山里の記憶89


行者ニンニク:原嶋幸典(こうすけ)さん



2011. 4. 29



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 車は細い林道を走っていた。林道の遥か下には安谷川(あんやがわ)が流れている。暗
い杉林の中を車が一台やっと通れる幅の林道が延々と続いている。その林道を抜けると目
指す家があった。ここに、原嶋幸典(こうすけ)さん(七十四歳)の行者ニンニク畑があ
る。この家は三十五年前まで住んでいた家だが、今は武州中川駅近くの家に住んでいる。
ここにはお墓や畑があり、家の一部を人に貸しているが、時々家族で来て使っている。 
 今日は「タケノコご飯」の取材で来ていたのだが、幸典さんがふと「行者ニンニクを栽
培しててねえ・・」と話したのを聞き逃さず「それ、見せてもらえませんか?」と反応し
たのは、行者ニンニクが貴重な山菜だからだ。深山に生え、天然ものは高価な値で取引さ
れる山菜。急遽、行者ニンニクの取材をさせてもらうことになった。         

安谷川のすぐ横にある家。家の下にはこの景色が広がっている。 人に一部貸しているが、いまだにこの家を使うことが多い。

 行者ニンニクの畑を見るのは初めてなので、興味津々だ。深山に生え、その生える場所
は松茸や舞茸と同様、人に教えることはないと言われている山菜。その昔、行者がこれを
食べて修行をしたという説と、修行の妨げになるから食べる事を禁じられていたという説
とがある。キトビロ、ヤマビル(山蒜)またはヤマニンニクなどの別名があり、北海道で
はアイヌネギとも呼ばれている。                         
 山歩きをする友人からも、この時期は行者ニンニクの話題が出る事が多い。どこに、ど
れだけ見事に生えていたかを、延々と聞かされる事もある。そんな行者ニンニクが秩父に
もあった。それも、こんな身近な場所に。                     

 幸典さんが軽トラから降り、畑の方へ歩いて行く。「これが行者ニンニクだいね・・」
目の前に行者ニンニクが所狭しと生えている。昔、栗林だった場所に植えて、もう六年に
なるという。「最初は何も分からなくて大変だったんさあ・・」十年くらい前に、奥さん
のさち子さん(七十三歳)が、どこからかもらってきて畑に植えたのが最初だった。  
 その行者ニンニクは秩父産のものだったが、大きくならず「こんなもんなんかなあ?」
と思っていた。しかし、近所でも作り始める人が出て、色々聞きながら栽培に励むように
なったら、この場所によく合う作物だということがわかった。            

 弟が北海道にいて、遊びに行った時、家の裏に行者ニンニクがいっぱい生えていて、そ
れを持って来て植えたこともある。秩父のものよりも大きくなるが、葉が細い。一番育ち
がいいのは群馬県の中之条産のものだ。茎も太いし葉も大きくなる。         
 実際に食べると茎の部分が美味しい行者ニンニク。出荷出来るまでに時間がかかるので
、根気よく育てなければならない。深山の半日陰を好むという性質も、この場所に合って
いる。「ここで育てられる野菜っちゅうことで熱心になったんだいね・・」空が狭く、日
当たりが悪いこの場所では、良い野菜を作るのは難しい。行者ニンニクは、この環境に合
う野菜で、出荷出来る貴重な野菜でもある。                    

 行者ニンニクは出荷するまで六年かかる。幸典さんは種を蒔くところから育てているの
で、それを見せてもらった。「これが一年ものだいね・・」一年ものはまだニンジンの若
葉のようなか細い糸状の葉がもやもやと立っているような状態だった。どう見ても、これ
が行者ニンニクとは思えない。                          
 二年ものもまだ一本葉だが、多少太くなってくる。三年目にやっと二本葉になる。四年
目もまだ二本葉のまま。五年目でやっと三枚葉になる。三枚葉になると出荷出来るように
なる。六年目になると花が咲き、種が出来るようになる。ここまで来て、やっとサイクル
が完成する。それだけ長い付き合いが必要な野菜栽培ということだ。天然ものが貴重だと
されるのも良くわかる。                             

6年かけて育てた行者ニンニクの畑で、いろいろ話してくれた。 一番最初の行者ニンニク。さち子さんがもらってきたもの。

 今、畑にある行者ニンニクは出荷が終わったもの。三月の寒い時期から芽を出して大き
くなり、この時期に出荷となる。そして、七月から八月には葉が枯れてしまう。スプリン
グエフェメラルの一種で、カタクリなどと同じサイクルで育つ植物だ。        
 行者ニンニクはネギ科ネギ属の多年草で、地下にラッキョウに似た鱗茎を持つ。葉は根
生、扁平で下部は狭いさやとなる。初夏、花茎の先端に、白色または淡紫色の小花を多数
つける。種のほかにも不定芽でも増殖する。六年ものともなると、根が分けつする。この
分けつした芽を植える事でも増すことができる。                  
 生育の条件さえ合えば急斜面や荒れ地でもしっかり育つ。畑を整理した土を崖下に投げ
た時に球根が混じっていたらしく、畑の下の崖に行者ニンニクが鬱蒼と茂っている。ここ
はよほど生育の条件が合うと見えて、放っておいても増えているようだ。       

