山里の記憶240


樹皮細工:山中正彦さん



2019. 10. 08


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 十月八日、秩父郡小鹿野町両神小森の滝前に樹皮細工の取材に行った。取材したのは山
中正彦さん(六十一歳)で、ナタの鞘になる樹皮細工の技を見せていただいた。取材した
山中正彦さんは「おがの紙すき伝承倶楽部」の会長を務めるなど、多くの山仕事の技を伝
える若き伝承者だ。スカリ作りや紙漉きの技を伝える講習会も行なっている。     
 樹皮細工の文化は東北が盛んで、角館の山桜の樹皮を使った伝統工芸品は大きな産業に
もなっている。残念ながら秩父では樹皮細工の文化は大きく育たなかったが、山仕事をす
る人は個人的にナタの鞘や鎌の鞘を樹皮で作っていた。その技の一端を今回見ることが出
来た。正彦さんはナタの鞘や鎌の鞘などすべて自分の手で作っている。        

 樹皮を利用する木は数多い。有名なのはキハダで、内皮が薬用に使われる。正彦さんも
採集したキハダの内皮を保管していた。ひとかけらなめてみたら苦いこと苦いこと。胃薬
の味だった。今は肌に良いと言う効能も発見されており、キハダソープなどの製品も作ら
れている。メグスリノキは樹皮を煎じた水で目を洗うと良いと昔から珍重されている。こ
れらは樹皮を活用するという意味では利用に当たるが細工して利用する木ではない。  
 今回使ったサワグルミの樹皮あるいはヤマザクラの樹皮、クルミの樹皮、ヒノキの樹皮
などが主に細工物になる。有名なものはヤマザクラの樹皮。使えば使うほどに艶を出す樹
皮は様々な加工物に使われる装飾品だ。昔からナタの鞘や大事な道具の柄の飾りに使われ
ている。ヒノキの樹皮も独特の艶を持ち、丈夫なのでナタの鞘などに使われる。クルミや
サワグルミの樹皮は内皮のタンニンの作用で内側が黒くなり、表裏を交互に編むと白黒の
市松模様ができる。                               

 秩父の樹皮利用の例としては大滝の廣瀬利之さんに取材したサワグルミの樹皮を利用し
たビク作りがある。渓流釣りをする時にサワグルミの樹皮を剥いで二つ折りにしてふじツ
ルで縛ってビクにするもの。ビクが魚でいっぱいになったら木の枝にかけておき、後で回
収する。廃棄する時もそのまま廃棄できる。                    
 また、「すっぽ抜け」という技法を使ってホウノキの樹皮を丸いまま取り出し容器にす
る例がある。漆の掻き取りに使われる容器で、六月頃の樹皮が柔らかい時に作られる。 

 昔はヒノキやスギの皮を剥いで乾燥させ屋根材や壁材に使ったが、最近はなくなった。
桧皮葺(ひわだぶき)のヒノキは特別に仕立てるもので、普通のヒノキ樹皮ではない。ヒ
ノキやスギの樹皮を利用することがなくなって、樹皮は単なる廃棄物になってしまった。
実に勿体無いことだと思う。                           
 正彦さんもそんな思いからせめて自分が使う道具には樹皮で作った鞘を使いたいと樹皮
の鞘作りをしていると言う。山仕事には様々な道具があり、専用の入れ物が必要になる。
 昔の人は自分なりに工夫して使いやすい入れ物を作ってきた。その伝統を自分の手で伝
えたいという正彦さんは何でも自分で作ってしまう。それも、釘や針金などの金属を使わ
ず自然素材だけで綺麗に作ることを信条にしている。様々な樹皮で作った細工物を見せて
もらった。どれも素晴らしい手業だった。                     

 今日の取材はサワグルミの樹皮を使ったナタの鞘作り。正彦さんはサワグルミの太い枝
を使って皮むき用鎌の使い方を実演してくれた。木の皮を剥くのは普通六月から九月まで
の木が水を吸い上げている時期に行う。切り倒した木をノコギリで横に切り目を入れ、縦
に皮むき用鎌で切り目を入れる。切り目に沿って専用のヘラで樹皮を剥く。水を吸い上げ
ている木はスルリと皮が剥ける。枝があると樹皮の利用範囲が狭くなる。樹皮を剥くのは
枝のない平滑なものが良い。昔は樹皮を利用するために枝打ちをして専用の木を育ててい
たらしい。                                   

サワグルミの樹皮は四つ折りにして鞘の本体にする。 白い樹皮の表を出して帯を編み込むことで白黒の市松模様になる。

 今回使うサワグルミの樹皮は二年前に採取して乾燥保管していたもの。それを水で柔ら
かく戻したもの。柔らかくないと細工や加工が難しい。台の上で木工用のカッターを使っ
て樹皮を切断する。定規を使って慎重に図面通りに切断する。大きさは幅十センチ、長さ
は七十八センチ。これが本体になる。中央と両方二十センチのところを直角にヘラで線を
引き、折り目をつける。折り目から内側に曲げて四つ折りすると鞘の原型になる。   
 中央から右側二十センチまでを縦六等分にカッターで切り目を入れる。同じように左側
二十センチまでを今度は五等分にカッターで切り目を入れる。鞘本体の加工はここまで。

