山里の記憶33


ハヤトウリ辛味噌漬:神住(かみずみ)セツさん



2008. 10. 12



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 10月11日に取材の打ち合わせで神川町(旧神泉村)に行った。午前中で打ち合わ
せを終え、昼に蕎麦でも食べようかと3人で寄ったのが、冬桜で有名な城峯公園前の蕎
麦処「杉乃木」だった。天ぷら蕎麦を注文して待っているところにお茶と漬け物が出さ
れた。3種類の漬け物、白菜の浅漬け、ラッキョウの甘酢漬け、そしてハヤトウリの辛
味噌漬け。ひとくちずつ食べてその旨さに驚き、3人で大騒ぎになった。出てきた蕎麦
も天ぷらも美味しかったのだが、特にハヤトウリの辛味噌漬けが強烈に印象に残り、頼
み込んで翌日に取材させてもらうことになった。                 

下久保ダムを見下ろす城峯公園前にある蕎麦処「杉乃木」。 突き出しで出された漬け物3種。どれも美味しかった。

 12日午後2時、お昼の予約客の食事が終わって後片付けをしているところにお邪魔
した。この店はご主人の神住(かみずみ)久男さん(78歳)と奥さんのセツさん(7
8歳)の二人で切り盛りしている。ここで出す突き出しの漬け物はセツさんの手になる
ものだった。白菜の浅漬けはニンニクの香りがいい。ラッキョウの爽やかな甘さは氷砂
糖によるものだった。そして、ハヤトウリの辛味噌漬けは久男さんが作る辛味噌が味の
決め手だった。口に含んだ瞬間に香りが広がり、ピリッと辛さが伝わり、噛むとコリコ
リという歯触りが素晴らしい。今回はそのハヤトウリ辛味噌漬けの作り方を聞いた。 

 ハヤトウリ(隼人瓜)センナリウリともいう。大正時代に鹿児島に伝わり、隼人の名
が付けられた。中国ではその実の形から佛手瓜と書く。5月上旬に植え、ツルを伸ばし
、秋に開花、結実する。一本の茎から100個以上の収穫が出来ることもある。このハ
ヤトウリを久男さんは17年間栽培し続けている。珍しい野菜なのであまり見ることは
ない。集落でも栽培しているのは久男さんだけだ。秋にたくさんの実を付けるハヤトウ
リ。この実を収穫して漬け物にするのがセツさんの仕事だ。            

 ハヤトウリを二つに割り、樽に入れて塩を3つかみ加える。その上から熱湯を注ぎ、
二日間そのまま放置する。こうすることでアクやヌルを取り、爽やかなコリコリという
歯ごたえを作る。そして水を切って、久男さんが作った辛味噌で漬け込む。一週間もす
ると美味しい辛味噌漬けが食べられるようになる。この辛味噌が味の全てと言っていい
。お店で出すと全部のお客さんが「美味しい!」と言ってくれる。売って欲しいという
声も多いが、今のところ売るつもりはない。他の漬け物も同様だ。         

 お茶を頂きながら久男さんの話を聞いた。久男さんは東京で生まれた。7歳で神住家
に養子としてやってきた。神住家は江戸時代に神官を務めたほどの旧家で、家の入り口
には総ケヤキ造りの大きな門がある。屋根の修理だけで百万円もかかる立派な門だ。玄
関には昔から伝えられている大きな屏風もある。                 
 生まれつき商売が好きだったという久男さんは成長しながらその力を発揮していく。
「本当はここで大きくなるつもりはなかったんだけど、長男だったし、跡継ぎだから仕
方なかったんだいねえ・・」                          

 秩父銘仙を仕入れて、バイクに積んで万場や中里村、上野村に売りに行った話。大宮
に土地を買ってアパートを建てようとした話。マスやヤマメやイワナを養殖して、下久
保コテージに卸したり、つかみ取りで楽しんだ話。一千万かけてプラントを作り、玉砂
利をホームセンターに販売した話。自分の山の間伐材で今の「杉乃木」を建てた話。全
ての話に商売の基本である、自分なりの”工夫”が隠されている。今でも商売の話にな
ると熱が入る。商売というよりも、人に喜んでもらう工夫と言った方がいいかもしれな
い。蕎麦を食べているお客さんが満足しているかどうかいつも気になるという。   

 そんな久男さんが作っている辛味噌が美味しくないはずがない。いったいどんな魔法
をかければこんな味になるのか聞いてみた。最初は「聞いたって同じ味なんか出来ない
んだから無駄だよ」などと出し惜しみをしていたが、少しずつ話を聞き出して、まとめ
てみた。                                   
 味噌は信州味噌で、高崎の業者から買う。ラベルには「地味噌」という名前が付いて
いた。唐辛子は、あまり辛くないキムチ用の韓国唐辛子と、日本の辛い唐辛子を配合し
て使う。辛い唐辛子の量と配合を変えて、大辛(赤)、中辛(黄)、辛(緑)の3種類
の辛味噌を作る。( )内の文字はパックしたテープの色分け。小さいパック300円
で、冬桜のシーズンには飛ぶように売れ、一冬で200Lも売った事もあるという。 

