山里の記憶210


くだげえ:酒井泰男さん



2018. 01. 14


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 一月十四日と十五日の二日間、秩父に行った。小鹿野町藤倉地区、馬上(もうえ)耕地
の「くだげえ」を取材をするためだった。正式には諏訪神社の筒粥神事といい、管粥(く
だがゆ)ともいう。「くだげえ」は「くだがゆ」を秩父弁で言う言葉。四十五本の篠をす
だれ状に編み、巻いて筒にしたものを大鍋でお粥と炊きあげ、翌朝の朝日とともに篠を割
って、篠の内側の湿り具合で一年の天気・作柄・大世を占う神事だ。起源ははっきりしな
いが、江戸時代から行われているとのこと。                    
 十四日の午後一時から作業が始まると聞いていたので、三十分前に御神酒二本を持参し
て会場の諏訪神社に伺った。行事長の酒井泰男さん(六十八歳)に挨拶をして話を聞く。

 午後一時から神事に使う篠(矢竹)を切り出す。篠を切るのは守屋次男(つぐお)さん
(七十二歳)で、神社横の竹藪から新子(一年もの)だけを切り出す。新子は先端に三枚
だけ葉が付いているのですぐにわかる。太さを揃えて切るのだが、何度もやっている次男
さんは慣れたものだ。あっという間に二十本ほどの篠を切り出した。新子だけを使うのは
昔からのしきたりだ。大寒波が来ている日だったが、次男さんは「まだ雪が降ってないか
らいいやねえ、昔、雪で帰れなくなった事があったからね」と笑う。集落の高台にある神
社だから雪が降ると大変なことになるらしい。                   

 篠は皮をむき、十センチくらいの長さに切り揃える。手一束(行事長が片手で握った長
さ)という決まりがある。これを四十五本切り、先端を六十度に削る。小刀で行事の二人
が真剣に削るのだが、形が揃っていないと長老から駄目出しが出る。「四十五本削るんは
大変だいねぇ、手が痛くなるよ…」と言いながら二人は黙々と削る。筒の中に湿り気が入
らないと占えないので、穴が細いものは取り替える。「去年は太さに厳しかったから、え
れえいっぺえ切ってきたいなあ、一本から一個しか取らなかったかんねぇ」      
 四十五本の内訳。十二本は一年の天候を占うもの。三十本は作物の作柄を占うもの。残
り三本が雨・風・大世を占うもの。特に大世の占いに参加者の興味が集まる。東日本大震
災の年にはあまりにも悪くて、長老から「これは間違いじゃねぇか…」という声があった
という。                                    

馬上(もうえ)耕地の高台に建つ諏訪神社。くだげえの舞台。 神社横の竹藪から切った篠で作った管。これを巻いて筒にする。

 切り揃えた篠を麻ヒモですだれ状に編む。きつく縛りながらまず十二本を編む。先端の
削り面をきれいに揃え、削り面が外を向くように丸く巻いて縛って固定する。どの篠をど
の位置に編み込むかは縛る人が決める。今年はあきちゃんと呼ばれている宮前明良(あき
よし)さん(五十七歳)の役目だ。「まだ若い衆だぃね。いつまでたっても一番下だい」
と笑いながら篠を編む。                             
 三十三本を編み終えると、削り面をきれいに揃える。十二本を巻いた筒の外側に、削り
面が内側になるように巻いて縛って固定する。内側の十二本は削り面が外向き、外側の三
十三本は削り面が内側を向いている。大鍋で粥を炊いたときに吹き上がった汁が入り込み
やすい形になっている。神事の主役、管巻が出来上がった。             

 この篠を編むヒモも、昔はコウゾの皮を細く裂いて編み上げた専用の縄を使っていた。
コウゾが鹿に食われてしまう被害が多くなり手に入らなくなった。簡素化も兼ねて麻ヒモ
で編むようになった。長老の酒井隆夫さん(七十五歳)はそれを残念がる。「去年コウゾ
を植えたんだいね。あと何年かすると使えるようになると思うんだけど…」神社の下に青
いネットで囲った一角があり、そこにコウゾが植えられていた。           
 出来上がった管巻は白木のお椀に入れ、三宝を逆さにした中に収められた。行事長の泰
男さんが両手で捧げて神棚に奉納した。同時に氏子からのお供えであるおさご(神饌用の
お米)も神前に奉納され、午後一時からの昼の神事はこれで終了した。        

