山里の記憶228


ゆず巻き:北エイ子さん



2018. 11. 15


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 十一月十五日、小鹿野の河原沢にゆず巻きの取材に行った。取材したのは北エイ子さん
(七十一歳)で、新鮮な柚子を使ったゆず巻きを作っていただいた。ゆず巻きは秩父地方
で冬に作られるお茶請けで、お正月のおせち料理としても作られる一般的な料理だ。  
 大根と柚子があるこの時期ならではの料理で、昔はどこの家でも作られていた。最近は
作る人も少なくなってきたが簡単に作れるので残って欲しい料理の一つだ。      

 自宅に伺って炬燵に入り「寒いですねえ…」などと挨拶を交わしてエイ子さんの昔話を
聞く。エイ子さんはこの家で生まれ十六歳まで育った。美容師を目指して家を出て、苦労
して美容師の資格を取り、立川や狭山で働いていた。子供達が結婚し、両親の介護が必要
になった為に実家に帰ってきた。もう二十五年前のことだ。             
 それ以来ずっとここで暮らしながら両親を看取り、十七年前にはご主人を看取った。今
は気ままな一人暮らしだが、安気でいいと言う。河原沢は小鹿野町の最奥集落で、庭先に
カモシカが出たりする。夜に車で帰ってくる時など、鹿に何十頭も遭うような場所だ。エ
イ子さんが家の前で写したカモシカの写真を見せると友人はみんな驚く。「野生の王国に
住んでるんだよ〜」って自慢するんだと笑いながら言う。              

 ゆず巻きにする柚子を採りに行くと言うのでついて行く。エイ子さんが手にしたのは高
枝切り鋏。昔植えた柚子の木に最近やっと実が成り始めたとのこと。柚子は実が成るまで
十九年かかる『桃栗三年柿八年、柚子の大馬鹿十九年』と昔から言われている。家を出て
前の川の向こう岸にある柚子の木に向かうエイ子さんをカメラで追う。        
 藪の中を歩き、高い場所の柚子を採るエイ子さん。高枝切り鋏を器用に操って四個の柚
子を手にした。青い空に黄色い柚子の実が鮮やかに映える。             

自宅近くの柚子の木から柚子を採ったエイ子さん。 大根は薄切りにして半日ほど天日で干したもの。

 洗った柚子の実を切って皮を使う。内皮の白い部分は苦味が出るのでスプーンで削り落
とす。柚子皮は三ミリくらいの細切りにする。エイ子さんが大きなザルに広げた薄い大根
を出してきた。青首大根を二ミリくらいの薄切りにして半日ほど天日で干したものだ。薄
切りの大根で柚子を巻くのだが、半日干した方が柔らかくなって巻きやすい。エイ子さん
によると、大根を干した方が出来上がったゆず巻きの歯ごたえが良いとのこと。干さずに
そのまま使う人もいる。同じゆず巻きでも作り方は人によって微妙に違う。      

 大根で柚子を巻き、楊枝で止める。三個串刺しにしてお盆に置く。作業は淡々と進み、
お盆には楊枝で刺したゆず巻きが並んで行く。一定の数になったところでキッチンバサミ
を取り出し、大根からはみ出した柚子皮を綺麗に切り取る。「見映えが大事だからねえこ
うやって綺麗にするんだぃね」とのこと。丁寧な仕事だ。              
 タッパーを出して出来上がったゆず巻きを並べる。十八個のゆず巻きが九個ずつ二段に
納まった。本来はこれに作った甘酢を注ぐのだが、エイ子さんは甘酢を自分では作らずに
買ってきた「らっきょう酢」を注ぐ。以前は甘酢を自分で作ったのだが、最近農協で売っ
ているらっきょう酢の味が素晴らしく、これを使えば美味しいゆず巻きが作れることを発
見したのだと言う。らっきょう酢を注ぎ、一週間ほど置けばゆず巻きが出来上がる。  
 昔は柚子を大根に巻き、それを藁で編み上げたり糸で刺したりして軒先にぶら下げて干
していた。甘酢に一週間ほど浸して戻して作る料理で、それが冬の風物詩にもなっていた
ものだが、今はラッキョウ酢とタッパーのお陰で簡単に作れる料理になった。     

細切りした柚子の皮を大根で巻いて楊枝で刺して止める。 タッパーに並べたゆず巻きにらっきょう酢を注いだところ。

 このらっきょう酢は優秀で、他の様々な料理に使えると言う。こう書くと、エイ子さん
が料理を苦手にしているように感じるかも知れないが逆だ。エイ子さんは料理上手で有名
な人で、今でも現役の料理人でもある。料理を作る仕事をしているからこそ、日々、新し
い味を探し、研究している。その結果、農協のらっきょう酢は色々な料理に使える事を発
見した。「私は農協の宣伝部員かって言われるのよ」と笑う。色々他のらっきょう酢も試
したのだが、農協のらっきょう酢が一番だった。                  
 このらっきょう酢はゆず巻きだけでなく、梅干し作りにも使う。塩分のない美味しい梅
干しが出来る。エイ子さんは毎年百キロ以上の梅干しを作ってみんなに配り、喜ばれてい
る。また、らっきょう酢とオリーブオイルを混ぜると美味しいドレッシングになる。  

