山里の記憶72


滝の沢おなめ(味噌):木村アサ子さん



2010. 5. 30



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 5月28日と30日の二日、大滝小双里(こぞうり)地区の木村アサ子さん(76歳)
を訪ねた。この地区に伝わる「滝の沢おなめ(味噌)」を仕込むということで、その過程
を取材させてもらった。滝の沢おなめは秩父市大滝の滝の沢、浜平、小双里、鶉平(うず
らだいら)地区で作られているおなめ(味噌)で、他の地区では作られていない。   
 この地区に平成20年に竣工した滝沢ダムは埼玉県内最大のダムで、このダムを作る為
に滝の沢地区や浜平地区は移転を余儀なくされ、今は水底に沈んでしまった。ダムにより
消滅した滝の沢地区で連綿と作り続けられ、その名前を冠した滝の沢おなめ(味噌)。そ
の作り方を残すことはダムを作ることと同じくらい大事な事ではないかと思う。    

 アサ子さんは快く迎えてくれ、ご主人の一夫さん(80歳)と昔の話やおなめ作りの話
を楽しく聞かせてくれた。また、三日前にやったホウロク煎りの作業を写真に撮っておい
てくれ、それを見ながら説明してくれた。以下、滝の沢おなめの作り方を書く。    

【ホウロク煎り】5月25日、丸麦七升と米三升をホウロクでじっくりと煎る。一升ずつ
十五分かけて芯まで火が通るようにじっくりと煎る。この時強火で表面だけを炒るように
してしまうと、芯に水分が残り出来上がりが酸っぱいおなめになってしまうことがある。

【大豆を煮る】5月28日、朝5時から大豆七升を大釜で煮る。最初は強火で煮立て、沸
騰したら中蓋をしてごく弱火で5ー6時間、少量の湯で蒸煮にする。最後は豆が飴色にな
る。決して煮立てないことが大切で、豆を潰さずに使う滝の沢おなめならではの作り方に
つながる。「弱火で静かに静かに煮るんだいねぇ」とはアサ子さんの言葉。      

煎った丸麦をミキサーで半粒状にしているアサ子さん。 庭の大釜で大豆を煮る。見学に来ていた千島さん夫妻も。

【床の準備】豆を寝かせる床はムシロで作る。ムシロ十一枚を天日に当てて乾かし、暖か
くしておく。他の家では畳三枚を外し、ムシロや青草を重ねて床を作る人もいるが、アサ
子さんはムシロだけで床を作る。良く干して暖める必要がある為、天気が良い日を選んで
大豆を煮なければならない。この日は朝から快晴で、素晴らしいおなめ作り日和だった。

【丸麦を挽く】煎って一斗缶に保存しておいた丸麦をミキサーで半粒状に挽く。良いこう
じを作る為に麦を半分粉状にしておく。米は挽くと溶けてしまうので挽かずに丸のまま使
う。丸麦を挽いているとこなしやと呼ばれる納屋全体に挽いた麦の香りが充満する。  
「懐かしい・・これ香煎菓子の香りだ!」「そうそう、昔はこれに黒砂糖をまぶして食っ
たもんだったいねえ」とアサ子さんも懐かしそう。少しつまんで食べてみた。口の中に煎
った大麦の香りと懐かしい子供時代の味がよみがえった。「昔は麦をえら作ったから、雨
っぷりの日なんかよく麦焦がしを作って食ったもんだいね・・」私も思わずうなずいた。

【こうじの元を作る】挽いた丸麦を目の細かいフルイでボウルに振るう。一升くらいの麦
粉にこうじ菌を混ぜてこうじの増量ともなる元作りをする。このこうじ菌に滝の沢おなめ
の秘密がある。なんと醤油作り専用のこうじ菌なのだ。味噌といえば米糀とか麦麹が主だ
が、滝の沢おなめは醤油専用のこうじを使う。                   
 一夫さんが「昔はどこん家でも醤油を作ってたんだいね」「滝の沢おなめは醤油作りと
同じ行程で作って、ようは醤油の『もろみ』を食べてるって訳だいね・・」と説明してく
れた。これは旨いはずだ。こうじ菌は昔は自宅で育てていたが、今は秩父駅前の丸十さん
で買ってくる。一夫さんは大滝村史の中で、おなめの作り方を書いている。      

大豆が煮えるまでの時間にお茶を飲みながらアサ子さんの話を聞く。 一夫さんからも昔の話をいろいろ聞かせてもらう。

【床に寝かせる】12時頃、大豆がふっくらと柔らかく煮上がる。水分が無くなるまで煮
ると後の行程が上手く行かないので、適度に水分が残った状態でショウギ(ザル)に上げ
る。納屋にムシロを敷いて床を作り、上に敷いた和紙の上に煮上がった大豆を広げ、あら
熱を取る。                                   
 煮た大豆が手が入るくらいの温度になったら、広げた大豆にこうじ菌の元をまんべんな
く振りかけ、両手であおるように混ぜ合わせる。先に大豆にこうじ菌をまんべんなく付け
ることが良いこうじを作る秘訣だ。そして挽いた丸麦、米を全体に振りかけ、また両手で
あおるように混ぜ合わせる。この状態で人肌くらいまで冷ます。煮た大豆の温度を下げて
しまうと菌の繁殖が遅れて熱が来るのが遅くなる。全体に紙をかけて自然に熱が下がって
いくようにする。                                

