山里の記憶4


百年ヒノキの間伐:田中喜久蔵さん



2007. 3. 13



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 西川材と呼ばれる材木がある。その昔、江戸時代から伝わる奥武蔵で産する材木の呼
称で別の言葉で言えばブランド材である。高麗川、名栗川、越辺川(おっぺがわ)流域
から産出され、江戸の西の川から送られてくる良質の木材として西川材と言われるよう
になった。主に足場丸太の材木で有名だった。西川材の林業家を取材したいと思い、西
吾野の知人に聞いたところ紹介されたのが田中喜久蔵さん(75歳)だった。    

 喜久蔵さんは田中材木店の代表で、現役の林業家だ。お宅にお邪魔して話をするうち
に、西川材の中でも高級な百年ヒノキの間伐をしているとのことで、その現場に行かせ
てもらえる事になった。林も見事な林らしいので楽しみだ。いろいろな話をする中で例
に漏れず木材価格の話になった。今現在リュウベ1万2千円なのだが、せめてリュウベ
2万5千円にならなければ林業は成り立たないと絞り出すように言っていた。西川材と
いうブランドを持つ林業地であっても現実は非常に厳しい事を知った。       

 約束の日、朝7時に伺うと喜久蔵さんがすぐ出てきて軽トラで先導してくれた。車は
正丸トンネル手前から刈場坂峠(かばさかとうげ)を越え、奥武蔵グリーンラインへと
続く尾根の道で止まった。ここからは軽トラでなければ入れない施業用の林道に入る。
山肌を最小限削っただけの狭い林道を作業地へ下って行く。はるか下の方にユンボが見
えた。そこが今日の間伐作業地だった。軽トラから降りて周囲を見わたすと、そこは素
晴らしいヒノキ林だった。                           

江戸時代からの優良材である西川材の産地、奥武蔵の山並み。 天高く見上げる百年生のヒノキ林。太く真っ直ぐな優良材。

 百年生のヒノキが適度な密度で林を形成している。下生えもしっかり生えているし、
太さも揃っている。樹高はどのくらいあるのだろうか。20メートルはあるだろうか。
遠くで見ると普通のヒノキ林に見えるのだが、木に近寄って触ってみるとその太さに驚
かされる。堂々たる百年のヒノキだ。喜久蔵さんが地面を蹴り掘って言う。     
「これが黒ボックだいね。この土がヒノキには最高なんだいねぇ」         
豊かな黒土の斜面に、百年間育ったヒノキがすっくと立ち並んでいる様は圧巻だった。

 喜久蔵さんはすぐに身支度を整えて作業にかかる。現場ではすでに若い部下二人が間
伐作業をしていた。間伐する木には全てテープが巻かれており、指示されるまでもなく
作業は進められているようだった。若い二人のキビキビした動きが頼もしい。    
 喜久蔵さんが使うチェーンソーはコマツ製。大きいのはスチール製で、ハスクバーナ
やシンダイワは使っていないそうだ。倒したヒノキの枝払いで3人のチェーンソーがエ
ンジン音を響かせた。                             

受け口を切る。倒す方向は上。道を横断するように倒す。 ワイヤーを掛け、バックホーで引きながら倒す。

 間伐する木はこれ以上育たない木、間が詰まっている木を選木する。勢いの良い木は
残す。木の勢いは枝ぶりで分かる。枝が太く四方に張っている木は勢いがある。ここの
間伐は高級材という事もあり、丁寧に行われるので1日に二人で40本くらいの間伐数
になるとのこと。面白いのは林道上に交差するように倒すこと。これは後の処理を人手
ではなく、バックホーがほとんどをやってしまうから。考えてみれば分かるが、3人で
百年生のヒノキを相手にしているのだから機械を使わなければ出来ないことは誰でも分
かる。では、その機械とは。                          

 バックホー:ユンボのアームにグラップルという拳骨状の掴む機能を付けたもの。こ
のグラップルを自在に操って、丸太を掴み、持ち上げてチェンソーで玉切りし、そのま
ま集材までしてしまう。遠くに倒れた丸太はワイヤーで引っ張って林道上に運び、グラ
ップルで掴んで玉切りをする。枝払いした枝などはグラップルがまとめて掴んで遠くま
でぶん投げてしまう。これ1台で何役もこなしてしまうのだ。人手が無いだろうから手
伝おうなんて考えていたのだが、私の出る幕など何処にも無かった。この機械があるか
らこそ、たった3人で百年生のヒノキ林間伐が出来る訳だ。            

