山里の記憶28


大滝いんげん:千島啓之助さん



2008. 7. 20



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 7月20日、梅雨明け翌日の暑い日、大滝の強石(こわいし)地区にある千島啓之助
さん(76歳)の家を訪ねた。秩父農林振興センターで大滝いんげんについて聞いたと
ころ、啓之助さんを紹介してもらった。連絡を取って、いんげんの植え付けが終わった
この日に伺うことになった。啓之助さんは土間で作業をしていたが、挨拶をすると笑顔
で中に招き入れてくれた。資料がいっぱい並んだ居間で、大滝いんげんについて色々な
話を聞くことが出来た。                            

強石(こわいし)地区の急斜面に立つ啓之助さんの家。 庭では梅の土用干しをしていた。美味しい梅干しが出来そう。

 資料写真でサヤと豆の形を見せてもらった。大滝には大滝いんげんの他に「滝ノ沢い
んげん」と「ほだか」という地いんげんがある。以前は「大滝いんげん」と「ほだか」
を合わせて「三峰いんげん」と呼んでいたが、今はその呼び方はしない。大滝いんげん
は白の丸豆で、滝ノ沢いんげんとほだかはウズラ模様の豆だ。滝ノ沢いんげんは平豆で
、ほだかは丸豆。サヤで食べるのは大滝いんげんが一番美味しい。豆として煮て食べる
のは滝ノ沢いんげんが美味しい。ほだかはその中間くらい。            

 どのいんげんも美味しいが、5〜6年前から大滝の特産品として定着させようと、農
業委員会が中心となり「大滝いんげん」の栽培方法などを確立してきた。振興センター
で3年講習があり、強石地区が大滝いんげんの特産指定地区になった。啓之助さんは、
みんなに作り方を教えたり、種を配ったりして大滝いんげんの栽培を広めてきた。  

 大滝いんげんは筋がなく、豆やサヤが大きくなってもサヤごと食べられ、柔らかくて
美味しいいんげんだ。何で食べても美味しいが、柔らかいので煮すぎないようにするこ
とが肝心だ。煮豆も美味しい。栽培の要点は30度以上の高温にさらされると花が落ち
てしまい実がつかなくなること。従って、秋作専用のいんげんということになる。霜が
降りるまで食べられ、昔から大滝で作られてきた。美味しいけれど問題も多い。病気に
弱く、連作がきかない。病気に強い外国産のいんげんを栽培したあとでは多くが病気に
やられてしまう。収量が少ないので敬遠されることも多い。            

 そんな大滝いんげんを15年以上も作り続けて、種を守ってきた啓之助さんに、種を
守る苦労を聞いた。「大滝いんげんは本当に交配しやすいんだいね・・・」一番の難点
は交配しやすさにあるという。種の状態でチェックして苗を作って植えるまではいい。
 問題は花が咲いた時だ。交配が起きるとサヤの形が違うものが出来る。啓之助さんは
変なサヤが出来た株は切って枯らしてしまう。よく交配するのは短くて広いサヤで種が
三つのもの。「今はいろんな種をあちこちで売ってるし、誰でも簡単に作るんでどうし
ても交配が多くならいねえ・・昔はこんなじゃあなかったんだけんどねえ・・・」純粋
な種を残そうとすると本当に大変なのだ。                    

 種用に株を栽培するのではなく、サヤを取って出荷したあとに残った豆を種用に確保
する。少しでも食べてもらって、安くても売れた方が良い。大滝でも100人以上の人
が作っていて、自分で種も取っている。交配してしまった種で作り続けていることも多
いだろうと言う。交配してしまった大滝いんげんが売られている可能性もある。まずは
良い種を取ることが一番大切なことだ。このままでは大滝いんげんはじり貧になってし
まうだろう。啓之助さんは淡々と語るが、その内容はとても厳しいものだった。   

 お茶を出してくれた奥さんの次子さんが話を引き継ぐ。「種がなんともなんで、良い
種を作ることが肝心だいねぇ」大滝いんげんとか「ほっかむり小豆」とか、貴重な種は
無くさないように大切に保管するという。大滝いんげんは豆が大きく育ってからの方が
サヤを食べるのも豆を食べるのも美味しいという。「何で食べてもおいしいよ」と笑い
ながら教えてくれた。秋には是非、料理方法を取材したいものだ。         

 お茶を飲みながら、昔の話を聞いた。啓之助さんの若い頃は養蚕全盛期で、ご多分に
漏れず養蚕に精を出した。養蚕をやりながらエノキダケの栽培もやった。その頃、この
強石地区にはまだ道路が開通してなくて、資材は国道から全部背負って持ち上げなけれ
ばならなかった。「えら、大変だったんだよぉ・・」と次子さんが合いの手を入れる。
 エンジンネコで木屑を上げて、ガラス瓶でエノキダケを栽培する。その作業で瓶を持
つために小さい手の次子さんは大変な苦労をしたそうだ。今、その時の後遺症で指の関
節が外側に曲がってしまっている。10年続けたエノキダケ栽培も、値段が10年間変
わらない状態で、これ以上やっても仕方ない、と止めた。             

