山里の記憶9


養蜂・はちみつ採り:神塚好雄さん



2007. 6. 10



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 荒川本流の大血川合流点の上流右岸、大黒平という場所に神塚好雄さん(82歳)の
蜂場(ほうじょう)がある。好雄さんはここに9群のミツバチを置き、ハチミツの採集
を行っている。好雄さんから取材OKの連絡が来たのは昨日の夕方だった。     
「秩父の蜂屋だけど、明日の朝天気が良かったら採蜜するよ。雨だったらダメだけど。
大黒平(だいこくだいら)に7時に来てくんない。」               
待ちに待った知らせだった。花の時期は終わり近かったし、この時期をのがせば取材は
来年になってしまう。是非とも養蜂の話を現場で聞きたい。そんな願いが通じた。  

 軽トラでやって来た好雄さんに挨拶し、近くの材木置き場の屋根下でいろいろ話を聞
かせてもらった。好雄さんはとても82歳とは思えない若さで、身振り手振りを交えな
がら自らの養蜂について詳しく話してくれた。                  
 好雄さんが蜂を飼いだしたのは25歳のころだった。長期の病気療養中に暇つぶしで
読んだ雑誌に養蜂の事が載っていて、ハチミツが健康にいいらしいという事もあって、
何と入院している病院で飼い始めたのだそうだ。病院周辺には広大な菜の花畑が広がっ
ていて、またたくまに20群のミツバチを運用するようになっていた。いっぱい採れた
ハチミツを売って当時としてはいい商売になったという。             

 退院してからも常時4〜5群の蜂を飼い続け、本格的に養蜂専門になったのは定年後
だった。現在ミツバチはポリネーターとしての需要(果樹園やハウスの交配用)もある
が、好雄さんはハチミツ採り専門でミツバチを飼っている。例外もある。自宅で1群だ
け飼っているのは蜂針(ほうしん)治療用だそうだ。韓国ドラマ「チャングムの誓い」
に出てきたこともある蜂針による治療で、神経痛や腫れや疲労回復に効くそうだ。好雄
さんはピンセットを使って蜂の針を抜き、自分で患部に刺して治療するのだそうだ。養
蜂家のあいだでは常識的な事で、ごく普通に行われているらしい。         

巣箱の周りは電気が流れている。当然「危険」の板が付いている。 大黒平の蜂場(ほうじょう)の巣箱。一つ一つが別の家族。

 蜂は1群ごとに女王蜂がいて群れ一つ一つがそれぞれ家族になっている。この大黒平
には9群の蜂がいるが、絶対に他の巣に帰ることは無いという。蜂の行動範囲は広い。
普通2キロくらいと言われているが、もっともっと広いと好雄さんは言う。いつだった
か8キロ離れた所に巣箱を設置して家に戻ってみたら、その蜂が全部家に帰っていて大
騒ぎになった事があるという。慌てて巣箱に入れて事なきを得たが、まさか8キロ先か
ら戻って来るとは思わなかったと言う。                     

 好雄さんは蜂箱を4段重ねて蜂を飼っている。普通は2段なのだそうだ。4段の蜂箱
を重ねるくらい強群(きょうぐん)で、多くの蜜を集める。蜂の数が多いのでハチミツ
の糖度も高くなる。普通は糖度を78〜80°に上げて出荷するようにしている。糖度
が低いと蜂箱の中で発酵してしまうこともあるという。1枚の巣板から約1升のハチミ
ツが絞れる。9群×4段×巣板(普通7枚)・・・すごい量のハチミツが収穫できる。
好雄さんは一切混ぜものなしで販売している。奥秩父の味として好評のようだ。   

 この時期の蜜源はトチやアカシアがそろそろ終わり、マタタビやカキが対象になる。
ミツバチには一つの花に通い始めるとその花が終わるまで通い続ける「訪花の一定性」
という性質があり、その性質のおかげで特定の花の蜜を集めることが可能になる。大き
な蜜源のハチミツ採取が終わると、8月くらいまで採集したハチミツは蜂が冬を越す為
の餌となる。秩父で蜜源になる花はミズキ、コシアブラ、エンジュ(街路樹に限る)キ
ハダ、トチ、ニセアカシア、ケンポナシ、シナノキ、マタタビ、カキなどが主要蜜源と
のこと。以外な名前の木の花に蜜が多く含まれていることを知った。        

巣箱の中をのぞくと巣板がビッシリと詰められている。 その一つ一つにミツバチが群がっている。

 秩父の山は戦後まもなくから拡大造林計画のため、杉と桧が斜面を覆うように増えて
きた。多くの雑木が切られ、蜜源となる木が減った。杉や桧を間伐し、蜜源となる花を
咲かせる木を増やさなければダメだ。と好雄さんは声を大きくする。アカシアなどは素
晴らしい蜜源なのに、林野庁は害樹だから切れと馬鹿な事を言う。自分たちで持ってき
ていながら、今さら切れとはおかしな事だ。切るんだったら杉と桧だろう。と好雄さん
は怒る。主要蜜源のミズキが鹿の皮剥ぎでどんどん枯れている。トチの木も少なくなっ
た。トチは植えれば10年で花が咲くよぅになる。100年のトチノキで1斗から2斗
も蜜が採れる。雑木が増えれば蜜源も増え、豊かな山になる。好雄さんの口からは秩父
の山への不満が語られた。                           

