山里の記憶61


つみっこ:坂本宏女さん



2009. 11. 25



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 つみっこは昔からよく食べられている郷土食だ。別名すいとんともいう。中国から伝わ
った小麦を練った団子(うんとん)を汁で煮たものを水団と言っていたたようで、秩父で
は他にとっちゃなげとも言わていれる。つみっこもとっちゃなげも、小麦粉をこねた生地
を鍋に入れる動作を表している。小麦粉を水でこね、ちぎったり、切ったりして煮立った
鍋に入れて野菜と煮る料理だが、今では柔らかくこねたものをスプーンですくって鍋に入
れる方法が主になっている。                           

 つみっこの取材で伺ったのは小鹿野町長留(ながる)の坂本宏女(ひろめ)さん(71
歳)の家だった。昔、養蚕農家だった家は広く大きな家だった。挨拶もそこそこに裏の畑
に野菜を収穫に行く宏女さん。自宅の裏に野菜畑が広がっていて、聖護院大根、白菜、ニ
ンジン、ごぼう、しゃくし菜が植えられている。畑ではご主人の徳治さんがオクラの片付
けをしていた。つみっこで使う野菜、白菜、大根、にんじんを収穫して家に戻り、玄関横
の水道で洗う。孫の和泰(かずひろ)君が来ていて、洗うのを手伝ってくれた。    

家のすぐ裏に野菜畑があり、聖護院大根を収穫する宏女さん。 畑の後ろに見えるのが宏女さんの家。昔は養蚕農家だった。

 洗った野菜を持って台所へ向かう。じゃがいもの皮をむきはじめた宏女さんが立ち話で
いろいろ話してくれた。宏女さんは今は小鹿野町と合併した旧両神村の小森から嫁に来た
。「ここらじゃあすいとんって言うけど、子ども時分にゃあつみっこだったいねえ・・」
「うどん粉だけじゃなくって、もろこし粉なんかもいれて、固く煮たもんだったいねえ」
「固いのを食べて腹にこたえるんが良かったんだいねえ。今じゃ柔らかくしてしゃじ( 
スプーン)で取って入れるようになっちゃったけどねえ・・」「あんまりゆるくすると、
粉の味べえで、汁の味が染みないんだいねえ・・」                 

 じつは私もそう思っていた。つみっこやとっちゃなげというのは生地をこねてうどんの
ようにする事から始まる。栃本のある家では麺棒のように太く棒状にしたものを包丁で切
って鍋に入れていたそうだ。当然しっかりと煮なければ食べられない。しかし、味のしみ
込んだつみっこは本当においしい。翌朝、煮返すと味がしみ込んで更においしくなってい
るものだった。今の作り方でも美味しいのだが、昔の固いつみっこが時々懐かしくなる事
もある。自分で作る時には固い生地を少しずつ千切って、手で伸ばして入れている。食べ
きれないのを、翌朝食べる楽しみもある。                     

 宏女さんは野菜は自分で栽培しているものしか使わない。椎茸も自分で作っている。じ
ゃがいもは味が出るので欠かせない。全部ざく切りにして、椎茸、じゃがいも、ニンジン
、大根、白菜の順に入れて鍋で煮る。煮えにくいものから順に入れて煮る。つみっこにす
る小麦粉も自家製だ。自分で作った小麦を必要な分だけ精粉して使うようにしている。 
 昔はカツ節味噌などで出汁を取ったが、今はつゆの素を使っている。便利な調味料が出
来て重宝している。その時ある野菜で作るので季節に関係なく、いつでも作っていた。 

 野菜が煮えてきたので小麦粉をボールにあけてつみっこを作る。味付けはせず、水だけ
で小麦粉をこねる。私の家ではうどんをこねるようにこねたが、一般的には箸などでかき
回しながら好みの固さにこねて、しゃじ(スプーン)で一口大にすくって煮立った鍋に入
れる。固くこねたものを手で摘んで入れるので「つみっこ」、投げ込むように入れるので
「とっちゃなげ」と言われるようになったのだと思う。柔らかいものを「すいとん」と言
うのは分かるような気がする。名前の違いは団子の固さの違いでもあるのかもしれない。
 宏女さんがしゃじですくったつみっこの生地を鍋に入れる。くっつかないように、時々
かき回しながら入れていく。この生地が煮えれば出来上がりだ。いい香りが台所中に広が
ってきた。懐かしく、やけに食欲を刺激する香りだ。                

