山里の記憶235


お姿を刷る:磯田喜次さん



2019. 6. 15


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 六月十五日、秩父市・荒川地区の古池(ふるいけ)耕地に磯田喜次(いそだよしつぐ)
さん(六十六歳)を訪ねた。喜次さんは古池耕地の氏子総代長を勤めている人で、猪狩神
社(いかりじんじゃ)の運営を中心になってまとめている。十一軒の氏子の内五人が総代
で、世襲制になっており、その中の代表という位置付けになる。今日は猪狩神社で発行し
ている「お姿」と呼ばれるお犬様のお札を刷る作業を取材した。           

 猪狩神社は古池耕地十一軒の氏子だけで運営している神社で、猪狩講という講の受け入
れも氏子だけで行なっている。講のお札は御眷属の包みに「お姿」と呼ばれるお犬様のお
札が入ったもの。四月第三日曜日の春祭りに講の皆さんに配布される。講員数は高齢化に
伴い年々減少しているが、遠くはさいたま市の浦和講や蕨市のわらび講などがある。近場
では、二十人くらいの越生講がある。二十人以上の団体もあるし個人で来る人もいる。今
年は百三十講くらいだった。昔は三百から四百くらいの講があったという。講員の接待も
昔から氏子だけでやっている。近年は狼信仰に関わる貴重な習俗として研究者も多く訪れ
るようになっている。                              

 なぜ、今の時代でも猪狩講が続いているのか聞いてみた。喜次さんの話では、昔盗難に
遭った人がお札のお陰で大事に至らなかった事から神社のお陰だという事で周囲の人に紹
介して出来たものらしい。現在は自動車会社や居酒屋など商売繁盛を願う講になっている
ようだとのこと。神社に関わりのある人が広めてくれたのではないかとのこと。最近は高
齢になったのでと中止する人も多くなって来た中でよく続いているなあと思う。としみじ
みと語ってくれた。                               

 春祭りの準備は三月末に氏子が古池区公会堂に集まって行う。御眷属の袋を始め、お姿
や他の数々のお札を手刷りで作成する。機械印刷ではない手刷りの暖かさが味わい深く、
参拝者には好評だ。お犬様のお札は秩父の多くの神社が発行しているが、氏子が手刷りで
発行するのはここだけだと思う。お犬様のお姿以外にも「火防之神璽」「盗賊除神璽」「
四足除御守護」などのお札を刷る。真っ赤な「猪狩神社参拝」のお札は春祭りに参拝した
人に持ち帰ってもらう為の笹に付けるお札だ。これらを全て氏子が手刷りする。    

磨き込んで長い間使われて来た版木は角も丸い時代物。 お犬様の札以外にもたくさん手刷りの札がある。

 そのお札刷りの作業を見せてもらえることになった。喜次さんが新聞紙に包んだ板木を
出して来た。包みを開けると黒光りする版木が台座に据えられたものが出て来た。明治時
代に相当硬い木に彫られた版木はすり減って角が丸くなっているようだった。うっすらと
お犬様の像が浮かんで見える。                          
 喜次さんはインクの箱を出して缶の蓋を開けた。インクは油性で印刷に使われるインク
だとのこと。以前、浅井紙工に勤めていた人が調達して来たもの。缶のインクを棒でかき
混ぜ、分離した油を全体になじませる。靴磨き用のブラシにインクを少量付けて、版木の
刷る部分にだけ慎重に塗る。版木にインクが馴染むまで何枚かは上手く刷れない。濃く刷
ると油性インクの油分が滲んで茶色く変色するのでなるべく薄く刷るのだという。猪狩神
社のお犬様のお札がなぜかかすれているものが多いのはそういう訳だったのだ。わざと薄
く刷っていたという訳だ。                            

 紙は障子紙の厚手のものをお札サイズに切って使う。そっと慎重にインクを塗った版木
の上に紙を置く喜次さん。「これはいつも二人でやるんで勝手が違うねえ・・」という。
 手作りのバレンを取り出して右手に持ち、「一回で刷るんだいね・・」と言いながら紙
の上をバレンで一回だけこする。バレンを置き紙を剥がすと、お犬様のお姿が刷られてい
た。一回だけ刷るというのも驚きだった。息を止めて慎重に一回だけ刷る一発勝負。お札
がありがたいものだということを実感させてくれる。                
 刷り上がったお札はまだ完成ではない。神璽(しんじ)と呼ばれる神社の印を中央に朱
肉で押して完成となる。別の箱から丁寧に四角の印鑑を出して朱肉をつける喜次さん。「
これを押すのは力がいるんだいね・・」と言いながら、全身の力を一点に集中して朱印を
押した。完成したお札は三枚。全て頂けることになり嬉しかった。          

