山里の記憶258


ソリ遊び:黒沢和義



2021. 5. 27


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 私の生まれた耕地から小学校と中学校に通うには川を渡り、丘を越えて行かなければな
らなかった。川には木の橋がかかっていて大水が出た時などは流されたりした。橋が流さ
れるとすごい遠回りして行く羽目になり、大変だった記憶がある。橋には太い番線が付け
らていて、流されても回収できるようになっていた。流されると大人たちが総出で元どお
りに直してくれた。                               
 この川の谷底は日が当たらなくて、冬に雪が積もると春まで溶けないような寒い場所だ
った。今と違って、昔は相当寒かった。冬になるたびに川の水が凍り、真っ白な河原にな
っていた。日頃は足早に通り過ぎる場所だが、真冬の一番寒い頃にここは大きな賑わいを
見せた。この通学路を凍らせてコースを作り、ソリ遊びに興じたのだ。耕地の子供達が自
分のソリを持って来て、ここで思い切り滑って楽しんだ。              

 コースは約百メートルほどで、急坂・カープ・ジャンプポイントなどがあり、かなりス
ピードが出た。このコースで滑るにはかなり頑丈なソリが求められ、子供達は思い思いに
自分でソリを作ったものだった。                         
 ソリ作りはまず厚い板を探すことから始まった。二センチほどの厚さの板を探すのだが
丁度いい厚さの板がそうある訳ではない。日頃から目をつけておいて、親にあの板が使い
たいとそれとなく申し出ておく。許可が出ると冬のソリ作り用に確保して隠して置いた。
隠しておかないと他の兄弟に使われてしまうからだ。                

 冬、ソリの季節が近づくとソリ作りが始まる。長さ七十センチ、幅三十センチ、高さが
十五センチほどのソリを作る。ノコギリで厚板を切り、中板と座板もサイズに合わせて切
り揃える。太い釘を打ち込んでがっちり止めれば外形の出来上がりだ。        
 次はエッジを作る。エッジはソリの滑りを決める大切な部品で、太く青い孟宗竹を割っ
て作る。真竹では薄くて壊れやすいので、孟宗竹が良かった。先端を曲げる必要があるの
で青竹でなければならなかった。太い竹を割り、節をナタで滑らかに削る。端から十五セ
ンチのところを火で熱して曲げる。曲げた竹は冷めるまで同じ角度で固定する。ソリのエ
ッジに使うのは二本だが、一緒に予備も作っておく。シーズン中に必ずエッジは壊れるか
らだ。三セットくらいは作って置いた方が良かった。                

ソリはロープを掴んで背中に背負って運んだ。 夜の寒さを利用してコースを凍らせた。水撒きは上級生の仕事。

 エッジをソリに取り付けるには釘で打つのだが、竹が割れないようにキリで穴を開けて
から釘で慎重に打った。割れるとエッジとして使い物にならないからだ。運んだり滑る時
に掴むロープを取り付けてソリが完成する。                    
 それぞれに工夫したのがブレーキだ。ソリの後方に四十センチくらいの角棒を打ち付け
て、先端を上に引っ張ると反対側が地面に接地してブレーキになるものを付けた。子供の
発想ではこんなものしか付けられなかった。気分はブレーキだが、スピードがつく急坂で
は役に立たなかった。結局、スピードが出た時頼りになるのは自分の両足だけだった。 

 コースの通学路は川から丘に登る急斜面に作られた。土曜日の夕方には上級生が川から
バケツで水を汲み、コースに流して夜の寒さで凍らせた。全面氷のコースで、今で言えば
リュージュコースのようなものだ。上級生男子は最長コースを滑るのだが、下級生や女子
は途中の平らな所から下に滑った。このポイントは上からスピードに乗って滑ると丁度ジ
ャンプするような感覚になるポイントだった。                   
 最長コースはスタートからすぐに急坂で、スピードが出た。次に直角に曲がるカーブが
あり、ここが難所だった。曲がりきれずに川に落ちる子もいて喝采を受けた。ここを恐れ
てスピードを緩めると最後の滑りがショボくなるので、気合の入れどころだった。たとえ
落ちても河原には雪が残っていたし、子供たちも着ぶくれていたので大きな怪我をするこ
とはなかった。                                 