つみっこを入れて、しょうゆとつゆの素で味付けをする宏女さん。 ほどよく煮えてきたつみっこ。いい香りがあたりに漂う。

 炬燵に孫の和泰君と徳治さんがあつまり、出来上がったつみっこで昼食となった。私も
一緒にごちそうになった。お椀に盛られたつみっこは半透明に煮上がり、大ぶりに煮られ
た野菜が色とりどりで美しい。とろみのついた汁も美味しそう。何より湯気と一緒に立ち
のぼる醤油の香りがお腹を刺激する。                       
「それじゃ、いただきましょうかね・・」徳治さんの言葉でつみっこを口に運ぶ。ねっと
りとした食感、噛むともっちりして地粉の香りが立ち、醤油の染みた味が広がる。じゃが
いもはホクホクで大根もニンジンも柔らかい。椎茸の出汁と醤油の味とつみっこから出た
とろみが、汁をおいしく冷めにくくしている。早く出来て体が温まり、腹もくちくなる、
忙しい農家では重宝されたはずだ。                        
 宏女さんが言う「手間も早いし、すぐ食べられるんがいいやいねえ・・」      
「昔の人はつみっこを嫌がった人もあるんだいね。同じ量の小麦粉でもうどんにすれば、
もっと量が増すんで、つみっこは損だって言ってねえ・・」「早用が足りるんでって作っ
た人が多かったいね」「あたしん家は固いつみっこだったから、他所で食べると柔らかく
って物足りなかったもんだいねえ・・」                      
そう、家によってつみっこの固さは違っていた。                  

徳治さんの「いただきます」で昼食になった。つみっこが美味しい。 初めてつみっこを食べたという、孫の和泰君。「美味しい」を連発。

 つみっこを食べながら宏女さんと徳治さんに昔の話を聞いた。宏女さんは子どもの頃か
ら足が速くて、運動会などでは一番だった。元気な女の子で、唐臼つきなど家の手伝いは
一人前だった。厳しい親に育てられ、四年生の頃には唐臼17臼もつくほどだった。冬で
も板の間で食事する家で、「寒い」なんて言うと「ゆっくり食ってるんが悪い!」などと
怒られたものだった。手伝いがつらくて泣くと「食わずにいろ!」なんて言われた。  

 そんな宏女さんが嫁に来たのは昭和37年の12月、23歳の時だった。結婚式は自宅
で行われた。まず花嫁の家で婚礼の披露宴を行い、両親への挨拶を済ませて相手の家に行
き、そこでまた婚礼の披露宴を挙げるものだった。                 
 相手の徳治さんは当時町に二台しかなかったタクシー二台で宏女さんの家に行き、宴会
を済ませたあとタクシーに乗って自分の家に戻った。荷物は農協のトラックに積んで運ん
だ。徳治さんが懐かしそうに言う。                        
「丸通(まるつう:タクシーと呼ばずこう呼んでいた)の運転手が『お嫁さん、頭を先に
入れて、それから足を入れて下さいね』なんて言うんだいね」「タクシーになんか初めて
乗るんで緊張しちゃったいねえ・・」                       

 家に戻るとお嫁さんにだけ儀式があった。家の入り口の境界線を片足だけまたぎ、杯を
空けるというもので「戸傍(とぼう)さかずき」と呼ばれる儀式だった。家から家に嫁ぐ
お嫁さんに、あなたは今日からこの家の人間なんですよと認識させる儀式だった。   
 当日、玄関から入れるのはお嫁さんだけで、親族や一見の客はみな縁側から入るのがし
きたりだった。こうしてみんなが揃って、いざ披露宴が始まろうかという時に徳治さんが
いなくなった。「おい、婿はどうした?」と大騒ぎになった。            
 徳治さんはちょうど牛の乳搾りの時間で、牛の乳を搾っていた。そんなこんなで二人に
は懐かしい記憶になっている。当時は結婚式の翌日、お嫁さんが実家に戻る「里帰り」と
いうしきたりもあったのだが、式が12月だったこともあり、「里帰り」はしなかった。

 長留(ながる)の家は自分たち夫婦の上に父親夫婦、その上におじいさん夫婦と三夫婦
が一緒に暮らすという大家族だった。一番若い嫁にはその負担が重くのしかかった。夏は
養蚕、冬は椎茸作りが主な仕事だった。                      
 体の小さい宏女さんには、特に冬の椎茸作りは重労働だった。裏の川をせき止めて溜め
た水にホダ木を浸す作業は、寒くなると厚く張った氷をマサキリ(まさかり)で割ってか
ら浸けなければならなかった。「あれはほんとに大変だった」と昔を振りかえる。   
 厳格だったおじいさんからは「今の嫁はいいもんだね、テレビを見てられるんだから・
・」などと言われ、遊ばせてはもらえなかった。炭焼き、椎茸のホダ木つくり、薪つくり
などの手伝いは朝2時に起きて山に登ったものだった。               

 どんなにか大変だったことか。それでも宏女さんは、そんな昔のことでも愚痴らしき事
は言わない。大変だったんじゃないですか?と水を向けると             
「実家の母親が寝込んでいることが多かったんで、実家に帰っても心配かけるような事は
言えなかったんだいねえ・・」「がまんするしかなかったしねえ・・」「でも、ひいおば
あさんには良く子どもの世話をしてもらってねえ・・」と、こんな答えが返ってきた。 
 本当に芯の強い人だ。大変さもつらさもその明るさに隠してしまっている。