 全ての版木が丁寧に保管されていて、歴史の長さを感じさせられた。神社社務所に掲げ
られている掛け軸の版木があると言って見せてくれた。縦九十センチ、横三十センチはあ
ろうかという大きな版木だった。深い森の手前に白と黒の狼が台座の上で向い合っている
絵柄だった。「去年、試しに刷ったんだけど、十枚刷ったらあっという間になくなっちゃ
ったんだよ。大きいもので珍しいもんだかんねぇ・・」と笑う。今度刷る時はぜひ一枚欲
しいものだと思った。版木の包みを開ける時のドキドキ感が凄かった。歴史をのぞき込む
ような感覚がたまらない。                            

大きな版木は神社社務所の掛け軸を刷る版木だった。 猪狩神社入り口に進む。長い階段が社殿へと続いている。

 お札の取材を終えて喜次さんと猪狩神社に向かう。昨年九月の台風で大鳥居が倒壊し、
まだ再建されていない。倒れた鳥居が道横に置かれていたので見ると、柱の根元が腐って
いた。拝殿近くにもう少し小さい形で作ろうかと氏子で話し合っているとのこと。   
 雨の神社は独特の静寂感があって気持ちいい。長い階段を上ると左右にお犬様の像があ
る。とてもリアルで迫力のあるお犬様だ。お犬様と言っても狼像であり、この像を運搬す
るときに本物の狼に囲まれたという伝説を持つ狼像だ。像には不思議な威圧感がある。 

 この猪狩神社は日本武尊(やまとたけるのみこと)に由来する。東征の折、この地に至
った際、猪鹿の群れが行く手を遮ったので従者らと共にこれを狩り、その後猪狩山の山頂
に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊奘冉尊(いざなみのみこと)を勧請して社を建立し
たのが始めとされる。正治二年(一二〇〇年)に社殿を再建し、日本武尊を合祀した。 
 社殿は秩父市指定有形文化財(昭和五四年指定)で、現在の社殿は寛政五年(一七九三
年)に建立したもの。社殿右側面に「韓信股くぐり」の見事な彫刻がある。      

 神社拝殿の中に入れていただき、見事な彫刻を拝見した。驚かされたのは内部がとても
綺麗だったこと。十一軒の氏子だけで運営している神社とは思えない綺麗さだった。隣の
社務所も拝見し、お犬様の掛け軸や明治時代と思しき神社図に驚かされた。お犬様の掛け
軸は明らかに先ほど見た版木で刷られたものだった。神璽が押された掛け軸はとてもご利
益がありそうに感じた。古い神社図では神社の屋根が藁葺きになっていて驚いた。新しい
社殿になる前は藁葺きだったのだろう。                      
 神社の横に猪狩山松洗院という曹洞宗のお寺があった。別当寺として役割を果たしてお
り、人々は賽銭を納め、護符札を得て帰っていた。明治政府の神仏分離令とその後の廃仏
毀釈騒動で廃寺となり、神社の屋根は松洗院の屋根材で葺き直されたようだ。神社の垂木
には細字大般若経文がびっしりと書かれており、神仏習合の証として今に残っている。 

猪狩神社のお犬様像はとてもリアルで力強い存在感がある。 猪狩神社の社殿。小さな耕地の大きな神社だ。

 猪狩神社の奥社祭りが十一月第三日曜日に行われる。朝八時から社殿の掃除を行い、十
時から猪狩山への登山が始まる。以前は女人禁制だったが、今は女性も一緒に登るように
なった。頂上の奥宮を掃除して参拝し、山上にて直会を行う。この時に秋刀魚を焼いて食
べるのが習わしだ。直会の後は秩父締めを行い、全員が南東に向かって立ち、長老の音頭
によって一斉に「ウォー・ウォー・ウォー」と三回鬨(とき)の声を上げるという猪狩神
社ならではの珍しい習わしがある。一説には狼の遠吠えとか、日本武尊が戦に勝った雄叫
びなどと言われている。狼信仰に関わる貴重なお祭りとして、近年参加者が増えて来てい
るそうで、喜ばしいことだと喜次さんも笑った。                  
 父親の後を継いで氏子総代長を二十五年やって来た喜次さん。自分の代までは繋げて来
た。これを次の世代に繋げられるかどうかだと静かに語る。「お犬様のご利益は今の時代
こそ必要なんだよね。百姓にとって鹿や猪の害が深刻だからねえ・・」と現実を語る。 
 耕地の集まりは今でも神社の行事中心で、十一軒のコミュニティにはお祭りの存在が大
きい。準備や作業は大変だけれどこの十一軒だけでやって来たことだから、今後も守って
行きたいのだと静かに語る喜次さんの言葉が胸に響いた。              

 お犬様の信仰は宝登山神社からこの猪狩神社に続き、三峯神社まで続く。日本武尊伝承
に狼の伝承が加わり、信仰へと形を変えて来た。講という存在がそれを支えて来たことは
間違いない。確かなことはお犬様のお札が霊験あらたかだということだ。そうでなければ
これほど続くことは考えられない。小さな集落の大きな神社とそのお祭り。貴重な習俗が
いつまでも続いてくれれば嬉しい。