山里の記憶30


竹カゴを編む:新井正子さん



2008. 8. 20



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 竹カゴを編む人を取材したいと思っていたら、たまたまお世話になった人から秩父市
内の新井正子さん(67歳)を紹介された。正子さんは市内の矢尾百貨店で竹細工の展
示会を開いたりする人で、とても良い作品を作る人だと聞いていた。電話で取材を申し
込み、色々話を聞いていたら、正子さんの家は秩父でも有名な「新井竹細工店」だった
。夫の武夫さんは名人と呼ばれる竹細工職人で、一度話を聞いてみたかった人だ。  

秩父市内からミューズパークへ向かう赤い橋の先に店がある。 店の奥にある作業場。材料と道具が所狭しと並んでいる。

 お店に伺うと、ちょうど正子さんが商品の竹カゴや竹ザルを店頭に並べているところ
だった。挨拶をしてお店の中に入る。テーブルの横手が作業場になっているようで、様
々な道具や材料が並んでいた。正子さんと話しているうちに夫の武夫さんがやってきて
話に加わった。武夫さんの話はじつに多岐に渡り、興味深いものだった。      
 武夫さんの話は奥が深く、その技も名人と言われるほど洗練されたものだ。店先に飾
られている精緻な作品を見ているだけでもそれは分かる。後日改めて取材を深め、別の
項目としてまとめたいと思う。今回は紹介してもらった正子さんの竹カゴ編みについて
以下まとめる。                                

 正子さんに竹カゴ編みの実演をしてもらった。実演は、まず竹を切るところから始ま
った。切断用の箱台に竹を乗せ、弓張りノコギリで節を切り落とす。節には溝があり、
両側が盛り上がっている。この山の高い方が下になる。そして割るときは「木元竹末」
と言われているとおり、末から割る。節の低い山側が末なので、そちらから割る。割る
には割りナタを使う。刃が中央で曲がっている両刃のナタで、その根本部分を上手に使
って竹を割る。最初の割り口は枝の生えていたスジに出来る窪みを目安にする。竹の中
に射し込んだナタの刃をその窪みの中央に当て、竹を刃の外側で叩くと刃が竹に食い込
む。竹は外側が固く、内側が柔らかいことを利用した確実な割り方だ。       

 半分に割った竹の切り口に欲しい幅の印をつけ、全体の中央から割る。竹を割るのは
真ん中で割ることが肝心だ。目印に合わせて、真ん中、真ん中と割っていく。割るのは
割りナタで、正子さんは少しずつ少しずつ割り進む。ナタの刃ぎりぎりの所を指で押さ
えてブレーキをかけながら少しずつ割り進む。決して「エイや!」と力任せに割ったり
しない。こうして割って細くなった竹を、今度は半分に薄くする。左脇で締め付けて安
定させ、割りナタを上手に使って半分の薄さに竹をはぐ(へぐとも言う)。作務衣の左
脇は、この作業のせいで、すぐに穴が空いてしまう。はいだ竹を再度割る。そして再度
はぐ。この時は右足に皮の履き物を付けたかかとで押さえつけ、左手で微妙に力を加減
して上下させることで均等に竹を二つにはぎ分ける。こうして出来るのが、材料になる
竹ヒゴだ。竹ヒゴは水に浸けて柔らかくさせてから、カゴ編みに使うことになる。  

 次は微妙に違う太さを揃える作業だ。専用の幅削り器にヒゴをセットして、右手で押
さえ、左手で引っ張る。これだけで幅の揃った竹ヒゴになる。この幅を削る道具は竹細
工仕事には欠かせない道具で、幅に合わせて何種類も揃っている。カンナの刃を2枚縦
に立てたような形で、切れ味は鋭い。職人の世界は道具の世界でもあり、こういう専門
の道具を見ると嬉しくなってしまう。他の道具で代用が出来ない専門性が素晴らしい。
こうして竹ヒゴの幅は揃った。次は厚さだ。                   

 竹ヒゴは元と末では微妙に厚さが違う。それを均等な厚さにに削らなければ、竹カゴ
編みは出来ない。膝に広げた厚い皮の上でヒゴを削りナタで削る。微妙な作業が続く。
指先の感覚が全てなので、必ず素手でやらなければならない。手袋などしていたら微妙
な感覚は判断できない。竹細工と言えばトゲが刺さる心配もあるのだろうが、手袋をす
ことはない。膝上の皮の上にクルクルっという削りクズが溜まっていく。内側と外側の
二枚の竹ヒゴが出来た。正子さんがその二つの違いを説明してくれた。同じように見え
るが、当然外側の方が固い。製品の外に当たる部分にそのヒゴを使う。内側の編み込み
や、力の掛かり方が少ない場所に内側のヒゴを使って編む込む。          