【盛り込み】4時頃、全体をよく混ぜて32度ー33度(ほろ温い感じ)の時に温度計を
差し込んでから、まず二枚の紙で包み、その上をムシロで次々に重ね包みする。大きなム
シロの塊になった上に重しとしてブロックを四個乗せて今日の作業は終了となる。   
 こうして夕方盛り込むと翌朝には40度くらいの熱が来る。大豆を冷ましてからこうじ
菌と混ぜるやり方もあるが、そういう場合は熱が来るのが遅くなる。この辺のやり方は家
によって違い、どの家の人も自分がやっている方法を変えることはない。全て自分の経験
と勘だけが頼りだ。                               

【手入れ】5月29日、朝5時ころ包みを開いて確認する。豆を広げ、固まっている部分
をほぐす。周囲を厚くして広げ、中にさくを切る。中心部分が高温になるので、こうして
温度が均等になるようにする。ムシロをかぶせ、2時間そのままにする。       
 下のムシロを二枚にして、熱が下がりきらないようにしながら熱を保つという微妙な難
しい作業。これも経験と勘が頼りになる作業だ。徐々に熱が下がっていくようにしなけれ
ばならないし、天候や気温にも左右される微妙な作業が続く。            

 5月30日、朝から徐々に温度を下げる。この時点で黄色い花が付いていたら良い出来
上がりという事になる。今回は全体が黄色く仕上がり、良いこうじが出来た。昨年は黄色
くならず、白い花が咲いてしまったという。「なんでなんだか分からなかったいねえ」と
アサ子さんも首をかしげていた。                         

【かき込み】5月30日、午後。黄色く出来上がったこうじを一升枡で計りながらプラ樽
に移す。全部で二斗二升のこうじが出来ていた。これに塩二升を加える。それに水を加え
て混ぜれば終わりだが、この水の加減が難しい。                  
 アサ子さんは町の水道水を使わず、山から引いてある水道の水を使う。「町の水道は消
毒してあるんで、おなめの味が変わるんだいねえ」自然の水に勝るものはない。    
この水をバケツで二杯、そしてかきまわす。たくましい二の腕が大胆に樽をかき混ぜる。
「底まで水が回るように全体に混ぜなきゃいけないんだいね・・」水の量の目安は手の感
触で決めるという。全体をならして、今日の作業は終了。樽は冷暗所に保管し、毎日手入
れが出来るようにしておく。                           

二斗二升のこうじに塩二升を加える。塩は普通の塩。 バケツ二杯の水を加え、全体を混ぜるアサ子さん。

【もろみの手入れ】5月31日、朝。こうじ菌の働きで表面が固くなるので、それを手で
かき回して全体が固いようだったら水を加える。この水加減も手の感触で決める。   
 もろみの手入れは、最初の三日は手でかき回し、それ以後はかき回し棒で毎日、朝晩か
き回す。4ー5日後からおかずとして食べられるようになるが、夏の土用を過ぎる頃には
みそ汁などでも食べられるようになる。                      

 アサ子さんによると「今年のこうじ作りは大成功だった」とのこと。この土地の気候と
この時期の温度、湿度を利用した滝の沢おなめ作り。寒いときは温室の中で作ったりした
こともあるという。昔は鉄の専用ホウロクは集落の共用で、どこかで麦を煎る香りが漂う
と「ああ、誰かが作ってるなあ・・」と分かったという。              
 一夫さんが「こうじ菌を黄色くしすぎると、おなめが黒くなるって言われてるんだいね
え・・」と言うと、アサ子さんも「生きもんだかんねえ、大事に育てるんだいね・・」と
応じる。本当に子供のころから馴染んだ味で、これなくしては始まらないのだという。 
 「子供らは『もういいよ』なんて言うけど、孫が『おいしい』って言ってくれるんが嬉
しいやね・・」と胸を張る。21歳の時に嫁に来たアサ子さんは「姑さんも作っていたけ
ど、あたしはずっと実家のやり方でやってるんだいね」と笑っていた。        

 滝の沢おなめはちょうど醤油と味噌の中間のような味で、いろいろな料理に合う。アサ
子さんは「きゅうりに付けたり、ふかしたジャガイモに付けたり、冷汁、おろし和えにす
ると美味しいよ」と言っていた。                         
 私はアサ子さんに頂いた滝の沢おなめを醤油代わりに色々な料理に使ってみたが、本当
に何にでも合う味で驚いた。煮物、和え物、味噌汁、スープの隠し味、炒め物などなど何
にでも使うことができた。塩気が少ないのでそのまま食べても美味しかった。こんな美味
しさに巡り会えたことを本当に感謝している。