山里の記憶238


山芋ステーキ:大島瑠美子さん



2019. 8. 27


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 八月二十七日、長瀞町・野上下郷(のがみしもごう)に山芋ステーキの取材に行った。
取材したのは大島瑠美子さん(七十七歳)で、自身が経営する「かわらんち」というカフ
ェでの取材だった。銘仙の取材で伺った折に食べた山芋ステーキが美味しくて申し込んだ
取材だった。「こんなもんでいいんかさあ・・」という瑠美子さんを説得して話を聞かせ
てもらった。                                  
 瑠美子さんは今年で五期目になる現役の長瀞町議会議員だ。なぜ「山芋ステーキ」を考
え出したのか聞いたところ、観光協会の理事をやっていた頃に長瀞の名物を作ると言う話
が出て、その時に発案したのだと言う。「長瀞の”とろ”と、山芋の”とろろ”をかけてね、何
かできないかなあって思って考えたの」と町おこしのために始めた事を話してくれた。 
ただ、材料費がかさむので飲食店の方々にはあまり賛同がもらえなかった。だったら自分
でやろうとカフェで始めたメニューだとのこと。                  

野上下郷にあるカフェ「かわらんち」の前に立つ瑠美子さん。 瑠美子さんが留守の時に店頭に掲げる看板。客は自由に出入りする。

 材料はヤマトイモ。今は群馬産の「尾島やまといも」と千葉産の「多胡やまと芋」の二
種類を使っている。一本で二食分くらいになるが、材料費はぎりぎりだ。       
 山芋ステーキ作りはまず長ネギを刻むことから始まった。ステーキの上に振りかけて薬
味にするので細かい小口切りにする。作業をする瑠美子さんの動作が早い。ずっと話しな
がら作業するのだが、口も手も実に早くて狭い厨房で動きを追うのが大変だった。   

 ヤマトイモを袋から出し、水道の水を流しながら皮をむき、丁寧に根や汚れを落とす。
水道の水を流しながら作業すると痒くならない。山芋の液が肌に付いたらすぐに水で洗い
流す事で痒くならない。皮をむいて小さな汚れなども綺麗に削り取る。山芋は真っ白にな
ってまな板の上に置かれる。                           
 すり下ろすのはおろし金を使う。おろし金は三個を使い分けている。細かい目で下ろす
ので食感がふわふわになる。芋を下ろして下ろし金の裏側にくっついたすり芋はタッパー
の中の芋で下から叩くと自然にタッパーに落ちる。「やってる人の知恵だよね・・」と瑠
美子さんが笑う。下ろしたての新しい芋の方が焼いた時にふわふわになる。      

 山芋ステーキ専用の鉄皿があり、それをガス台の上に置く。ガスを点け、熱した鉄皿に
バターを溶かす。バターは十グラムくらいをあらかじめ四角く切ってある。      
 すりおろした山芋を鉄皿に乗せ、ネギをたっぷり散らせて焼く。火は強火だ。しばらく
焼いたら専用のタレをたっぷりかけてジュージューと焼き上げる。ソースをかけると厨房
に火柱が立つほど火力は強い。焼きあがったステーキ皿を器具で引っ掛けて板の台に乗せ
て厨房のテーブルに出す。湯気と煙がすごい。じゅうじゅう鳴っているステーキに花かつ
おをたっぷり乗せれば山芋ステーキの完成だ。                   

 ステーキソースの作り方を教えてもらった。中身は酒三割、みりん三割、醤油四割の割
合で混ぜたものを使っているとのこと。今回、酒は白扇、みりんはミツカンの本みりん、
醤油はキッコーマンの醤油を使っていたが、銘柄は関係ないと言う。「たまたま、あった
ものを使っただけでねえ・・」と笑う。                      
 あっという間に出来た山芋ステーキだったが、瑠美子さんなりの哲学もあった。材料代
などのコストよりも、作る時間がかかる料理はダメなのだと言う。素早く作れる料理だか
らいつでも提供できるのであって、手間がかかる料理ではいずれ採算が合わなくなる。カ
フェ経営者としての明快な発想だ。                        

やまといもは水道の水を流しながら処理をすると痒くない。 出来上がった山芋ステーキ。ふわふわ・とろとろで実に美味しい。

 「温かいうちに食べなよ」と言われて、お店のテーブルで山芋ステーキをいただいた。
ふわふわの食感とソースが焦げたところが香ばしくて美味い。大量の花かつおが山芋に良
く合う。実に美味い山芋ステーキにだった。お店ではこれを五百円で提供する。定食にし
て七百円だ。初めて食べるという人が多いが、みんな気に入ってくれるという。    
 柔らかいのでお年寄りが喜んでくれるという。入れ歯の人も気にしないで食べられると
評判がいい。また、お年寄りのお客様にはご飯も柔らかく焚いて出す。ご飯の量も聞いて
から盛るようにしている。                            