 養蜂で避けられないのが天敵との戦いだ。養蜂の天敵で最大のものが熊、そしてオオ
スズメバチ、黄色スズメバチ。名前を聞いただけで尻込みしてしまうが、養蜂家はそれ
に立ち向かわなければならない。この大黒平の蜂場には有刺鉄線の柵が設置されており
、5000ボルトの電気が流されている。うっかり触ると腕全体に電気ショックを受け
ることになる。また、足元はトタン板が敷かれていてそこにも電気が流されている。熊
は柵の下を掘って侵入するからだ。                       

 これだけ防護柵をしていても毎日心配だという。ある時、蜂の様子を見に来て電気の
スイッチを切ろうとしたら、すぐ近くにいた熊がすごい勢いで威嚇してきた。距離は約
1メートル。好雄さんは両手を振り上げ、大声を上げて威嚇仕返した。熊は勢いよく後
ろへ飛び去って行ったそうだ。その時の事を思い出すと、今でも冷や汗が出るという。
 ある時は横の木の枝から柵の中に飛び込んで蜂箱を荒らした熊がいた。出るときは強
引に柵を壊していったそうだ。熊に襲われるとその蜂場の巣は全滅することもある。1
群や2群はしょっちゅうやられたという。ハチミツが熊の大好物という事もあり、避け
られない面もあるが、せめて熊が奥山に留まってくれればと思う。今年はすでに里での
目撃情報が出ている。「お盆前に熊が出たことは今まで無かったが、今年は異常だ。」

巣箱を点検する好雄さん。一つ一つ蜜の熟成度をチェックする。 蜂場の横に置いてある熊の檻。実際に使うこともあると言う。

 熊よりも日常的な戦いになるのがオオスズメバチだ。オオスズメバチは肉食でミツバ
チを好んで食べる習性がある。この頃は暖冬でオオスズメバチが越冬する事も多く、被
害が大きくなっているという。オオスズメバチの巣箱襲撃は徹底していて、狙いを付け
た群れのミツバチを片っ端から食べ尽くし、蜂の子は自分の巣に持ち帰り、最後はミツ
バチの巣に棲み付いてしまう。黄色スズメバチはミツバチを一匹ずつ巣に持ち帰るので
時間がかかるが、オオスズメバチにかかると気付かぬ間に全滅する群れもあるという。

 好雄さんの知り合いで、オオスズメバチに巣を乗っ取られたのを知らずに巣箱を開け
たところ、一斉攻撃を受け、腹に4〜5箇所一気に刺された人がいるという。普通の人
間だったら死んでしまうところだ。養蜂家は蜂刺されには慣れていて、比較的持ちこた
えるらしいが、この時は大変だったらしい。別の養蜂家はオオスズメバチが通り抜ける
ことの出来ない目のネットで巣箱を覆った事があったが、奴らは弾丸のように網に突き
刺さり、ネットを破ってしまったという。ここ大黒平にも蜂トラップが掛けられている
。トラップの中身は砂糖水だが、オオスズメバチの最盛期は専用の箱形蜂トラップを巣
箱の入り口に仕掛ける。これは頑丈な作りで、毎シーズン大量のオオスズメバチを捕獲
してくれるそうだ。暑い時期を迎え、これから戦いが本格的になる。        

 雨が小降りになったので蜂箱を見させてもらう。好雄さんは燻煙器を取り出し、椎茸
のホダ木を小さく割ったものに火を付けて入れた。その上にタオルを詰め込んで蓋をす
る。手元のふいごを押すと口から煙が出る器具だ。新聞紙などではすぐに燃えてしまっ
て用を為さない。色々試したが古くなった椎茸のホダ木を燃すのが一番だそうだ。
 煙を当てるとミツバチはおとなしくなる。煙を当てながら巣箱を開ける。巣板を外し
て持ち上げるとたくさんのミツバチが張り付いている。「こんな数じゃあダメなんだい
な・・・」好雄さんは言いながら更に下段の箱を見る。こちらの巣板はビッシリと蜂が
付いていて、蜜もたっぷり入っていた。「これで1升くらいあるかさあ・・」巣板一枚
で1升のハチミツが採れる。山の恵みだ。                    

 空中農業とも言われるハチミツ採り。養蜂家は一年かけて女王蜂を育て、ミツバチを
養い、手塩に掛けて群れを育てる。一年かけた結果がここにある。今がまさにその収穫
期だ。山の恵みを収穫する権利は、一年間蜂と共に暮らした養蜂家にだけ与えられる。
熊やオオスズメバチと戦い抜いた人にだけ山の神様はほほえんでくれるのだ。