 夜の部は午後七時から。定刻前から行事や氏子が続々と集まった。庭に大きな焚き火が
焚かれ、炎が明るく神社を闇から浮かび上がらせている。行事・氏子全員の柏手(かしわ
で)と朱盃での献杯から神事が始まった。昨年までは八時からだったのだが、今年から行
事長の判断で七時になったとのこと。取材に来た人が「今年は早いねえ」と驚いていた。
 大鍋に神聖な水お椀八杯を注ぎ、おさごをお椀一杯すり切りして入れ、鍋の中央に管巻
を倒れないように置く。行事が慎重に囲炉裏に運び、全員が見守る中一気にお粥を炊きあ
げる。狭い堂内に煙が充満し、目を開けていられない。囲炉裏の炎が一メートルも立ち上
がり堂内が熱い。囲炉裏のまっこが燃えないようにヤカンの水を注いで濡らす。熱い。 
 あっという間に鍋が沸騰する。すぐに鍋を移動し、冷ます。冷めたら元に戻し、また沸
騰させる。三度沸騰したところで鍋を外し、行事長が杓子を使って管巻を鍋から取り出し
てお椀に入れる。うやうやしく三宝に収め、神前に奉納する。            

大鍋で三度吹き上げさせる。狭い堂内はとても熱く煙かった。 大鍋に残ったお粥を全員で頂く。神饌を共にし、体を浄める。

 管巻を取り出した大鍋のお粥を参加者全員で食べる。朱のお椀に少しずつ入ったお粥を
篠竹一本(二十センチくらい)を箸代わりにして食べる。神様との共食、神饌を共にする
ことで体を浄める。堂内は煙くて目を開けていられないほどだ。           
 昔はここでお籠もりをした。おじいさんの世代まではお籠もりの習慣があったという。
家に帰る人は帰るが、ここで朝まで籠もる人も多かったという。囲炉裏を囲んで酒を飲み
ながらお供えの料理を食べる、楽しい時間だったという。泰男さんは「こうやって触れあ
いを続ける事が大事なんだよね…」と昔を思い出していた。             
 夜の神事はここで終了し、そのまま歓談する。多くの話を聞くことが出来た。終わった
のは夜八時半。参加者は三々五々帰宅する。                    

 十五日朝は六時に起きた。車の温度計はマイナス八度を表示している。七時前に神社に
到着したが、行事や氏子の人達はみな集まっていた。庭の大きな焚き火が暖かく迎えてく
れた。朝日が上るまでが皆さんといろいろな話に花が咲く時間だった。前の山から朝日が
上り、筒粥神事の筒割り判定は八時から始まった。                 
 行事・氏子全員の柏手と朱盃での献杯から神事となり、奉納した管巻が慎重に取り出さ
れた。行事長と長老が管巻を分解し、三本ずつ割って中身の確認をする。一本ずつ行事全
員が意見を述べながら、最後は長老の判定が下され、今年一年の様々な占いが行われた。

割った管の湿り具合を判定する行事一同。意見を言い合って決める。 判定が終わり笑顔の長老酒井隆夫さん(七十五歳)。

 判定は割った内側の湿り具合で行われる。まずは中に巻かれていた十二本で一年の天気
を占う。月表示は旧暦で行われる。割った篠竹三本分を並べ、判定する。「これは五分だ
から【半】だな、こっちは乾いているから【テリ】で、こっちは湿ってるから【フリ】だ
な」という感じになる。行事長や長老だけでなく行事全員がじっくり見て意見を言う。 
長老の判定がくつがえる事もある。結果は七月がフリ以外はテリと半で、乾いた一年にな
りそうだ。続いて三十本の篠竹で作物の作柄を占う。こちらは十段階の占いになる。湿り
が五分だと【五ト】となり作柄は平年並み。湿り度合いで乾いていれば数字が下がり、湿
っていれば数字が上がる。この判定には「昔は逆だったような気がする」という関係者の
言葉もあったが、真偽の程はわからない。                     
 また、作柄の品目も今では栽培していない品目も多い。この事を長老に聞いてみたが、
「昔からこれだから」という言葉が返ってきた。以前「椎茸」や「こんにゃく」を加えた
事もあったが、昔の通りにやろうと元に戻した経由もある。作柄は例年に比べて乾燥がす
すむためか悪い。良かったのは小麦ときびだけだった。               
 最後に残った三本は特に慎重に判定が下された。雨は【五ト】、風は【四ト】、大世は
【六ト】と判定された。特に大世は長老が「四かなあ、五かなあ……最近いいことが少な
いから六にしとこうか…」懸念されるのは地震か朝鮮半島情勢か、あまり良い年ではなさ
そうだ。ただ、この占いの範囲がどのくらいまで有効なのかはわからないという。泰男さ
んが言うには「大世っていっても江戸時代の人だった訳だから自分や知り合いが出かけら
れる範囲だったんじゃないかねえ…」とのこと。「判断はお任せします、なにごとも御諏
訪様の思し召しなので」と笑った。                        

 テレビ・新聞の取材が入り、カメラマンも大勢来ていた。毎年季節の話題としてテレビ
ニュースなどで流されるのを見ていた。ここがその現場だった。           
 自分で取材してみて初めて知る事が多かった。少子高齢化の波に流され、氏子が年々高
齢化している。いつまでこの神事が続けられるかわからないという言葉もあった。難しい
事かも知れないが、江戸時代から続くという素朴な民間信仰を伝える貴重な神事をいつま
でも続けて欲しいものだと思った。