山里の記憶5


里山を守る椎茸つくり:坂本徳治さん



2007. 5. 4



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 里山という言葉がある。「人里近くにある生活に結びついた山」と説明されることが
多い言葉だ。昔から我々の周りには里山があった。その山から炭焼きの材料を採り、椎
茸のホダ木を採り、燃料の粗朶や堆肥などを採った生活に欠かせない場所だった。子供
達はそこで遊び、自然体験をし、四季折々の風景や花や虫を楽しみ、日本の文化や自然
観の形成をしてきた。山菜やキノコ、木の実など懐かしい味の宝庫でもある里山は、繰
り返し人々によって利用され、独自の生態系を持つ場所へと変貌してきた。     

新緑が輝く明るい林でホダ木作りの作業をした。 徳治さんもこの時期は大好きだと言っていた。

 小鹿野町・長留(ながる)。山と川と畑と民家が美しいランドマークを形成し、里山
と呼ぶにふさわしい場所に坂本徳治さん(71歳)の作業する山がある。徳治さんの話
では30年ほど前は民家がほとんど藁葺き屋根で、今よりももっと自然と同化していた
そうだ。自然が濃いということは、そこに棲む動物たちと多くのトラブルを抱えること
にもつながる。徳治さんが言う。                        
「山に人が入らなくなったいねぇ。山に人が入らないから動物が里まで出てくるように
なっちゃったんだいね・・」                          

 イノシシは言うに及ばず、ハクビシンやタヌキも出て、農作物を荒らす。中でもたち
の悪いのが猿だ。猿は椎茸にも悪さをする。食べる訳でもないのに、椎茸を引っ掻き荒
らすのだ。なぜそんな事をするのか訳が分からないという。ある時、伐採した山の脇に
大きなスズタケ根が山積みになった場所があった。何だろう?と覗いてみたら、中から
イノシシが飛び出してきた。何とイノシシの巣だったのだ。去年は熊と猿にイネを荒ら
され、一つかみの種籾分くらいしか採れなかった。今年からイネ作りを止めたそうだ。
「残念だけど、仕方ないやねぇ・・」 里山は徐々に野生が濃くなっている。    

 こんな事も話してくれた。以前ここで作業していた時のこと、目の前の杉林からリス
が杉皮をくわえて下りてきた。どうするのかと見ていたら、そのまま杉皮をくわえて走
り出し、100メートルほど移動してまた杉林の中に入って行った。どうやら巣の材料
を調達していたらしい。同じ林の材料を使うと巣があることが分かってしまうので、違
う場所から巣の材料を運んでいるようだった。山の動物たちも知恵を絞って懸命に生き
ているのだと感心したそうだ。                         

 里山は利用されることで活性化し独自の生態系を育んできた。最も大きな環境の変化
は高木層が10数年に一度伐採されることだ。全ての雑木を伐って利用する。萌芽しや
すいコナラやクヌギが長い間に優先的に残るようになった。草木が一斉に萌え出て、昆
虫や動物のエサ場となる。多種多様の生物が活発に生活する場となる。今理想とされる
循環型再生産システムが確立していたのが昔の里山だった。徳治さんは笑いながら  
「ご先祖の残してくれた山はちゃんとしておきたいやねぇ・・」          
と言う。ちゃんと利用できるものは利用し、再生するものは再生させてこそ里山の自然
は保たれる。椎茸のホダ木を作りながら、これこそが本来の里山維持の姿なのだと実感
していた。                                  

こういう直射日光の射さない杉林にホダ木を伏せ込む。 太いホダ木を伏せ込むのに適している「むかで伏せ」。

 里山の高木構成樹はコナラ、クヌギ、クリが圧倒的に多い。もう少し北へ行くとこれ
にミズナラが加わる。この木々は10年から15年周期で伐採され、椎茸のホダ木や炭
焼きの材料となる。徳治さんの山は約15年で伐採した。椎茸の原木にするなら10年
周期で伐った方が良い。15年になると太い木は運べないほど重くなる。今回もだいぶ
たくさんの太い部分を山に残してきたそうだ。伐るのは12月が良い。春の暖かい時期
に伐った原木はホダ木にしても12月のものよりも含水率の問題で使える期間が短い。
90センチに玉切りした丸太を山から運び、積み上げて乾燥させる。2ヶ月ほど乾燥さ
せてからコマを打つホダ木加工をする。                     

