山里の記憶43


えびし作り:和田けさえさん



2009. 3. 7



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 3月7日、小鹿野町日尾の和田けさえさん(76歳)のお宅に伺って、えびし作りを
取材させていただいた。何人かの人から「えびし作りならこの人」とけさえさんを紹介
され、連絡を取って今日の取材が実現した。えびしは作る人によって味がずいぶん変わ
るものらしく、皆さんが「けさえさんのえびしは美味しい」と言っていたので、楽しみ
にしていた取材だった。挨拶をして上がらせてもらい、炬燵でお茶を飲みながらご主人
の宗治さん(86歳)も交えていろいろな話をした。               

 えびしとは秩父に伝わる伝統料理の一つで、戦国時代の保存食として古くから作られ
たもの。終戦頃までは結婚式の膳部を飾ったものだった。いろいろなものが入り、栄養
価が高く、小昼飯としておやつに最適な食べ物だと今でも人気が高い。柚餅子(ゆべし
)が訛って『えびし』になったと言われている。                 
 昭和57年の小鹿野町ふるさとの技術伝承推進協議会の資料によると、材料は小麦粉
400g、唐辛子1.5本、くるみ30g、ごま10g、みかんの皮25g、しょうゆ50cc、水200
cc、砂糖少々、酒少々となっている。みじん切りした材料を小麦粉に混ぜ、耳たぶくら
いの固さにこね、太い棒状にしたものを蒸し器で20分くらい蒸せば出来上がる。  

 宗治さんから昔の結婚式の口取りのメモを見せてもらった。それには『めいめい盆』
と表題が書かれ、その内容が書いてあった。1のりずし1/2、2小豆ようかん1本、3
えびし2ヶ、4にんじん2ヶ、5ごぼう2ヶ、6さといも2ヶ、7かぼちゃ2ヶ、8こ
んにゃく2切れ、と書いてあった。ようかんは普通のようかんの半分、野菜は全て煮物
、えびしは今のものと違い、ずいぶんしょっぱいものだったそうだ。普通はその場で食
べずに家に持ち帰り、家族で分けて食べたものだった。              
 料理は結婚式前日に隣組の女衆(おんなし)が集まって作った。昔の結婚式の多くは
農閑期の冬に行われた。家の外の大釜で煮炊きをしたりして、寒かったけど、にぎやか
に作られたものだった。今では自宅で結婚式をすることもなくなったし、こうした料理
が振る舞われることもなくなった。                       

倉尾ふるさと館のほど近く、日当たりの良いけさえさんの家。 材料を並べてこれから分量を計るところ。

 話が一段落したところで、けさえさんのえびし作りを見せてもらった。今日の材料は
小麦粉1kg、刻みニンジンたっぷり、刻み生姜、唐辛子2本、くるみ150g、酒360cc
しょうゆ180cc、砂糖50g、酢20cc、となっている。けさえさんは目分量ではなく、
ハカリを使って分量を正確に計る。                       
「そんなちょうきゅうなもんじゃないんだいねえ。何を入れたっていいんだから・・」
と言いながらも、いい加減にやると味が全く違ってしまうことも強調していた。   
 栃のこね鉢に小麦粉を入れ、くるみを粗みじんに切って加える。あまり細かくすると
くるみの風味と食感がなくなる。みじん切りしたニンジンと生姜も加え、乾燥唐辛子は
手で揉んで粉にして加える。そこに酒、しょうゆ、砂糖、酢を合わせた液体を注ぎ、う
どんをこねるようにこねる。水は使わない。                   
 腰が痛いというけさえさんに替わって私がこねる役をおおせつかった。うどんをこね
るのは得意なので同じ要領でこねる。こねるほどに醤油の香りが立ってくる。正確に材
料を計っていたのは、この分量でこねた時が最適な柔らかさに仕上がるからだ。実際に
こね上がった生地は本当に耳たぶの柔らかさだった。これよりちょっと堅いとパサパサ
の食感になり、これより柔らかいと蒸したとき型が崩れる。            

 こね上がった生地を丸め、ラップに包んで20分ほど置く。こうすることで中までし
っとりと生地が落ち着く。この辺の一手間にも味の秘密があるのかもしれない。両手に
しょうゆの良い香りが残って何だか幸せな気分になる。酒2対醤油1の比率が味が良く
なる秘訣だとけさえさんが言う。他の人のレシピと圧倒的に違うのはこの酒の量だ。 
「お酒が苦手な人は『こりゃ酒が多いで・・』って言うけど、蒸すと全部飛んじゃうか
ら、けっこう大丈夫なんだいねえ・・」このお酒でしっとりとした味になるという。 