竹カゴを編んでいる正子さん。指が手品のように動く。 正子さんの編んだ竹の花カゴ。

 丸い台の上に正子さんが立ち、そのガイドラインに沿って竹ヒゴを並べ始めた。竹の
編み目は幾何学模様になっているが、最初の基本はこの丸い台にあった。ここできちん
と編み始め、寸法もきちんと測らないと模様がずれてしまうことになる。二本並べる場
合は元と末を互い違いに置いて作業する。こうすると出来上がった時に強度が高く、安
定した形になる。底を編み上げて、正確に寸法を測る。そして3本の「尻ん棒」を射し
込んで固定する。この棒は途中で外し、最後に安定させるために再度使用する。   

 底が編み上がったものを腹に当て、上手く竹を湾曲させながら胴の編み込みに入る。
何段か編むと、そこから先は様々な形に編み込む事が出来る。実演はここまでで終わっ
た。伸びたヒゴ先を色々な形で正子さんがつまむと、様々な竹カゴになることが分かっ
た。まるで手品のように形を変える竹カゴ。蓄積されたノウハウが様々な形にカゴを作
り上げる。今日見せてもらったのは、そのホンの一端なのだ。じつに奥の深い、興味深
い世界の入り口だった。                            

 昔からカゴ屋では「竹割り三年」と言われている。カゴの種類によって使う竹も違う
し、加工の仕方も違う。五年必死にやって、やっと基本の編み方が修得でき、十年やれ
ば一人前と言われている。正子さんは「基本が大事だいねえ・・基本さえしっかりして
れば、応用はどうにでもできるかんねぇ」と言う。やはり技術の習得には基本が一番大
切なのだ。素人が真似事で編み上げても、それはまったく別物だ。形も強さも基本がし
っかりしていなければ使い物にはならない。                   

 正子さんに結婚のいきさつを聞いてみた。なんと驚いたことに正子さんの方からアプ
ローチした結婚だったという。正子さんは中学を卒業して東京に行っていたが、父親が
亡くなる不幸があり、秩父に戻ってきた。秩父で暮らすようになり、青年会で子供会を
指導する役員会に出席したところ、そこに武夫さんがいた。「何だかまじめそうな人だ
ったんだいねえ・・」とその時の印象を語る。市民グラウンドで行われた運動会の時、
武夫さんがトイレに行く機会を利用して声をかけたのだそうだ。「自分から言ってダメ
だったら仕方ないんで、言っちゃったんさあ。待ってたってしょうがないもんねえ・」
正子さんのストレートさと行動力に驚く。                    

 武夫さんも気分が悪かろうはずもなく、二人は4年くらいつき合って一緒になった。
相生町の家で武夫さんがカゴを作り、正子さんはたくさんいた職人の食事を作ることで
目が回るような忙しさだった。当時、市役所のごみカゴや屑カゴ、秩父セメントの袋カ
ゴ、東電の腰カゴや竹梯子、幡屋の弁当カゴなどの仕事で、まさにてんやわんやの状態
だった。慣れない仕事も正子さんは何とも思わなかったという。別所から市内に来たこ
とだけでも良かったのだそうだ。その後、時代が変遷し二人で日本橋の高島屋、浦和の
伊勢丹、東京ドームなどで全国職人展・物産展などで実演販売を行うようになった。二
人の息のあった連携で様々な場面を乗り切ってきた。               

店には正子さんの作品と武夫さんの作品が並んでいる。 ベランダで荒川を眺めながら話を聞いた。

 正子さんには子どもが二人いる。どちらも男で家を出て会社勤めをしている。どちら
かが家業を継いでくれればと願っているが、息子は「生活の保障がない」と今の仕事を
辞める気配はない。間近で名人の仕事を見ながら、何とかこの技術を残したいと思うよ
うになり、店が移転したのをきっかけに竹カゴを編み始めた。           

「あたしがやってるのなんか、ほんと、手なぐさみさぁ・・」           
「あたしの方が5つべえ若いんで、少しでも教わって覚えようって思ったんだいねぇ」
「店番してるだけじゃあもったいないんでねぇ・・門前の何とやらで出来るもんからや
ってるんさあ・・」                              
「お父さんは、ほんのちょっとの事でやり直すからねえ。あたしがそれくらい大丈夫だ
よって言っても聞きゃあしないやねぇ。だから次も注文が来るんだろうけどねぇ・・」
正子さんの言葉の端々に、武夫さんへの尊敬の念が伺える。二人の作品が並んで店先を
飾っているのを見ると、羨ましくも思う。