山里の記憶211


尾ノ内氷柱:北 孝行さん



2018. 01. 15


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 一月十五日、秩父の冬を飾る観光地、尾ノ内氷柱を取材した。取材したのは尾ノ内氷柱
実行委員会の会長である北孝行さん(七十四歳)だった。土日は観光客の対応が忙しいの
で、平日の午前中ならということでこの日の取材になった。             
 十時に伺うと孝行さんは大きな野外ストーブの前で迎えてくれた。今日は午前と午後に
テレビの取材が入っているとのことで、その隙間での取材となった。来場者に無料で振る
舞われる温かくおいしい甘酒を飲みながらいろいろ話を聞いた。           

 孝行さんは九年前に商工会青年部の相馬さん他五・六名で始めた冬の観光地作りをバッ
クアップすることで大きく育ててきた。きっかけはふとした事だった。水道の水を出しっ
放しにしたところ翌朝それがきれいに凍っていた。これを見て「何か利用できるんじゃな
いか?」と考えた相馬さんが、小手調べに沢の倉庫の奥に水を流して凍らせてみた。それ
を見た孝行さんが本格的にやるならと、奥のこの場所を決め、バックアップすることにし
た。孝行さんが社長を務める喜多工務店が後ろ盾になることで、青年部の活動は本格的な
ものになった。                                 

 前例のない活動は試行錯誤の連続だった。一年目はチョロチョロだった。口径二十ミリ
のパイプを三千メートル分も敷設したのだが、細いパイプは凍ってしまう事が多かった。
沢の奥から太いパイプで水を引き、途中から細くして圧をかけ、強く水を飛ばすのが氷を
作るポイントだった。みんなで苦労して作った氷柱の景色が脚光を浴びるようになったの
は、ある新聞記事がきっかけだった。                       
 九年前、写真家の山口清文さんが朝日新聞に「こんな風景がある」と投稿した写真が話
題になり、その年だけでいきなり八千人の人が見に来た。これが孝行さんと青年部のみん
なを元気づけた。「これはいけるぞ」と思ったという。さっそく尾ノ内渓谷氷柱実行委員
会を設立し、孝行さんが会長に就任した。二年目から環境整備協力金二百円を徴収するよ
うになったが、駐車場は無料のままだ。                      

尾ノ内渓谷の奥に作られた氷柱。撮影用の台が出来ていた。 吊り橋を渡りながら、インスタ映えする迫力ある写真が撮れる。

 毎年前年の反省を修正しながら新しいパイプを敷設する。その氷柱準備は八月から始ま
る。毎月第一日曜日に、多い時で四十人もの人が集まってパイプの設置や歩道の整備をす
る。今はラインの協力登録者に通知する形で募集し、都合の良い人が集まる。ボランティ
ア作業に参加すると昼は集落の女衆が作ったカレーが食べられる。「何ていうか、これで
盛り上がる人が集まってくるんだぃね、ありがたいよ…」と孝行さん。        
 今年は口径七十五ミリのパイプを延べ六百メートル、口径五十ミリのパイプを千メート
ル敷設した。渇水が予想されるときは土嚢を運んで淵を作り、取り入れ口を作る。   
 凍り始めたのは十二月に入ってからだった。今年は寒い日が多かった。マイナス七度や
マイナス八度の日が続き、マイナス十五度の日もあった。そのおかげで良い氷が出来た。
一月二十八日に交流会があり、一月後半から毎週土曜日にはライトアップも始める。「寒
いけどきれいだよ、見に来ないね」と孝行さん。まだまだやることは多いと笑う。   

 商工会青年部が始めた活動は集落を団結させ、自分達の力だけで大きな観光地に育て上
げた。五年前から、大きな集客力を見過ごせなくなった町の観光課もバックアップを始め
た。道路の舗装やトイレの設備などは町の観光課がやってくれた。          
 氷柱のパンフレットやポスターなどは全て時前で製作している。もともと商工会で始め
た活動なので町としても全体を仕切るのは遠慮しているようだ。実行委員会では毎年新聞
も発行して活動の告知をしている。「よってがっせー新聞」は今年第六号を発行した。 

