山里の記憶241


奥宮祭り:加茂下陽造さん



2019. 11. 17


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 十一月十七日、秩父荒川・贄川にある猪狩神社(いかりじんじゃ)の秋例大祭・奥宮祭
りを取材した。取材したのは猪狩神社・保存会長の加茂下(かもした)陽造さん(六十九
歳)で、朝八時から行われる清掃から猪狩山登山・頂上での神事を取材した。     
 猪狩神社の奥宮は猪狩山の山頂にあり、年に一度十一月の第三日曜日に秋祭りで神事が
行われる。氏子十一軒で維持されている猪狩神社は大神(おおかみ)信仰でも有名で、最
近は多くの参加者が同行するお祭りになって来た。この日も三十人を超える参加者が険し
い登山をして神事に参加した。                          

 朝八時から氏子が集合して神社周辺の清掃を行う。今年は台風十九号の出水で神社横の
水路に土砂が溢れ、その修復も行われた。十一軒の氏子が集まり様々な打ち合わせや確認
事項が伝えられる。本当によくまとまっている耕地の姿に驚かされた。        
 土砂防止の石垣が、見ている前で組み上がる様は感動的ですらあった。担当したのは磯
田厚(あつし)さん(六十八歳)で、石垣積みの名人だ。石を運ぶ連携作業も完璧で、普
段から交流があるからこそ息の合った作業になっている。清掃は担当が決まっており、誰
もが担当の場所で黙々と作業する。陽造さんはツツジなどの刈り込みをやっていた。刈り
込みは年に一度、この時だけに行う。清掃終了後解散して十時に再度集合する。    

 十時半、一般参拝者も社殿前に集まり、磯田喜次(よしつぐ)さんの挨拶と注意事項の
連絡があった。いよいよ一列になって猪狩山への登山が始まった。神社横に登山道があり
、その道を登る。時間にして一時間くらいとのこと。急斜面の山登りだ。陽造さんは孫の
愛子ちゃん(八歳)と一緒に登る。愛子ちゃんは今回で三回目の登拝だそう。すごいなあ
と思いながら後について登った。現役の山伏さんが最後尾で法螺貝を鳴らしながら登リ始
めた。長い長い氏子と参拝者の列になった。                    
 九十九折の登山道が上へ上へと伸びる。すぐに息が荒くなり、額から汗が流れる。思っ
た以上に傾斜がきつい。おまけに枯葉と乾いた土で足が滑る。一歩一歩慎重に歩くが先頭
が早いので自分のペースが掴めない。大汗をかいたところでやっと一回目の休憩。ほとん
どの人が腰を下ろして休む。                           

九十九折の山道は急勾配。一列になって登る参拝者。 本山派の山伏さんも参加している。最後尾から法螺貝を吹きながら。

 氏子の人達はそれぞれ唐鍬や熊手などを持って登山している。見ると一般の参拝者も熊
手を持っている人がいる。聞くと、登山道をならし、落ち葉を掃きながら登るのだという
声が返って来た。「今年は台風の大風で落ち葉が飛ばされたみたいだけど、いつもは落ち
葉が積もっていて滑るんだよ・・」と陽造さんが言う。今年は紅葉が遅いので落ち葉も少
ないのかもしれないと参拝者の一人が呟いていた。参拝者にとってはただの登山ではなく
聖域を清めながら、整備しながらの登拝なのだ。                  
 十年ほど前までこの山は女人禁制だった。陽造さんは「そういう事を言ってたら参拝者
も少なくなるし、人がいっぱい来てくれた方が楽しいかんねぇ・・」と笑う。この日の参
拝者も女性が多かったので、女人禁制解除は賢明な判断だったのだと思う。      

 杉林の急登から岩山登りへとさらに傾斜がきつくなる。ロープが張ってある場所が増え
足場がさらに悪くなる。見下ろす角度は四十度位か、一歩足を滑らせたら大変なことにな
りそうだ。紅葉が太陽の光を通して鮮やかだ。しかし、鑑賞している余裕はない。狭く急
な登山道は岩場もあり緊張の連続となる。木の根や岩を掴みながら這うように登る。  
 額から汗が流れ落ち、息も苦しくなって来た時にやっと山頂に到着した。思った以上に
厳しい登山だった。頂上には石の祠が二つ建っており、平らな広場は三十人も人が集まっ
たらいっぱいになりそうな狭さだった。氏子や参拝者が大きなヒノキの葉の上に持参した
赤飯を供える。赤飯は氏子の各家から持参したもののほか、参拝者が持参したものもあり
何種類もの赤飯が並んだ。柿・蕪・ほうれん草・サンマの開きなども供えられる。また、
お酒や何種類ものお菓子も供えられた。                      
 本来ならサンマを山頂で焼いて食べるのだが、今日は風が強いので中止になった。なぜ
サンマを食べるのかはわからない。昔からそうだからという答えだった。       