 その後は東大演習林の造林の仕事を20年くらいやった。足腰は達者で長持ちした方
だった。当時は機械は無く、大きな鎌で下刈りや除伐をやった。両ひじに大きな負担が
掛かる作業で、そのうちに両肘がやられてしまった。「大きな鎌でスズタケを刈るのは
えら大変な仕事だったいねぇ・・」演習林を辞めてから本格的に農業に精を出すように
なった。啓之助さんは6年前に肺気腫を病み、今も酸素を吸入しながら働いている。 
「これなんで、力仕事が出来なくなったけど、畑仕事なら何とか大丈夫なんでねぇ」 
動かないと体が弱ってしまうと、出来るだけ動くようにしている。自分でいろいろ工夫
して栽培した作物を農協や道の駅で売る。その真摯な姿には本当に頭が下がる。   

 啓之助さんが庭に置いてあるポット苗を見せてくれた。太い茎で大きな葉の立派な苗
だった。種が貴重な大滝いんげんはポット苗で育てて、本葉が出たら移植する方法が一
番だという。何より種がムダにならない。豆で蒔くとヨトウムシに食害されることある
し、天候によっては芽が出ないこともある。病気に弱いこともあり、苗で大きく育てて
移植する方がリスクが少ない。しかし、長くポットに置いておくのは問題で、根が成長
を止め、大きく育たなくなることがある。本葉1枚で移植するくらいがちょうどいい。

きれいなお茶畑を抜けると、斜面に畑が広がっていた。 山の畑から見える秩父の山並み。空が狭い。

 「ほいじゃあ、畑へ行ってんべえ」啓之助さんが畑へと誘ってくれた。畑は家のすぐ
上にあった。綺麗なお茶畑の奥に大滝いんげんが植えてあった。長い竹の棒が頑丈に支
柱として組んであった。気温が高くなる夏に成長する大滝いんげんはツルの先が支柱に
触れて焼けることがある。市販のビニールを巻いた支柱は特に高温になるので使わず、
竹を支柱にする。支柱の長さは2.7メートル。畝幅は1メートル30センチ、株間は
60センチから70センチ。このくらい広くしないと葉が茂ったとき、風通しが悪くな
り病気にかかりやすくなる。今は2本の苗が植えてあるが、いずれ1本にする。2本で
育っても、1本にしても全体の収量は変わらない。                

 元肥は入れない。豆科のいんげんは根に根粒菌があり、空気中の窒素を根に蓄えるこ
とが出来るので無肥料でよい。畑の土作りは主に堆肥をスキ込むこと。落ち葉堆肥が中
心だが、堰堤下の落ち葉を主に使っている。堰堤下の落ち葉には草の種が含まれている
率が低いからだという。他には製材所から針葉樹のチップを買ってきて敷いている。こ
れは畑の乾燥予防だ。腐れば立派な堆肥になるし、草が生えるのを防ぐマルチング効果
もある。畑の土はサラサラでじつに良い土だった。何より驚いたのは雑草がまったく生
えていないこと。夏に雑草の生えていない畑を見るのは初めてだ。聞くと、毎日畑で草
を抜いているとのこと。じつに素晴らしい。                   

竹で組んだ頑丈な支柱。台風でも倒れないように。 順調に育っている大滝いんげん。草一つ無い畑。

 畑の周囲には網が張ってある。鹿が出るのだそうだ。鹿はツル先の柔らかい部分を好
んで食べるため、今侵入されると大滝いんげんは全滅してしまう。毎日畑に行くのはそ
の予防の意味もある。いんげんが大きくなって実が成ると今度はサルが来る。サルの侵
入対策で電気柵が張られていた。乾電池6本で1ヶ月もつ電気柵だ。触ってみたら肘ま
で衝撃が走った。鹿やイノシシにも効くそうだ。山の中の畑は動物達との戦いの最前線
でもあり、毎日が真剣勝負だ。                         
 畑で汗を拭きながら、大滝いんげんを作り続ける楽しみを聞いてみた。啓之助さんは
「大滝いんげんは売るのが面白いやねぇ、大変だけど・・」と笑って答えてくれた。 
納涼祭りや秋のイベントで売る。豆が大きくなった方が美味いことを教えながら売る。
名前も徐々に知れ渡ってきて、どうしても欲しいと前日に買いに来る人も多くなった。
二日間の秋のイベントで売り切れて、畑に採りに戻ったこともある。まるでかわいい子
を世に出す親のような顔で啓之助さんは微笑んでいた。