 喜久蔵さんが次の間伐に入った。通常近くにある木をまとめて4〜5本切って、まと
めて玉切りなどの処理をする。受け口を切り、その正面に木を背にして立ち、股の間か
ら受け口の切り口をのぞき込み倒れる方向を確認する。ここで少しでもずれていたら修
正する。木にワイヤーを掛け、滑車で角度を変え、バックホーに乗った部下の渡辺さん
が引く。追い口は確実に両側から見ながら水平に切り進み、決して切りすぎないように
する。バックホーで引いて倒す方向を確実にするので安全だ。バックホーを中心にシス
テム化された作業進行で、我々がボランティアで行う間伐とはまったく違っていた。 

グラップルで丸太をつかんで、道まで引っ張って玉切る。 切った玉(4m丸太)をグラップルでつかんで集材する。

 喜久蔵さんは同じ手順で瞬く間に4本のヒノキを切り倒した。周辺にはヒノキの香り
が強く発散されている。山の中のヒノキの香りほどすがすがしいものはない。倒したヒ
ノキの年輪を数えてみた。98までは数えられたがハッキリとは分からない。本当に百
年生のヒノキだったのだ。作業をしている喜久蔵さんに付いて歩きながら西川材につい
て色々な話を聞いた。                             

 西川材は目が揃っていて加工しやすく、適度な固さと柔らかさを併せ持っているのだ
そうだ。遠くは三重県の松坂からも買いに来ていて、買った材木は吉野に運ばれ、吉野
材として売られるとのこと。喜久蔵さんに言わせると、西川材は吉野材よりも品質が優
れているという。特に杉の赤身の部分の色が違うという。また、西川材のヒノキは油気
が多く、年数を経るに連れて吉野材は黒くなるが、西川材は照りが出るのだそうだ。 
 秩父の材木は冬が厳しいためか冬目の部分が固く加工しにくいので、やはり市場では
西川材が好まれるそうだ。この地域の温暖多湿な気候が木材生産に合っている原因だろ
うと言っていた。温暖と言っても秩父と比べたらという話だが。          

 1本のヒノキの前で喜久蔵さんがメジャーを取り出した。            
「これが目通り三尺六寸(110cm)ちゅうヒノキだい。これなら注文されてるログ
ハウスの材が取れそうだ」                           
 原木市場からヒノキのログハウス材を頼まれているのだそうだ。普通は杉が多いそう
でヒノキのログハウス材の注文は珍しいらしい。9メートルの長さで、末口で直径24
cmというヒノキは今では少ない。百年生のヒノキならではのサイズだ。      

 10時になったので休憩。部下の青年二人に話を聞いた。渡辺さんは所沢から通って
いる。喜久蔵さんの技術と人柄に惚れて通っているらしい。バックホーの運転やグラッ
プルの使い方など、まだまだ未熟だと謙遜していた。               
 石川さんは理工系の大学を出ているのにこの道に入った。そのきっかけは「空師」と
いう異名もある熊倉さんの人柄と技術にに惚れてその門下に入ったらしい。熊倉さんの
仕事が無いときにこちらの手伝いをしているのだそうで、大宮から通っている。   
 二人とも20代前半で、林業の世界にも新風が吹き込んで来たようだ。この二人のよ
うに地元ではなく都会から林業の世界に入る道が出来つつあるのは、とても楽しみな事
だ。彼らに続く人がどんどん出てくれば林業の世界にも新しい可能性が開けるような気
がする。                                   
 ゴウゴウと音がしてずんぐりした機械が降りてきた。名前を聞くと「リュウシン号」
というらしい。玉切りした重い丸太を上の道まで運ぶ力持ちの車だ。登りで2トンの丸
太を運ぶそうだ。上まで運んだ丸太はユニックでトラックの荷台に乗せられる。当たり
前だが、ここでは人の力に頼ることはない。プロの世界は安全と効率が追求される。 

リュウシン号は力持ち。2トンの丸太をゆっくり運ぶ。 道まで運んだ丸太はユニックで荷台に乗せられる。

 これ以上の邪魔も出来ないので10時休みが終わったところでお礼を言って辞した。
林道をしばらく歩いて振り返って見たら、背の高いヒノキの根元にポツンと人間の姿が
見えた。何という高さかと改めて百年のヒノキを下から上へと仰ぎ見た。ヒノキの上に
見える晴れた空がやけにまぶしかった。