 部品を作る。サイドを補強する部品を二個。幅四センチ、長さ十九センチの樹皮を横目
カットして中央で二つ折りにする。この部品は鎌の先がぶつかる部分で、補強のためにサ
イドに組み込むもの。横目で使うのは鎌の刃が当たる部分になるからで、縦目にすると刃
が当たった時にすぐに切れてしまう。                       
 編み込む帯状の樹皮を作る。二センチ幅でなるべく長く綺麗な帯をカットする。三本く
らい作って編み込む。最初に編み込む帯は先端を細く斜めにカットしておく。カットする
ことで全体が斜めにスムーズに編み込めるようになる。               

 本体の樹皮を四つ折りにして、サイドに部品を両側からはめ込む。編み込み帯の細い先
端を最上部左隅に差し込み、交互に切り込みをくぐらせて編み込む。折り返して裏側も編
み込む。指先に力を込めてぎっちりと隙間のないように編む。折り返しで樹皮にヒビが入
っても出来上がりの強度には問題ないので気にしない。樹皮にしっかり水を含ませて柔ら
かくしておくと編み込みの作業はスムーズになる。                 
 正彦さんは途中から緒通し(おどおし:竹製の器具)を使って帯の先端を通したり引き
抜いたりした。素材が強く指の力だけでは無理なので器具を使っているとのこと。最後の
編み込みは指先に力が入るので爪がボロボロになる。微妙なところは指で調整するので手
袋はしない。帯のつなぎは見えないように裏側で重ねてつなぐ。編み込みなので抜けるこ
とはない。                                   

最後の編み込みは緒通しを使って慎重に編み込む。 出来上がったサワグルミ樹皮の鞘。満足そうな正彦さん。

 最後の方は力技だ。正彦さんの顔が真っ赤になる。それくらい力を入れないと最後の編
み込みはできない。緒通しが折れないかとハラハラしながら見ていたが「けっこう大丈夫
なもんですよ・・」と言いながら笑っている。最後の帯を引き抜いて残った端をペンチで
切り落とし、サワグルミ樹皮の鞘が出来上がった。                 
 表の白い樹皮と裏の黒い樹皮が交互に市松模様を作る見事な樹皮の鞘だ。しかし、まだ
作業が終わった訳ではなく、正彦さんは次の作業にかかる。樹皮を細くカットして三つ編
みにして紐を作った。これは裏側につける腰紐の口輪になる部品だ。裏の縦帯に通して輪
を作って結ぶ。細い樹皮の三つ編みは「けっこう強くて切れないんですよ」とのこと。こ
の口輪を付けて鞘が完成した。                          
 完成したナタの鞘だが、このまま放置しておくと樹皮の反発力で乾燥しながら丸くなっ
てしまうので、重石をして二週間くらい乾燥させる。「持っていくかい?」と言われて出
来たばかりの鞘をいただいたので、乾燥は自宅でやることになった。         

 正彦さんは地元の小鹿野高校を出て自衛隊のレンジャーを経て地元の両神工業に就職し
た。山の仕事をしたかったという正彦さんが選んだのは測量の仕事だった。森林インスト
ラクターの資格を取り、様々な活動の幅が広がった。今はやまびこ企画という名前で様々
な山に関する活動をしている。山のバッジ作り、山菜販売、釘や針金を使わない竹箒作り
、カエデの樹液採取、登山道整備などと忙しい。                  
 また、二十年前から会長をしている「おがの紙漉き伝承倶楽部」の活動が素晴らしい。
材料のカゾを栽培するところから始まり、寒い時期に皮むき、川晒し、紙漉きという全て
の工程を自分たちの手で行うというもの。伝統の技を再現し、後世に伝える活動だ。  

携帯が通じないんがいいんだよと自論を語る正彦さん。 奥さんが作ってくれたおっ切り込み。具沢山で美味かった。

 両神の滝前という山里で山仕事と向き合い、狩猟などもしながら生き生きと暮らしてい
る正彦さん。その姿勢が素晴らしい。「狩猟も三十年やってるけど、六十一じゃあまだま
だヒヨッコだいね・・」と笑う。奥さんの茂美さんに聞くと、環境がいいところだから暮
らしに何も不自由はないとのこと。最後に「携帯が通じないところがいいよね」と正彦さ
ん。SNSに翻弄される世の中に苦言を呈していた。                 
 シュロの葉のハエたたき、オヒョウの樹皮で作ったスカリなどを見ながら話していると
奥さんが「こんなもんしかないけど食べて行きない・・」とお椀いっぱいに盛ったおっ切
り込みを出してくれた。ムカゴの丸揚げ、大根の浅漬けも出てきた。大根の浅漬けは正彦
さんが漬けたものだそう。どれも美味しかった。山里の技と味に包まれた取材だった。