 店内にはたくさんの本があり、自由に読むことができる。自分が留守の時も鍵は空けて
おいて、誰でもいつでも入れるようになっている。地域のお年寄りがいっぱい立ち寄って
くれるカフェになっている。                           
 瑠美子さんは買い物などで店を空ける時も店の鍵はかけない。代わりに只今出かけ中と
いう看板を出しておく。「フジマートorやおよしに行ってます」と書いてある看板だ。こ
の看板に瑠美子さんの携帯番号が書いてあり、いつでも連絡できるようになっている。 
 この看板には瑠美子さんのお店にかける心情を書いた言葉が三つ書かれている。   
・かわらんちはお客様に対して上機嫌で接しています。               
・世間ばなしの大合唱も実をいうと生きてるよろこび。               
・人生を勝ち負けで決めると数多く笑った方が勝ち組だよ。             
 こんな瑠美子さんの主張がこの店のポリシーになっている。            

 最近は足の悪い人が多くなってきたので椅子席を使う人が多くなった。座卓は奥にある
が、これは小さい子供を連れた若い奥さんが使うことが多いそうだ。乳幼児を連れてくる
人は椅子席ではなく床に座れる座卓の席がいい。また、消防団などの常連客も飲むことが
多いので座卓を使うことが多いとか。お年寄りや地域の様々なお客様の要望に対応してい
るお店だった。                                 

 カフェの二階は銘仙館というミニ博物館になっている。この銘仙館について瑠美子さん
に聞いてみた。「七十五歳になった時に何かしたかったの・・」と銘仙館を作るに至った
話は以下の通りだった。瑠美子さんの父の兄が大きな機屋(はたや)を野上でやっていた
。昔、長瀞や野上には機屋がたくさんあって様々な織物が織られていた事は長瀞町誌にも
書かれている。そんな環境で育ち、家にあった開かずの四畳半で発見された大量の銘仙の
着物を何か生かしたいと考えた結果、織物博物館を作ろうと思ったのだという。    

 長瀞町の村田ミキさんの家も元機屋で、機織の機械や銘仙の着物が大量にあった。そこ
で二人で集めた着物や機械類を出し合って銘仙を後世に伝える博物館を作ったとのこと。
 瑠美子さんは古物商の免許を取り、古い座繰り機・糸巻き機を買い集めて展示している
。素晴らしいのは全て触って良い展示になっていること。織物や古い機械の感触を楽しむ
のもいいし、実際に自分で動かして糸を繰る事も体験できる。「子供達に体験させるのが
目的で始めたの・・」と瑠美子さんが言う。                    

カフェの二階は「銘仙館」というミニ博物館になっている。 古い織物関連器具が実際に触って動かせるのが楽しい。

 展示品には短い文章の説明が付いていて誰でも銘仙の歴史を学ぶことができる。瑠美子
さん曰く「説明は三行にしないと読んでくれないの・・」公民館時代に実感したことだと
いう。だから銘仙の難しい説明も三行以内に簡潔にまとめられている。説明が実にわかり
やすいのもありがたい。                             
 公民館の仕事を長くやっていたので色々な人と関係が出来たことが財産になっていると
いう。障害者の餃子作り教室をやった時のことだった。どんなに大きさや形がバラバラで
も手直しをせず、そのまま焼いて餃子を作った。手を貸さないことがポイントだった。そ
んな経験も今に生きている。                           

 元気に動き回って、何でもやってしまう瑠美子さんだが、その元気さはどこから来てい
るのか聞いてみた。「そんなに順調な人生じゃなかったのよ・・」と子供時代の話をして
くれた。十九歳の時に父親が交通事故で亡くなった。野上駅前で大島食堂をやっていたの
だがいきなり未来が途絶えた。学校を出てすぐに働き、塾をやったりして家計を支えた。
幸い、長瀞町役場に仕事が決まり、生活が安定した。定年まで様々な仕事を体験できたこ
とがその後の長瀞町議会議員への道筋になった。                  
 二十八歳の時に同級生だったご主人と結婚した。「やっけえだから一緒になっちゃうか
?」というプロポーズだった。ご主人は国鉄職員で八王子の寮に住んでいたが休みの日に
古沢園という実家に帰って来て家の手伝いをしていた、当時、古沢園では椎茸の栽培をし
ていた。国鉄は休みが多かったので良く家の手伝いも出来たようだった。       

 色々な人に出会い、話し、笑って来た。支えてくれた家族や友人・知人に恩返しをする
のがこのお店の存在なのだという。瑠美子さんは元気に動き回りながら様々なことを話し
てくれた。まだまだ当分動き回る日々が続きそうだ。