山里の記憶257


切り干し芋:黒沢和義



2021. 5. 07


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 晩秋になると天気の良い日に一家総出で切り干し芋を作った。我が家では切り干しとい
えば大根ではなくてサツマイモの切り干し芋のことだった。家族総出で作った切り干しは
正月様へのお飾りになり、茶箱で保管される貴重な食料だった。飽きるほど食べた切り干
し。子供時代だけで一生分を食べてしまったかもしれない。サツマイモは甘いので少しな
らいいのだが、いっぱい食べると胸焼けして困ったものだった。繊維が多いので腸が活発
に動き、おならが出ることが多くなるという話だが、おならの事など気にした事もなかっ
た。そんな記憶も今では懐かしい。                        

 サツマイモは苗床で育てた苗を初夏に植え付ける。四十センチくらいの蔓に四・五本の
茎葉が出ている苗を斜めに植えていたように記憶している。七月になると急に葉が伸び出
し、畑は緑で覆われる。サツマイモは途中の手間がいらずに育つので比較的楽に栽培でき
る。八月に蔓返しという蔓の根を切る作業があるくらいで、十月末の収穫まで放置できる
のがいい。サツマイモは家の近くの畑で栽培していたので手伝うのも楽だった。    

 十月末、天気のいい日に収穫をする。まずは蔓を切り、クルクルと丸めて畑の隅にまと
める。蔓や茎葉は家畜の餌になるので破棄せず、リヤカーで家まで運ぶ。昔はこのサツマ
イモの茎をキンピラにしたり、色々料理して食べたそうだが、私の時には食べたことはな
かった。もっぱら飼っていたヤギやウサギの餌になった。              
 サツマイモの収穫は芋を傷つけないようにマンノウで掘るのが難しい。芋がありそうな
場所を避け、周辺から土を緩めるように掘り、茎を掴んで芋を引き抜く。上手く引き抜く
と五・六個も芋が繋がって出てくる。これが気持ちいい。そのまま畝の上に並べておき、
最後にまとめてカゴに入れたり、リヤカーに積んだりする。家に運んだ芋は一旦納屋の片
隅に積み上げ、ムシロをかけておく。                       

サツマイモの畑は家の近くだったので、リヤカーが使えた。 芋洗いは水が冷たかったが、綺麗になる芋を見るのは好きだった。

 晩秋の天気が良い日に切り干し芋作りをする。家族総出で忙しい一日が始まる。納屋か
ら出したサツマイモは井戸水で綺麗に洗う。茎や根を綺麗に取り去ったサツマイモの鮮や
かな紫色が青空に映える。野菜とは思えないような鮮やかな紫色が本当に綺麗だった。 
 洗ったサツマイモは台所に運ぶ。カマドには大きな羽釜が据え付けられ、入るだけの芋
を入れて茹でる。この時だけは水を替えずに次々に芋を入れて茹でていたように思う。 
 芋が茹で上がるとスイノウ(竹製のすくいザル)でバケツに入れて縁側に運ぶ。庭には
一面にムシロ(畳一畳分の藁製の敷物)が広げられている。縁側のすぐ横には手動の野菜
スライサーが据え付けられている。木製で四角のごつい機械で、子供が使うには怖いよう
な気がする機械だった。                             

 この野菜スライサーは丸い刃をハンドルで回転させ、野菜を同じ厚さにスライスする機
械で、元々は生こんにゃく芋をスライスして干すのに使った。こんにゃくの荒粉出荷には
欠かせない機械だった。家ではこんにゃく芋をスライスして篠竹に刺してすだれのように
ぶら下げて干し、乾燥したこんにゃくを粉砕して荒粉として農協に出荷した。     
 スライスしたこんにゃく芋は見ているが実際に自分でこの機会を使ってスライスした事
はない。こんにゃく芋の汁は触るとかぶれる毒性があるので子供にはやらせなかったとい
う事だと思う。父親は赤いビニール手袋をして作業していたように記憶している。   

 茹で上がった芋は少し冷まして熱くない程度になったらスライサーにかける。一旦バケ
ツの芋を台にあけ、一個ずつ穴に差し込むようにする。穴の下でクルクルと回転する刃で
約八ミリくらいの厚さに切られた芋が下からどんどん出てくる。スライスした芋はバケツ
で庭のムシロに運び、ムシロの隅から一枚ずつ並べて日に当てて乾かす。ムシロに並べる
のは妹達も手伝ってくれた。茹でて、スライスして、並べて干す、流れ作業のように忙し
い一日だった。作業はほぼ午前中いっぱいかかった。午後は乾いた芋をひっくり返す作業
をした。ムシロの藁に芋が張り付くので最初のひっくり返しはちぎれないように慎重にや
った。膝立ちで作業するので膝が痛かったが文句を言う子供はいなかった。      