通学路を凍らせたので小さい子の通学が大変だった。 氷の上を歩くのに滑り止めでワラ縄を靴に巻く奴もいた。

 ゴールのところには小さな子供や女子がいたので、男子としてはカッコよく終わりたい
ところだった。かなりのスピードで滑ってきて、派手にブレーキをかけ、颯爽とソリから
降り立つのが理想だったが、毎回そんなに上手く滑ることは出来なかった。      
 だいたい最後がショボくて終わるか、ゴールに突っ込んで自爆するかだった。ソリが壊
れるのを恐れてショボく終わることが多かったが、今にして思えば派手に自爆した方が良
かったのかもしれない。ソリが壊れないようにという貧乏人根性が遊びにもブレーキをか
けていたようだ。                                

 一度、親に作ってもらった鉄パイプのソリを自慢する奴がいた。みんなが注目したその
滑りは凄かった。あまりに早くて制御ができず、豪快に突っ込んで自爆した。その後、そ
いつも鉄パイプソリを使わなくなった。性能が良すぎると危険だということがわかった。
 中には目立ちたくて頭から滑るカラ勇気の奴もいた。側から見ているとさほどスピード
は出ず地味だったが、本人は大冒険をしたかのように吹聴するので笑った。滑りながら無
意識に両足で思い切りブレーキをかけていたようだった。一度やったことがあるのだが、
視線が低いだけでかなりスピード感が出た。見た目と自分の感じる感覚が違うものだと知
ったのもその時だった。まあ、無理にやるほどのことではない。第一、コースアウトした
時に危険なのは誰にでも分かっていたから。                    

 コースの横には狭い歩道が付けられていて、みんなそこを歩いて上に登った。このコー
スは通学路でもあったので、学校に行く時の小さい子たちは大変だった。登るのはまだい
い方だったが、降るのが怖かった。上級生が手を貸してこのソリコースの百メートルは必
死に上り下りしたものだった。                          
 氷のコースなので滑り止めと称して靴にわら縄を巻いて歩く奴もいた。「いいダンベ」
と自慢していたが、すぐに解けたりして歩きにくそうだった。真似しようと思ったことは
ない。慎重に歩けば滑らなかったし、氷に慣れるのも子供の能力の一つだった。    

 一日谷底で遊んでいると寒くて鼻水がズルズル出たものだった。昔はティッシュペーパ
ーなどなかったし、そんな時は普通に服の袖で拭いていた。右手の袖は鼻水でテカテカに
なっていた記憶がある。子供はみんな鼻水を垂らして寒風の中で遊んでいた。     
 綿入れ半纏を着ている子が多かった。寒かったし、あったかい綿入れ半纏は人気があっ
た。ソリで滑ってこけた時も半纏を着ていれば安全だった。着ぶくれはソリ遊びには必須
のフアッションだった。                             

頭から滑るカラ勇気。目立ちたがり屋さんの本領発揮。 鼻水は服の袖で拭いた。袖はテカテカになっていた。

 ソリ遊びで夢中になったのは、何と言ってもあのスピード感とスリルだった。自分の体
が中に浮くようなスピード感は他では感じることが出来なかった。カーブを上手く曲がれ
た時の達成感も良かった。自分の限界に挑戦するなんて大げさな表現だが、その時は本当
にそんな気分だった。上手くいったかダメだったかは自分でしか分からないし、小さい挑
戦を繰り返していることも自分でしか分からない事だった。             
 スリルの向こう側にある自分の成長などという難しいことは今にして思うことで、その
時は毎回滑るごとに失敗していたように思う。工夫して自分で考え、修正し、出来るよう
になる。これは、ソリ遊びを通じて学んだ事かもしれない。そう考えると、子供の遊びに
無駄な事はないように思う。                           

 子どもの遊び場には必ずガキ大将がいてみんなを統率していた。今でいういじめもいっ
ぱいあったが、それは仕方ない事だった。ガキ大将の運動能力は素晴らしかったし、自分
に出来ないことをスラスラやってのける事も認めるしかなかった。だから序列が下になる
のも納得だったし、他の分野で負けまいと頑張る事も自分が成長するきっかけになった。
 子ども同士の競い合いも自分を成長させてくれた。どんなソリを作るか、どう操縦する
か、どうスピードをコントロールするか・・・やはり、遊びに無駄はない。      

 冬のソリ遊び、夏の魚獲り、秘密基地作りや陣取り合戦などなど、昔の子供の遊びはみ
んなでやるものが多かった。それだけ子供の数も多かったし、楽しかった。縄張り争いも
あったし、石投げ合戦のように危険なことも多かった。それでも、そんな遊びの中で子供
たちはやって良い事と悪いことを自ら学び、社会性を育てて来たのだと思う。     
 昭和の時代は良かったなどとここで書くつもりはないが、良い環境で育ったものだと思
う。生まれる子供は親や時代を選べない。だからこそ、自分が生まれて育った環境が豊か
だったことに感謝したいと思う。