山里の記憶48


ワラビを食べる:新舟とくさん



2009. 4. 29



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 ワラビの取材を申し込んでいた新舟とくさん(82歳)から「そろそろいい感じだね
え」という連絡が入り、4月29日、念願のワラビ取材が実現した。その年の天候次第
でワラビの出方が変わるため日程に気を使ったのだが、とくさんの心配りでジャストの
タイミングで取材することが出来た。                      
 とくさんの家は、秩父札所31番、鷲窟山(しゅうくつさん)観音院下の岩殿沢耕地
の中ほどにある。平成19年まで民宿「岩殿荘」をやっていた旧家だ。家に着くと、挨
拶もそこそこに、とくさんはすぐに山に行こうと言う。ワラビが出ているのは、ここか
ら歩いて20分ほどの『うばざ山』にあるとくさんの畑だ。            

 とくさんは大きなカゴを背負って山道を登る。途中、シカ除けの柵を越え、曲がりく
ねった急坂を足取りも軽く登って行く。山道はイノシシがミミズを掘ったらしく、荒れ
に荒れていて歩きにくい事おびただしい。そんな道を「ころんじゃあ大変だからね〜気
いつけないね〜」とこちらの心配までしてくれる。                
 とくさんの畑はお茶とキウイフルーツが植えてある。キウイはもう20年以上もここ
で作っていて、大きな棚になっている。ワラビはその周辺にいっぱい顔を出していた。

イノシシに荒らされた足元の悪い山道を軽々と登って行く。 斜面の畑でワラビを採る。食べ頃のワラビが沢山出ていた。

 山里の人は山菜を採る時、基本的に自分の土地のものしか採らない。山には明確に境
界が存在し、誰それのものとハッキリ認識されている。たとえ誰も見ていなくても、他
人の土地で山菜を採ることはない。それほど厳しく考えない人もいるが、とくさんはキ
チンとしている。自分の畑以外には目もくれない。                
 お茶畑のワラビを摘む。ワラビは根元からしごくように曲げ、ポキンと折れるところ
で収穫する。こうすれば固い繊維を食べないですむ。太く短いものでも根元付近には固
い部分があるので、折れるところから採集するように心がける。とくさんはハサミで切
っていたが、茹でる前に折って固い部分を取り除く。               

 ワラビはワラビ科のシダ植物の幼茎だ。こぶしのように葉が開ききらない状態のもの
だけが食用になる。ワラビには中毒物質が含まれていて、生で食べると人間だけでなく
牛や馬でも中毒を起こす。また発癌物質であるプタキロサイドが含まれるが、ガンを発
症するためには一度にトラック1台分くらいを食べなければならないと言われている。
おかずで食べるくらいでは何の問題もない。                   
 そんな癖のあるワラビをわざわざ食べるのは、アク抜きさえ出来ればとても美味しい
山菜だからだ。今回はとくさんにお願いして昔ながらの方法でアク抜きをすることにし
た。杉の青葉を使うということなので、杉林に入って落ちている青葉を集める。   

 1時間ほど畑の斜面を這うようにワラビ採集をした。斜面の下から低い位置で見上げ
るとワラビがよく見え、何本も何本も一度に採ることが出来る。不思議なもので上から
見下ろすと見つからない事が多い。ワラビ採りはじつに楽しい。次から次にワラビを採
るのは、何だか本能を刺激するようで、いつの間にか夢中になっていた。気が付くとカ
ゴはワラビで底が見えなくなっていた。                     
「このくらいでいいだんべぇ。次の分もとっとかなくっちゃねえ・・」とくさんの声で
我に返り、一回分を採るのが山菜採りの基本だったことを思い出した。       

 家に帰ると、とくさんは庭のかまどに火をつけて大きな釜で湯を沸かし始めた。縁側
には底の広い大きな鍋が出された。民宿をやっていた頃大活躍した大鍋だ。この鍋の中
に採ってきたワラビを並べて入れた。もちろん固い部分は先に取り除いておく。   
 そしてワラビの上に杉の青葉を一面に詰め込んだ。この上から熱湯を掛けるだけでア
クが抜けるのだそうだ。・・・本当かなあ・・・?、ちょっと疑っている自分がいる。
 しばらく火燃しをして湯が沸いた。とくさんは片手鍋で沸騰している湯をすくい、大
鍋の杉葉の上からどんどんかける。全部かけ終わったら杉葉もお湯に浸っていた。蓋を
してそのまま3時間放置すればアクは抜ける・・らしい。             