芋を茹でた後に残る甘い蜜を舐めるのが子供の楽しみだった。 こんにゃく芋を切って干してあら粉にするのにこの機械を使った。

 一日芋を煮続けた釜の水は貴重な養分をたくさん含んでいるのでバケツで冷まして畑に
運び、野菜の肥料として撒いた。芋を煮た大きな羽釜の底には芋の蜜が大量に付着してい
て、それを指ですくって食べるのが子供達の楽しみだった。サツマイモの蜜はねっとりと
甘く、仕事を手伝ったご褒美かと思えるほど美味かった。              
 夕方になると芋を干していたムシロを畳む。湿気を食うのを防ぐためだ。ムシロは普段
四つ折りになっている。その四つ折りを利用して芋を収納する。まず干してある芋を中央
に重ねて寄せる。奥四分の一を折り返して芋に被せ、手前の四分の二をさらに上に折りか
ぶせるようにする。こうすると両端を持って移動させることができるようになる。四つ折
りした芋入りのムシロは縁側に重ねておく。子供には重い芋入りムシロだったが、頑張っ
て縁側まで運んだ。たまにポロポロ芋が落ちるが、それはご愛嬌。拾って元に戻した。 

 翌日から毎日芋入りのムシロを縁側から出して庭に広げ、芋を日に当てるのが子供の仕
事になる。数が多いので結構な手間と時間がかかる。この日光乾燥をきちんとしておかな
いと屋内での熟成乾燥の時にカビたり腐ったりすることになるから真剣だ。      
 晩秋とはいえ時には急に雨が降ってきたりする。そんな時は戦争のように忙しく動き回
る。少しでも雨に当てないように急いでムシロを半折りにして縁側に運ぶ。多少芋がこぼ
れても構わない。とにかく濡れさせてはならない。必死に動き回ってムシロを収納し、挙
句に雨が上がったりするとガックリと力が抜けたものだった。            

 二週間ほど天日干しした芋は二階の干し棚で熟成乾燥させる。特別なことをするわけで
はなく、竹で組んだ台にお蚕のカゴに茶紙を敷いた上に干し芋を並べておくだけのもの。
 こうして正月まで保管すると芋の表面には白い粉(こ)が吹き、甘くなる。家族がいな
い時にこっそりとつまみ食いするのもこの時だ。多い時は二・三枚食べていたのでバレて
いたとは思うが密かな楽しみだった。                       
 お正月様のお飾りに半紙を被せて神棚前に吊る切り干し芋が印象的だった。吊るし柿と
共に自宅で出来る甘い食い物で、特別の敬意を持って接していたように思う。正月を過ぎ
ると干し棚から下ろし、湿気を食わない茶箱に収納した。好きな時に食べられるおやつ代
わりになった切り干し芋。これしかなかったとはいえ、よく食べたものだなあと思う。 

出来上がった干し芋は湿気を食わないようにお茶箱で保管した。 残りの芋は芋穴で保管し、必要な時に取り出した。

 サツマイモも全部を切り干し芋にした訳ではない。家には芋穴があり、芋穴の奥に保管
していたサツマイモもある。料理用や来年の種芋用がそれだ。芋穴には少し腐ったような
匂いが充満していて入るのは好きではなかった。寒さにと湿気に弱いサツマイモは常に腐
る要素があった。芋穴の中でもその精細さは健在で、ジャガイモよりも保管には神経を使
っていたように思う。自分で出来ることは穴の蓋をきちんとすることくらいしかなかった
が、芋穴の出入りは神経を使った。                        

 昔は今と違って野生動物による獣害はほとんどなかった。甘いイチゴを作った時や甘い
トマトが鳥に食われるくらいで、サツマイモなどは何の被害もなかった。今はサツマイモ
を植えたりしようものなら鉛筆の太さくらいになった途端にイノシシの襲撃を受け、跡形
もなく食い散らかされてしまう。ジャガイモもサツマイモもトタンで囲った畑でなければ
作れない状態になってしまった。獣害がひどくなって農業を止めてしまった人もいるくら
いだ。特にサツマイモはイノシシの大好物なので作るにも覚悟がいる。        

 私は平成十五年の四月から平成二十三年の四月までの九年間、実家の畑を借りて東京か
ら野菜作りに通う週末農業に勤しんできた。平成二十年の夏にサツマイモを作ったのだが
、イノシシにやられて全滅してしまった経験がある。まるでユンボで掘ったかのように、
一晩で何もかもなくなっていた。近所の人に言ったら、「サツマイモはダメだよ、イノシ
シに餌をやるようなもんだからね〜」という言葉が帰ってきた。           
 イノシシが増えたおかげでサツマイモを作る事すら出来なくなってしまった。昔の畑仕
事が簡単だった訳ではないが、サツマイモを茹でて切り干し芋を作る秋の日が懐かしくな
るのは年齢のせいだけではなさそうだ。切り干し芋は作って食べるものではなく、買って
食べるものになってしまったからかもしれない。