手だった。人まねも上手で、みんなに喜ばれた
ものだった。四十九日とか結婚式とか呼ばれると、すらすら挨拶の出来る人で、みんなか
ら挨拶男などと呼ばれたりもした。人の面倒を見るのも好きで、仲人を四組もした。今で
もその人達には感謝されている。                         
 二人三脚で頑張って来た二人だった。そんなじいちゃんは三年前に八十歳で亡くなって
しまった。家の仏壇には、真っ赤な紅葉の前でニッコリ笑ったじいちゃんの写真が飾られ
ている。さださんは毎日、写真のじいちゃんと語りあっている。           

 七十九歳にして踊りの名人。老人ホームでの慰問を定期的にやっている。じいちゃんが
「おめえはホントにおしゃべりだい。何でそんなに話すことがあるんだい・・」とあきれ
たくらいの話し好き。明るい声で陽気な話は聞いている人を元気にさせる。元気なさださ
んが、今日も秩父のどこかを車で走り回っている。