家の縁側でワラビの固い部分を取り除いて鍋に入れる。 杉葉をワラビの上に入れ、そこに熱湯をかける。

 この方法以外にもいろいろなアク抜きの方法がある。とくさんがやった事のあるアク
抜きは塩を使う方法、木灰を使う方法、木灰で作った灰汁を使う方法、重曹を使う簡単
な方法などだ。塩を使う方法は、ワラビに塩を振りかけて上から熱湯を注ぎ、そのまま
一晩置き、翌日洗って塩出しをして調理する。塩出しの手間がちょっと面倒だそうな。
 木灰は雑木の灰でないと上手くアクが抜けない。そのままワラビに振りかけて上から
熱湯を注ぎ、一晩置くもの。翌朝洗うだけで調理出来る。灰汁を使うのも同じ方法だ。
 重曹を使う方法は一般的だが、とくさんはあまりやらなかったそうだ。      
「やっぱり、杉っ葉を使う方法か灰汁を使うんが良かったいねえ。昔の人は偉いもんだ
いねえ、杉っ葉や灰でアクを抜いちゃうんだかんねぇ・・」            

 アク抜きの時間を利用して、とくさんに昔の話をいろいろ聞いてみた。      
 とくさんは下吉田の井上耕地で生まれた。若い頃はとても美人だった。好き合った人
が川越にいたが、戦争で亡くなってしまった。24歳の時、おばさんの紹介でこの岩殿
沢に嫁に来た。私のおふくろもそうだったが、他郷から来た農家の嫁は本当に苦労した
ものだった。家々の事情の違いはあれ、大変だったという話は他でもよく聞く。   
 畑仕事、山仕事、家事、炊事・・両手はアカギレで血がにじみ、傷が治るヒマもなか
った。家事を全部終えて、お風呂に入るのは家族で一番最後。舅、姑が寝た後、最後に
風呂に入る時間だけが自分の時間だった。風呂がぬるくても火を燃してくれる人はおら
ず、風邪をひかないようにするのが大変だった。そんな風呂でさえ天国のようなもので
、とくさんは時々お風呂で居眠りをしていたそうだ。疲れ切っていたのだと思う。  
 牛を10頭以上も飼っていたので、その世話も大変だった。お蚕もやっていたし、こ
んにゃくも作った。「苦労ばっかりだったいねえ・・」と言うとくさんの声に、おふく
ろの声が重なって聞こえたような気がした。                   
 そんな中でも3人の娘と一人の息子を立派に育て上げた。「娘がよく帰って来てくれ
て、いろいろ手伝ってくれるんで助からいねえ・・」と明るく笑う声に助けられた。 

 昭和46年、秩父に民宿ブームがやってきた。ここ岩殿沢でも三軒の民宿が出来た。
とくさんの岩殿荘もその一つだった。多いときは一晩に40人くらいが宿泊する盛況ぶ
りだった。娘と息子にも手伝ってもらい、大車輪の日々が続いた。牛を飼っていたので
『牛乳風呂』が人気を集めた時もあったが、牛の臭いが嫌だと言う声や、ハエがいると
言って帰ってしまう人が出たりして、結局牛を飼うのを止めた。          
「まったく、大勢来るんでたまげちゃったいねえ。慣れねえ事ばっかりで大変だったん
よ。牛も飼ってらんなかったいねぇ・・・」                   
 その後も札所巡りの人を中心に利用客は増え、ご開帳の時などは大変な混雑ぶりだっ
た。水子地蔵への客も増え、お昼の利用で一杯になることもあったが、徐々に民宿人気
は衰え、とくさんも年齢的に無理が出来なくなったので、民宿は平成19年にやめた。
 民宿をやっていたおかげで大勢の人と知り合えた。今でも民宿時代の知り合いから手
紙や贈り物をもらうことがある。北海道や兵庫の人で、ずいぶん長いつきあいになる。

アクを抜いたワラビを鍋から取りだして別の容器に移す。 アク抜きしたワラビを料理するとくさん。手際がいい。

 ワラビにお湯を注いでから3時間たった。鍋の蓋を開けると、青かった杉の葉とワラ
ビは茶色に変色していた。杉の葉を取り除き、ワラビを湯から出して別の容器の水にさ
らす。湯に入れたままにしておくと、杉葉の苦みが冷めながらワラビに吸い込まれてし
まう。一本出して食べてみたら、すっかりアクが抜けていた。歯触りも良く、このまま
料理出来る状態になっていた。杉の葉でアク抜きが出来るのは本当だった。     
 一つかみのワラビをとくさんが料理し始めた。油揚げで巻いて煮る『しのだ巻き』。
油揚げ、厚揚げと煮込む『煮物』。そして、切ったワラビにオカカを振るだけの『お浸
し』の3品が目の前で調理されていく。民宿のおかみであり、調理師免許を持っている
とくさんの料理だから美味しくないはずがない。出来上がった料理は、写真に納めてか
ら食べさせてもらった。どれも美味しかった。                  
 つい先ほどまで山の畑に生えていたワラビが、こうして料理になっている事の不思議
さを感じながらも、口の中には山の味が広がっていく。何という美味しさ。歯触りも、
ツルリとした食感もワラビならではのもの。魯山人が絶賛したという味がこの味だ。