 畑から母屋に戻ると、さち子さんが行者ニンニクの醤油漬けを出してくれた。小皿に取
り分け食べてみた。ニンニクの香りと醤油の味、ピリ辛はタカノツメによるもの。   
「さっと湯通しして、醤油とみりんとタカノツメで漬けるんだいね。一年間ぐらい大丈夫
だよ・・」とさち子さん。酒のつまみに最高の味だが、残念なことに幸典さんは酒が飲め
ない。「父親が酒飲みだったんで、婿さんと飲みたかったようだけど、当てが外れたみた
いでがっかりしてたいね・・」                          

さち子さんが作った醤油漬け。ピリ辛で美味しかった。 猟師でもある幸典(こうすけ)さん。イノシシ肉を焼いてくれた。

 そんな幸典さんとさち子さんに結婚のいきさつを聞いてみた。           
 横瀬で生まれて育った幸典さん。秩父農高に通っていた。さち子さんも同じ学校で、新
聞部の先輩、後輩だったという。ただ、この時は何の関係もなかった。高校を出て秩父セ
メントに勤めた幸典さん。二十四歳のとき会社の知り合いから勧められて、さち子さんと
付き合うようになった。そして、一年間の交際を経て結婚する。           
「お見合いしたとき、あたしの手が黒かったんで、これは働きもんだと思ったんじゃない
のかしらねぇ・・、ほんとはお茶摘みしたばかりで黒かっただけだったんだけど・・」と
笑うさち子さん。幸典さんは多くを語らない。                   
「あたしはね、こんな山に来てくれて、それだけでありがたかったんだいね、本当にお父
さんには感謝してるんだいね・・」日頃言えない言葉も、こういう時にはつい出てしまう
さち子さんだった。                               

 ここに来て良かったことは?と幸典さんに水を向けると「そりゃあ、鉄砲撃ちだいね」
と間髪入れずに答えが返ってきた。幸典さんはまだ現役の猟師で、奥秩父猟友会の会長を
務めたこともある。仲間内でも腕がいいと認められている。             
「今はもう耳が遠くなったんでダメだけどねえ・・。はあ、長老になっちゃったい・・」
 猟は、気の合ったメンバー五人から六人で出かける。狙うのは主にイノシシ。年間で二
十頭くらい獲る。鹿は害獣駆除が多く、年間で六十頭くらい獲る。「町で暮らすより、山
の方が良かったんだいね・・」「ずっと元気だったから、好きな山歩きも出来たし、感謝
しなきゃいけないやね・・」猟の話になると幸典さんも口数が多くなる。       

 タケノコご飯を食べ、イノシシ肉の焼肉を食べ、イワナ、ヤマメを食べ、山笑う季節の
野遊びが終わった。行者ニンニクと煮たタケノコ、幸典さんが獲ったイノシシ肉と鹿肉を
頂き、帰路についた。なんと豊かな山の幸。家に帰って、さっそく料理してみよう。  

 家に帰って行者ニンニクの料理を作ってみた。以下、その料理のメモ。       
●イノシシ肉行者ニンニク炒め:イノシシ肉はスライスして、焼肉のタレに三時間ほど漬
け込む。行者ニンニクは洗って四センチくらいにざく切りし、しめじと一緒にサラダ油で
炒める。味付けは軽く塩こしょうで。炒めた行者ニンニクとしめじを先に皿に広げる。 
 イノシシ肉を炒める。タレと油が反応すると焦げやすいので焦げない程度に炒める。そ
こに酒をふりかける。ジュワっと泡が立ちアクが出る。そこに水を半カップほど加える。
更に激しく泡が立つ。ジュージューしているところで火から外し、フライパンを傾ける。
匂いの元になるアクと油を片側に寄せ、肉だけを皿に盛る。こうすると、ふんわりと美味
しい肉炒めになる。野菜と別々に炒めるのが美味しく仕上げるコツ。         

●行者ニンニク卵炒め:卵をフライパンでスクランブルエッグ状態にして皿に取る。味付
けはしない。行者ニンニクをサラダ油で炒める。味付けは軽く塩こしょう。すぐに火が通
るので黒く焦げないうちに皿に取り、炒めた卵と混ぜ合わせる。なるべくシンプルに。 

●行者ニンニクお浸し:行者ニンニクを一分間くらい茹でて、水気を切り、刻んで皿に盛
る。上にカツオブシをかけ、ポン酢で食べる。シンプルで美味しい。