 エイ子さんは本当に料理上手で、たくさんのお茶請けを出していただいたのだがどれも
皆美味しかった。普通の料理ではなく、どれもエイ子さんのひと工夫が加えられていた。
ジャガイモの煮炒め、こんにゃくと椎茸の煮物、インゲンの煮物、白菜の浅漬け、大根の
甘酢漬け、ゴーヤのかりんとう、らっきょう酢の梅干しなどなど。          
 河原沢では尾の内渓谷で行われる「氷柱」のお祭りと、それに付随した「よってがっせ
ー委員会」の活動がある。そこには地元の女衆(おんなし)が自慢料理を持ち寄って来場
者をもてなす活動がある。河原沢の女衆はみんなで料理の腕を磨き、競争している。そん
な文化があるから料理には手を抜かない。いつでも工夫してどうしたら美味しくなるかを
考えている。エイ子さんも「そろそろ氷柱が始まるからねぇ」と待ち遠しそうだった。 

 エイ子さんの料理が変わるきっかけになったのは、河原沢に帰ってきてすぐに始めた農
協の「まごころ食材」配達の仕事だった。毎日広範囲の配達をしていると、色々な人に会
う。お茶請けで食べたことのない味に出会う事も多かった。研究熱心なエイ子さんは家に
帰るとすぐに同じものを作ったり、材料や内容を変えて工夫したりした。そんな繰り返し
が料理の幅を広げてくれたのではないかと言う。                  
 今は民宿「宮本荘」で厨房を担当している。どうやったら料理を美味しく出来るかを毎
日考えていると言う。自宅の庭にシュウカイドウの花が咲いているが、その花もエイ子さ
んによれば「料理の飾りに使うのよ」という事になる。赤くなってきたイロハモミジの葉
も料理の飾りに使われる。                            

たくさんのお茶請けは全てエイ子さんなりのひと工夫がされたもの。 らっきょう酢で漬けた大量の梅干し。塩分ゼロの優れもの。

 ゆず巻きはお正月のおせち料理にもなる。楊枝で刺したまま並べても良いし、柚子の中
をくり抜いた器に入れても綺麗だ。大根から薄く透けて見える柚子の黄色が食欲を誘う。
 エイ子さんも昔は大量のおせち料理を作った。子供と孫、合わせて二十人以上もが正月
に集まった。みんなエイ子さんの料理が楽しみでやってきた。孫が好きなキンピラ、唐揚
げ、レンコン明太和えなどのほか、定番の手打ちうどんと天ぷらも大量に作った。   
 今は、働いている宮本荘が正月もやっていて、エイ子さんは独り者なのでどうしても駆
り出される。仕方のない事だが、少し寂しい気もする。               

 じつはもう一つ理由がある。エイ子さんは二十五年前から「インディアカ」というスポ
ーツをやっている。小鹿野町が三十五年前に始めたもので、バドミントンコートで行う羽
の付いたボールを腕で打ち合うスポーツだ。四人制で三セットマッチ、二十一得点勝負と
いうもので、毎週日曜日に試合をしている。小鹿野町のチームは埼玉県代表で全日本シニ
ア大会にも出ている強豪だ。この練習や試合が日曜日にあり、試合の日は最優先している
ので、忙しい日曜日に仕事を休まなければならない。その代わりお正月は仕事をするとい
うことらしい。だから今はおせち料理を作ることがなくなった。           

 エイ子さんは小鹿野町の文化センターで結婚相談の活動もやっている。友人の近藤さん
達と協力して様々な婚活を企画してきた。ダリア園は八幡様のお祭りでの合同見学とか氷
柱の見学ツアーなどを企画して一組でも多くのカップル誕生を目指してきた。手打ちうど
ん作りや蕎麦打ちのイベントもやったが、なかなか結果が出ない。          
「男性の方はいいんだけど、女性の方がねえ…。何だか観光みたいになっちゃって…」と
婚活の難しさを話してくれた。昔は若い男女が年頃になると様々な人が間に入って見合い
が成立したものだが、今はそういう人達がなく独身の男女が増えている。エイ子さんのよ
うな人が必要とされているのだが、現実は厳しいようだ。しかし、地域や時代に必要とさ
れていることは間違いない。                           

 インディアカをやり、結婚相談をやり、氷柱のお手伝いをする。どの場面でもエイ子さ
んの料理が生きている。様々な料理を作り、お茶請けやお弁当として持って行く。「みん
なが美味しいって食べてくれるのがエネルギーなんだよね」と言うエイ子さん。    
 工夫されて進化する郷土料理。エイ子さんの料理が多くの人の記憶に残り、更に発展し
てくれることを願いたい。