山里の記憶254


もろこしまんじゅう:黒沢和義



2021. 3. 25


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 子供の頃、母親が冬にもろこしまんじゅうを作ってくれた。これがボソボソでひたすら
まずいまんじゅうで、好きではなかった。今から思えば健康食なのだが、当時はこれほど
まずい食べ物はないのではないかというくらい不味かった。             
 トウモロコシの収穫は真夏だ。暑いさなか、トウモロコシの畑で収穫をするのは楽しか
った。大汗をかいてカゴにトウモロコシを入れて家まで運んだ。家では大釜に湯が沸いて
おり、採ってきたトウモロコシをすぐに茹でて食べた。この茹でたてのトウモロコシは本
当に旨かった。頑張って働いた甲斐のある旨さだった。               

採りたてのトウモロコシはすぐに大きな釜で茹でて食べた。 茹でたトウモロコシは本当に旨かった。真夏のご馳走だった。

 トウモロコシの収穫は一気に行うので、大量のトウモロコシを収穫した。当日食べる分
はわずかなものだった。ほとんどのトウモロコシはそのまま皮を剥いて縁側の天井からぶ
ら下げて乾燥させた。トウモロコシの皮を剥いて実を出し、皮を天井の竹竿に結びつけて
ぶら下げる。雨が当たらず日当たりの良い場所で乾燥させる。食料の少なくなる冬場に向
けての備蓄食料だった。縁側にトウモロコシがぶら下がっているのはどこの家でも同じで
晩秋の風物詩だった。                              
 今のトウモロコシは水分が多く甘いので乾燥備蓄には向いていない。昔のトウモロコシ
は米国輸入の飼料用トウモロコシだったので乾燥させて備蓄食料に回す事が出来た。しか
し、今のトウモロコシに比べて、とにかくボソボソで、味は悪かった。それでもそれを食
べさせる事で子供を養うのが親の務めだったし、子供はそれを食べて日々を過ごすしかな
かった。                                    

 乾燥されたトウモロコシは秋にはカラカラになっている。これを縁側の天井から下ろし
専用の器具(トウモロコシカッター)でガリガリと実を落とす。丸い金属の筒で、内側に
歯が飛び出しており、筒でトウモロコシをグリグリと回し戻しすると実が取れるという器
具だった。鉄製円柱の側の板を十ヶ所ほど切り込み、三角に内側に折るというシンプルな
仕組みだったが性能は良かった。子供の力でも簡単に実を落とす事が出来た。     
 トウモロコシの実はゴミを取り除いてドウコッカン(一斗缶)という金属の箱に入れて
湿気を食わないように保存した。                         

 乾燥トウモロコシの実はそのままでは食べられない。石臼で細かく粉にする事が最初の
仕事だった。子供の力で石臼を回すのは難しいが、二人掛かりでやったりした。最初の粉
が出てくるまでが重いのだが、粉が出始めると一人でも回す事が出来た。       
 細かい粉にするには実を少しずつ入れる必要があった。母親から厳しく言われていたの
は「一回で三粒しか入れてはいけない」という事だった。ドウコッカンから石臼の上に一
合升で実を乗せて、それを一回石臼を回すごとに三粒づつ入れる。書くと簡単だが、三粒
づつ入れて一合の実を碾(ひ)くのにどれだけ時間がかかるか。そして石臼を回し続ける
腕力がどれだけ必要か。これはひたすら忍耐と根性の世界だった。          

 碾き終わると、四角の台から丁寧にミニほうきで粉を集めボウルに入れる。専用の目の
細かいフルイを使って粉を篩(ふる)う。篩った粉だけが食用に使われる。残った大きな
粒は再度石臼にかける時もあれば、そのまま家畜の餌になることもあった。子供がやった
時は二度碾きはしなかったように記憶している。当時は鶏もうさぎもヤギも飼っていたの
で餌を与える家畜はいくらでもいた。                       
 ここまでが子供が手伝える大仕事で、後のまんじゅう作りは母親の仕事だった。まんじ
ゅうを作る時は前日から小豆を煮て餡子を作っていたので「ああ、明日はまんじゅうの日
だな・・」とわかったものだった。まんじゅう作りを何度か手伝ったこともあるが、あま
り上手く作れた記憶はない。子供には荷が重かった。                

 もろこし粉は熱湯でこねる。水だとまとまらず生地にならない。鉄瓶の湯を使って母親
がこねるのを「熱そうだなあ」と思いながら見ていた。熱い熱湯でこねた生地が出来上が
れば、あとは普通のまんじゅうを作るのと手順は変わらない。            
 鉄鍋の餡子は一口大に丸められて皿に山積みになっている。生地をちぎり、手のひらで
伸ばし、餡子を乗せて生地で包んで丸くまとめる。くっつかないように並べておき、竃の
大釜の湯が沸いたら蒸籠の台を起き、布巾を敷いてまんじゅうを並べる。蒸籠は三段くら
い重ねていた。蒸す事約二十分でもろこしまんじゅうの出来上がりだ。        