 並んでいる二つの祠。右の大きな祠には伊弉諾尊(イザナギノミコト)、伊弉冉尊(イ
ザナミノミコト)が祀られている。左の小さな祠には猿田彦神(サルタヒコノカミ)が祀
られている。山頂から開けた裏側には小鹿野と両神の街並みが下に見える。日当たりは良
いが風が強く吹き抜けて寒い山頂だった。木々が風に煽られてヒューヒュー叫んでいる。
大汗をかいたので服を着替えている人が多い。風が寒いのでウインドブレーカーを着た。

氏子と参拝者が山頂の祠に持参したお供えを置く。赤飯が多い。 正装の宮司・神官による奥宮での神事が厳かに始まった。

 一緒に登って来た宮司の逸見さん、神官の宮内さんと島田さんが神官装束に着替え、神
事が始まる。神事が始まると、不思議なことに風がおさまって穏やかな山頂になった。 
 お祓い、三人奏、祝詞(のりと)奏上、神官玉串奉奠(ほうてん)、氏子玉串奉奠、参
拝者全員の玉串奉奠、宮司挨拶、と神事が進んだ。神事の間、参拝者は全員脱帽し低頭す
る。厳かな時間が流れる。ここが急峻な山の山頂という事を忘れる時間だった。神事が終
わったのが十二時半で、お腹が空いて鳴り出して困った。              
 神事が終って全員の乾杯が行われ、参拝者全員の集合写真を撮った。陽造さんと愛子ち
ゃんを中心に全員が並ぶ。狭い山頂なので整列も大変だが、撮影する方も大変だ。私は記
録用に撮影しなければならないので後ろの崖を気にしながら両手を精一杯上に伸ばしてカ
メラを操作した。笑顔の三十人がカメラに収まった。                

 全ての神事と撮影が終わり、直会ともなる昼食になった。お供えの赤飯を食べるのも直
会だからこそ。お供えの野菜などは持ち帰り、お菓子などはその場でみんなで分けて食べ
る。飲める人はお供えの酒を飲む。たくさんのお菓子を分けて頂いた。毎年参加している
という女性はこの時間を楽しみにしているのだと笑っていた。            
 そのほかに参拝者は思い思いの昼食を食べる。私は陽造さんから赤飯の差し入れを頂い
て食べた。赤飯を山頂で食べる行為は大神(オオカミ)信仰のお焚き上げという神事につ
ながる行為なのだと思うが氏子の人達にそういう意識はない。            

 昼食の間に「今日の登拝の記念に・・」と氏子の堀口さんが猪狩神社の木札のお守りを
配った。表に猪狩神社の文字の焼印、裏にオオカミ像の焼印が押されている。材料はケヤ
キだが、昨年台風で倒壊した大鳥居の柱を板にしたものだという。白い紐で首にかけられ
るように出来ていた。参拝者もサプライズプレゼントに大喜びだった。この日、ここに参
拝しなかったら頂けなかったお守りだ。大鳥居が材料のお守りというのもすごい。   
 倒壊した大鳥居だが、来年の春祭りまでに場所を替えて再建の予定だという。社殿に登
る石段の手前に建築が決まっているとのことだ。                  

参拝者全員の集合写真を撮る。狭い山頂で撮影も大変だ。 最後の神事「鬨の声」三唱。勝どきとも遠吠えとも言われている。

 昼食を食べ終わって最後の神事が始まる。全員で集落の方向に向かって両手をあげ三回
鬨(とき)の声を上げるというもの。この風習の話を初めて聞いた時に感じたことは「こ
れはオオカミの遠吠えなのではないか・・」というものだった。大神(オオカミ)信仰の
神社で行われる神事なのだからきっとオオカミと関連するものだろうと思ったのだが、陽
造さんも他の氏子の方も「そういう事はわからないねぇ・・」という返事だった。   
 神社の案内書きには「十一月第三日曜日、秋祭り。奥宮で日本武尊が猪を追い払ったと
きあげた雄叫びの故事にならい、氏子・参拝者たちによる鬨(とき)の声をあげる神事」
と書かれている。                                
 長老の陽造さんが音頭を取って全員が「うお〜・うお〜・うお〜」と三回叫んだ。両手
を上げて叫ぶのだが、この時両手は内側に手のひらを向けるのが本式だという。叫ぶ声も
陽造さんが言うには「うお〜」ではなく「祝おう〜」と叫ぶのがいいとのこと。これは陽
造さんが考えたことで伝統ではない。でも、確かに「祝おう〜」でいい気がする。   
 この神事の由来などは誰もわからないが、この神社ならではの奇習だ。日本武尊に由来
するのだから古い古い話なのだと思うが、私はどうしてもオオカミの影を感じてしまう。

 参拝者が一列になって下山する。スニーカーで登って来た人は足元が滑るので大変だっ
たようだ。慎重に下山して膝が笑うのを我慢して無事に神社に戻る。神社には氏子各家か
ら供えられた赤飯がアオキの葉に乗せられてずらりと並んでいた。          
 神社の階段を降り、陽造さんの家にお邪魔してさらに色々な話を聞く。三時から公民館
で秋祭りの直会が始まるということで三時に取材は終了した。            
 一日山に浸って体は疲れたが心は満たされた取材だった。