久男さん自慢の辛味噌。漬け物にはこの半分の量を1樽で使う。 樽を開けて、辛味噌漬けの出来具合を確認するセツさん。

 唐辛子は青いうちに採り、ミキサーにかけて冷凍して保存し、必要に応じて解凍して
辛味噌に加工する。ミキサーは実が大きめに残る程度にかける。味噌になったときに実
が残っていた方が味に変化が出るので細かく粉砕しないようにする。        
 まず、大きな鍋で唐辛子を油で炒める。そこに砂糖、本だし、調味料などを加え、更
に炒め、味噌を加えて焦げるくらいまで更に炒める。この時にすごい臭いが漂う。近所
でも「ああ、またやってるな・・」というくらい唐辛子臭がするという。      

 この辛味噌をハヤトウリの漬け物に使うとき、固い状態を緩めるのにウイスキーを使
うのが香りの正体だった。更に蜂蜜を加えて緩め、ハヤトウリを漬け込む。こういう工
夫が味になるのだから、誰にでも出来る事ではない。「味噌を作るんでお金がだいぶか
かってるんだから美味いはずだいねぇ」と自讃する。確かにそうだと思う。     

 セツさんにお願いしてハヤトウリの畑を見せてもらえる事になったので車で移動する
。車の中でセツさんにいろいろ話を聞いた。久男さんとは同じ年だが学年が違う。すぐ
近くで育って、青年団の活動で一緒になり、結婚することになった。21歳の時だった
。久男さんの性格から考えると、多分強引なポロポーズだったのだろう。セツさんは笑
っていた。脳梗塞で倒れたお舅さんを5年間看護したことが大変だったという。今のよ
うに看護サービスもなく、24時間看護を自宅で5年間続けるのは本当に大変だったと
思う。今は気の合う友人と旅行に行くのが楽しみだと笑っていた。         

 畑は自宅の下の斜面にあった。大きな総ケヤキ造りの門を車で入り、二人で畑に降り
て行った。右手に鉄パイプを組んだ大きな棚が作ってあり、そこにハヤトウリが青々と
葉を広げていた。よく見ると、株は二つだけ。二つの株だけでこの大きな棚がいっぱい
になっている。大きな実があちこちに下がっていて、まだまだ収穫の盛りのようだ。 
 これだけ大きな株にするには土づくりが大変だと思う。聞くと、山の落ち葉を堆肥に
して、それを毎年1メートル掘って入れ替えているそうだ。10数年も同じ場所で育て
ていて連作障害がないというのも驚きだ。セツさんは「だって、棚を動かすんはめんど
くさいから仕方ないんだいねえ・・」と笑う。                  

立派な門のあるセツさんの自宅。畑は下の斜面にある。 大きな棚を覆うハヤトウリ。2株だけでこの大きさ。

 店に戻って、久男さんにそば屋さんを開業したきっかけについて聞いてみた。久男さ
んが退職して53歳の時にこの店を作ったという。以前からこの公園にはよく来ていて
、公園周辺で食べるものが美味しくなかったので、自分で店を出してうどんや蕎麦を食
べさせてやろうと思ったのだという。最初は店を誰かに手伝ってもらおうと思ったのだ
が、誰もやってくれる人はなく、会社に勤めていたセツさんに給料とボーナス分を保証
するからと説得して、平成元年からセツさんが店を手伝うようになった。セツさんは勤
めていた電子部品の組み立て会社を辞めるのはさみしかったという。みんなと一緒にワ
イワイ過ごす時間がなくなってしまったからだ。                 

 今まで何でも思うままに生きてきた久男さんに、それを見守ってきたセツさんの事を
どう思っているのかを聞いてみた。                       
「感謝してるよ。何をやるって言っても反対しないから、こっちは失敗できないってい
うプレッシャーは感じるけどねぇ・・・」セツさんも言う。            
「この人はあたしが反対できないように上手いこと言うから困るんだいねえ・・・」 
でも、失敗出来ずにやり通すしかない状態を作るという点では、二人の合作の人生だっ
たとも言える。ハヤトウリの辛味噌漬けもそんな二人の見事な合作だった。その味に引
かれて取材を申し込んだが、期待通りの話を聞くことが出来た。          
 久男さんの趣味が渓流釣りということもあり、釣りの写真を見ながら釣りの話に花が
咲いた。好きなことをやり続けられる人生というのは本当に素晴らしい。