こね上がった生地をこれから16等分に分ける。 蒸し器に並べて20分ほど蒸せば出来上がり。

 けさえさんは旅行とかゲートボールとか地区の人が集まる時によくえびしを作る。 
「小さく切って一つずつラップに包んで分けるんだいね、すぐ食べられるかんねぇ」 
「特にいつ作るとか決めてる訳じゃあなくて、食べたいよ〜って人がいればいつでも作
るんだいねぇ・・」いつもみんなに喜ばれるのが励みだという。町の施設で『えびし作
り教室』なども開催し、若いお母さん達に郷土の味を伝えている。         

 生地のラップを外し16等分にする。これをタワラ型に丸めながら棒状に伸ばす。こ
れがえびしの形になる。笹の葉形にする人もいるし、昔は棒5本で挟んで花型にしたも
のを作ることもあった。結婚式の口取りなどは花型が多かったそうだ。       
 竹を使って花型のえびしを再現してみようということになり、えびしに竹を押しつけ
て形を整え、蒸し器に入れる。ラップで包んで成形する人もいるということで、ラップ
に包んだものも蒸し器に入れた。ラップは端を巻かずに立てておくと外しやすい。ラッ
プしたまま蒸し終えると中に空洞が出来たり、味がバサバサになるので、蒸し始めて5
分くらいしたらラップを外す。全体は蒸し器で20分蒸せば出来上がる。けさえさんは
蒸し器の前で状態をチェックしながら蒸し上がるのを待っている。         

 えびしが蒸し終わった。ラップに包んでいたものは表面がテカテカしている。そのま
ま蒸したものは少し表面がデコボコになっているがこちらの方が美味しそうに見える。
棒で巻いたものは棒がうまく外れず、失敗だった。出来上がりの状態を考えると、棒は
もっと太いもので柔らかく押しつけて花型を作るものだったようだ。        
 えびしは冷ました方が美味しいということで、しばらく置いたまま冷ます。冷めるご
とに光沢も増し、色が濃くなって美味しそうになっていく。けさえさんが1センチくら
いの厚さに切ってくれたのを、さっそく頂く。                  

 手に持った時の弾力が何とも言えない。絶妙の蒸し加減だ。口に頬張るとしょうゆの
香りが広がる。噛むとくるみの食感と生地の弾力が素晴らしい。これは美味しい。以前
食べたえびしとはまったく別の食べ物だ。同じ食べ物でも、これほど味に違いが出るも
のだとは思わなかった。皆さんが「けさえさんのえびしは美味しい」というのが良く分
かった。見た目の色つやも、もっちりした味も、ピリッと効いた後味も素晴らしい。 
 もっちりした味と弾力はお酒と醤油の分量と割合、ピリッと効いた後味は生姜と唐辛
子の絶妙な配合によるものだ。このほかにミカンの皮や青のり、紫蘇の実、いり胡麻、
ピーナッツなどを入れて作ることもある。いったいどんな味になるのだろうか。   

蒸し上がったえびし。冷ましてから切り分ける。 美味しいえびしを食べながら、お二人の話を聞いた。

 炬燵で美味しいえびしを食べながら、けさえさんと宗治さんに昔の話を聞いた。けさ
えさんは奥の耕地、長久保の生まれで、20歳の時に宗治さんに嫁いだ。      
「びんぼうッ子だったんで、食えりゃあいいって結婚したんだけど、はあ57年も一緒
にいられたんだから、いい人と一緒になったいねえ・・・」限界集落の長久保は住む人
も少なくなっている。多くの人が小鹿野や秩父に出てしまった。          
 昭和26年に結婚してから32年間、やさしいおばあさんと一緒に暮らすことが出来
た。おばあさんは本当に良くしてくれた、とけさえさんは懐かしそうに言う。    

 復員してすぐに結婚した宗治さんも大変だったようだ。昔は名主の家系だったのだが
『名主跡には何も残らない』と言われるように放蕩息子が出て、財産を全部飲み尽くし
てしまい、養子に入った宗治さんには財産らしきものは何も残っていなかった。山仕事
や治山工事の日雇いから役場に就職してやっと生活が安定した。けさえさんは近くの畑
を借りてこんにゃく作りに精を出した。年間収入が宗治さんの役場の給料より、けさえ
さんのこんにゃく収入の方が多い時もあった。                  

 二人でけんめいに働いて子供3人を育て上げた。息子二人は高校の先生、娘も韮崎に
嫁いで幸せに暮らしている。3人とも自慢の子供だ。役場の仕事が大変で、毎日帰りが
遅かった時のこと、息子がそのことを作文に書き、有線放送で流されたことがあった。
「あの時は、何だか恥ずかしかったいねぇ・・」仕事一筋だった宗治さんもこれには参
ったらしい。「子供には贅沢もさせてやれなかったけど、みんな普通に育ってくれたん
で良かったいねえ・・」子供の話になると二人の顔がにこやかになる。