 コマ打つ為の穴は9mmビットのドリルで原木に穴を開ける。ドリルの刃は専門の店
で買うものが良い。ホームセンターなどで売っている刃はすぐに切れなくなってしまう
とのこと。徳治さんは刃物についておじいさんから言われていることがあった。それは
「刃物を買うときは金の出し惜しみをするな」ということ。安い刃物を買うと、その刃
物がある間中後悔することになるからだそうだ。高い刃物でも作業効率を考えると最終
的に得をする。何より、後悔しながら作業するのは精神衛生上も良くない。     

 穴は1列4コ。5cm回して3コの穴を開ける。それを連続させると全体に均等に菌が
回るように植菌できる。5cm×15cmくらいが一つのコマから菌が伸びる範囲らしい。
コマは桐生の森産業から買ってくる。3cmほどの円柱くさび型に加工されたブナ材に 
菌糸が埋め込まれているもので、これを左手で穴に差し込み、右手のハンマーで打ち込
む。木肌と面が平らになるように丁寧に打ち込む。コーン、コーンという乾いた音がリ
ズミカルに緑の林に響く。                           

クロールカート(運搬機)これで500kgの原木を運べる。 浸水用の池とクレーン。ここでホダ木を水に浸ける。

 今回は暖かくなってからの作業だが、本来は冬の間の仕事なのだそうだ。地下足袋で
立っていると足が冷たくなってしまうので安全靴のようなものを履いてやっていたとい
う。植菌したホダ木は杉林の中に伏せ込んで2年間放置する。乾燥が大敵なので直射日
光の射さない杉林が良いのだそうだ。2年後、菌の回ったホダ木をクロールカート(運
搬機)で運び、水槽で浸水させてからハウスに積み込む。水に浸けることで、菌を窒息
させ、菌糸に命の危機を与え、次世代を残すための胞子を作らせることが目的だ。キノ
コは子実体(しじったい)と呼ばれる胞子嚢(ほうしのう)を持ち、胞子を飛散させる
ための器官なのだ。そのまま放置してキノコの実体である菌糸を伸ばすだけではキノコ
は出来ない。子孫を残そうと思わせなければダメなのだ。ハンマーで叩くとか、雷に当
てるだとかの方法は全て同じ効果を狙ったものだ。                

 椎茸は、傘が開ききらない、丸く、厚いものが優良で、良い値が付く。一度最高に優
良と判定され、有線放送で流されて近所から「儲かったなあ!」などと言われた事もあ
ったが、その時は量が少なかったので大した所得にならなかったのだそうだ。乾燥椎茸
はバーナーを使って乾燥させる。少ないときは天日で乾かすこともあるが、品質的には
バーナー乾燥のものの方が良かったそうだ。最近の感覚では天日乾燥の方が高値になる
と思うのだがそうでもないらしい。天日乾燥の方が白く仕上がり、見た目の椎茸らしさ
が損なわれるからかも知れない。                        

 初期には色々な事をやったそうだ。最初は畑を1段低く掘り、両側に麦わらを列にし
て立て、その中にホダ木を伏せ込んだこともあった。浸水ショックを与えるために、川
をせき止めて、その中にホダ木を投げ込んだこともあった。ハウスの中に池を作ったこ
ともあるが、それは温度が下がってしまい、失敗だった。ハウスのパイプが雪でつぶれ
た事もあった。安いからという理由だけで農協から買ったパイプだったが、安いものは
安いなりだった。補償を求めることもなく、農協の甘い言葉を信じた自分を反省した。
いろんな失敗はあったが、まあ「馬鹿ぁみた」と思うだけだった。当時は農協も試行錯
誤の最中だったのだと思う。                          

 孫の利也(としや)君が山に来ていた。徳治さんに教えられて、覚束ない手つきでコ
マうちを手伝っている。徳治さんは嬉しそうに笑いながらそれを見ている。     
「誰かが継いでくれりやあいいんだが・・・」                  
ポツリと漏らした言葉には、今まで先祖伝来の山を守ってきた自負と未来への思いが交
錯していたような気がする。                          

伐採した山では、すでにヤマザクラが萌芽していた。 伐採した山も15年間でこんな美しい林へと変貌する。

 9時半から夕方5時までかかり、200本の原木に約3500個のコマ打ちをした。
爽やかな新緑の中での作業は最高に気分の良いものだった。里山という自然はこういう
人の手で、こうして維持され、残っていく。そんな事が実感できた1日だった。