 尾ノ内氷柱の成功は孝行さんによると「完全なリピーター作りだぃねぇ」とのこと。四
年前から「よってがっせー委員会」を作り、四月から十月迄「よってがっせー委員会」の
活動が毎週末にこの場所で開催されている。                    
 自家製の料理や飲み物で来場者をもてなし、尾ノ内渓谷の素晴らしさを伝える。冬の氷
柱だけでなく、夏の渓谷、シャクナゲの花など四季の風景を楽しんでもらいたいという活
動だ。最近は釣りやシャワークライムを楽しむ若者もやってくる。来場者に笑顔で接する
ことでリピーターが増えているという。                      
 よってがっせー委員会の活動で使われる野菜は集落のみんなが共同して作っている。地
域のみんながなんらかの活動を分担しており、地域全体が盛り上げていることがすばらし
い。野菜作りや施設の工事、修繕などなどもみんなでやっている。地域興しは地域の人々
が元気になるのが一番だと思うが、ここではそれが普通に行われている。       
 この尾ノ内氷柱は地元の人間による地域振興の好例として多くの自治体が視察に来るよ
うになった。                                  

夏の間に集落全員の協力で行われる道路工事・歩道工事など。 シャクナゲを植えたり花の咲く野草を植えたりするのも夏の間。

 孝行さんの話に戻る。氷柱の運営で一番大変なのはと聞くと「水だね…」と返事が返っ
てきた。何でも凍ってしまう環境だからこそ水のやりくりが大変だという。料理の水が凍
って使えなくなるとか、トイレの水が凍って出なくなるとかいろいろ大変だという。  
 一日に五百リットルずつ百二十二回も運んだ事がある。去年もパイプが凍った事があっ
た。来場者が増えると寒い場所なのでトイレで使う水がとてつもなく多くなる。施設管理
で一番大変な事だという。                            
 沢から水を引くパイプが凍ることも多い。凍ったパイプはバーナーで暖めて溶かすのだ
が、冬山でのことパイプを持ち上げて下から暖めなければならない。下向きにバーナーを
使うと山火事になるので慎重に行う。これも体力を使う大変な作業だ。パイプを修理する
たびに水を浴びて全身が凍るような寒い思いをする。                
 今年は気温が低いから良い氷が出来たそうだ。暖かい日は水を流し続けると氷が溶けて
しまうので水を止めなければならない。毎晩様子を見て調整するのは日課になっている。
 午後四時の営業を終えると水道の水を抜く。抜かないと凍って翌日大変な事になる。青
年部の相馬さんも毎晩来て様子を見てくれる。                   

 昨年、尾ノ内氷柱には三万五千人の来場者があった。両神のダリア園が二万人の来場者
だった事を考えると大きな観光地に育った事がわかる。               
 また、孝行さんは「芦ヶ久保氷柱」の開発も協力して、氷作りを指導している。同地域
の久月(ひさつき)に氷柱が作られることになったのも、尾ノ内氷柱の成功を見たからだ
った。「秩父には四つの氷柱があるけど、ここが一番寒いから氷の色が青いやねえ…」と
孝行さんが胸を張る。                              
 今年はまだこれから凍らせる場所があり、そのために若い職人三人が来てくれることに
なっている。左斜面に大きな氷の壁を作るのだという。岩場に水を吹き付けて氷柱にする
作業は危険も伴う。「危ないとこは俺がやるんだぃ」と孝行さん。寒い日が続くのでどれ
だけ氷柱を大きく出来るかと楽しそうだ。                     

売店には様々なお土産があり、料理も提供されている。 料理を作る集落の女衆。温かい甘酒は全員にサービス。

 途中から柴崎照夫さん(六十五歳)が話に加わった。照夫さんは五年前から実行委員会
で手伝っている。お客さんとの触れあいが醍醐味でリピーターが多いのがいいと笑顔で話
してくれた。よってがっせー委員会の活動などで農水省との交渉が大変だったという。 
 受付を担当していた高橋美正さん(七十二歳)もやってきてひさしぶりの挨拶を交わし
一緒に写真を撮らせてもらった。美正さんも実行委委員会立ち上げから一緒に活動してき
たメンバーの一人だ。よってがっせー委員会の活動の中心人物でもある。       

 売店の厨房には黒沢且代さん(六十二歳)がいた。北康子(さとこ)さんと興野(きょ
うの)節子さん(七十歳)が一緒だった。甘酒を作り、たらし焼きを作り、つみっこ(す
いとん)を作って来場者に提供している。                     
 ここでは地元の女衆(おんなし)が作る料理も様々に種類を変えて提供されている。こ
の日も女衆が作った料理が窓口に並んでいた。無料サービスの甘酒を飲みながら少しずつ
つまんで食べる。窓口を通して笑顔とにぎやかなおしゃべりが交流する。暖かいもてなし
を見ていると、リピーターが多くなるのもよくわかる。               
 孝行さんは九年間尾ノ内氷柱を会長として引っ張って来た。協力してくれるたのもしい
仲間も多い。多くの人と会話して、笑顔で帰ってもらうこと。そしてその人達とまた別の
日に笑顔で再会することが醍醐味だと話してくれた。今求められている地域活性化の手本
のような人達だった。