 蒸したてのもろこしまんじゅうは旨かった。普通に食べられた。しかし、これが冷める
と、とても食べられたものではなかった。硬くて、ボソボソで、手からポロポロ落ちる皮
が情けないようなまずさだった。冬だから、すぐに冷たくなるのが悲しかった。    
 冷めたもろこしまんじゅうを手にして外に出て、餡子だけほじくり出して食べ、皮は床
下のウサギに投げてやったこともあった。餡子は旨かったが皮は食べられなかった。今か
ら思えば、大量にあった小麦粉を何割か混ぜればもっと美味いまんじゅうになったのでは
ないかと思うのだが、なぜ小麦粉を使わなかったのだろうか。            

冷めたもろこしまんじゅうは囲炉裏の灰に埋めて焼いた。 カリッと焦げたのが旨かった。灰をマッコで叩いて落とした。

 しかし、食べ物は粗末に出来ない。このまずく冷たいもろこしまんじゅうを美味くする
方法があった。囲炉裏の灰に埋めて温める方法だった。囲炉裏の火の近くの灰に穴を掘り
、まんじゅうを埋めておく。囲炉裏では一日中火を燃やしていたから灰は常に暖かい。こ
の灰に埋めておくと三十分くらいでまんじゅうはホカホカと暖かくなって、それなりに食
べられるものになった。火が強いと焦げたりしたがそれはそれでカリカリと食べられた。
 まんじゅうに付いた灰を囲炉裏のマッコ(縁の木枠)で叩いて落とした事をよく覚えて
いる。服の袖で灰を拭き落としてまんじゅうを割ると湯気と餡子が見えた。それが食欲を
かき立ててくれた。餡子と皮を均等に口に入れるのがコツだった。一緒に噛めばまんじゅ
うの味がした。あとは飲み込むだけだ。                      

 まずいものをいかに美味しく食べられるようにするかはとても大事な事だった。子供が
多く食べ物が少ないのだから当然といえば当然のことで、みんなで工夫していたような気
がする。お金がなかったから工夫するしかなかった。                
 トウモロコシの粉をまんじゅうではなく、お粥のように炊いて食べたこともあった。囲
炉裏の鉄鍋でコトコト煮るのだが、これもまずかった。しかし、このお粥にラードをサジ
(スプーン)一杯加えて煮込むと美味くなった。また、白菜の古漬けを油で炒めたものと
一緒に食べると妙に美味しかった。味付けとか副菜でまずいお粥も美味しく食べる事がで
きた。この事が大人になって料理好きになった遠因ではないかとも思っている。今だった
らもっと工夫して美味い料理にしてみんなに食べさせられただろうなあ・・などと思って
みるのだが、果たしてどうだっただろうか。                    

もろこし粉のお粥はマズかった。でも食べるしかなかった。 どうしたら少しでも美味くなるかと、いろいろ工夫した。

 山里の記憶の取材の中でもろこしまんじゅうを取材した事があった。十二年前の四月の
荒川での取材だった。この時に食べたもろこしまんじゅうは本当に美味しかった。昔のも
ろこしまんじゅうとは雲泥の違いで本当に驚いた。                 
 今のもろこし粉は品種も違うし、粉の細かさも違う。まんじゅうにしても十分美味しく
食べられるものだった。昔のもろこしは飼料用でカラスも食べないと言われたくらいの味
だった。それでも採りたてを茹でたものは旨かった。しかし、粉にするとまずかった。石
臼で碾いた粉は細かいといっても限度があるし、今のように細かく製粉出来ないから味も
悪かったのだろう。何もかも今のトウモロコシとは違う。ということは、昔のあの味を再
現することはもう出来ないということだ。嬉しいような寂しいような変な気がした。  

 昔の味を再現しようとしてもそれは難しい。まして五十年前のものとなると、材料も違
うし調理方法も調味料も違う。記憶の中の味は記憶の中で完結しておいた方がいい。本当
にまずかったと記憶している味を、今食べたらとても悲しい味になるだろうから。   
 それでも時々無性に昔食べた味が懐かしく思い出される事がある。もろこしまんじゅう
もそのひとつだ。囲炉裏で暖め直して、少し焦げたまんじゅうを割った時の独特の匂いと
湯気が懐かしい。ボソボソした食感もありありと思い出される。少し塩っぽいお袋の餡子
の味と相まって思い出す。あの味はもうないのだと思いながら懐かしい。