山里の記憶206


熊手を作る:橋本傳二さん



2017. 10. 25


絵をクリックすると大きく表示されます。ブラウザの【戻る】で戻ってください。

 十月二十五日、秩父市上吉田に熊手作りの取材に行った。取材したのは宮戸耕地の橋本
傳二さん(八十二歳)で、落葉掃きなどに使う実用的な熊手を作る技を見せてもらった。
 約束の時間に伺うと、お茶とたくさんの珍しいお茶請けが待っていた。傳二さんが作る
というコンニャクの煮物と栃餅。奥さんが作ったえびしや漬物など郷土料理のオンパレー
ドで、どれも旨かった。特にコンニャクは絶品で、普通の売っているコンニャクとはまっ
たく違う食感で驚いた。秩父ならではの味に舌鼓を打ち、至福の時間を過ごした。   
 お茶を飲みながらいろいろな話をしていたのだが、今日は熊手作りの取材に来たので傳
二さんにお願いして熊手作りに入ってもらった。                  

お茶請けに出されたえびし、コンニャク、栃餅、美味しい郷土の味。 材料の孟宗竹は昨日山から伐りだしたもの。直径14センチもある。

 熊手作りは昨日伐って来たという直径十四センチもある孟宗竹を割るところから始まっ
た。歯を曲げる加工は青竹でなければ出来ないので伐ったばかりの竹が良い。本来なら十
一月の霜が降りてから伐った方が良いのだが、今回は特別に私の都合に合わせて頂いた。
 熊手の歯になる部品を作る。長さ七十二センチに切った太い竹を幅十五ミリに割る。全
部で十二本の細い竹を作り、内側の白い部分をそぎ落とし六ミリくらいの厚さに揃える。
もちろん節の出っ張りも削り落とす。両刃の鉈は割るためのもの。片刃の鉈は身を削るた
めに使う。二本の鉈を使い分けている。                      
 ストーブの火で皮目を焼いて柔らかくして曲げる。専用の固定する道具に一本ずつ曲げ
て角度を固定する。曲げて水をかければ固定されるという人もいるが、水で冷やすだけで
は固定出来るものではなく、じきに伸びてしまう。伸びた歯では落ち葉掻きも出来ない。
 道具に固定したまま一ヶ月くらいかけて乾燥させるのが一番良いのだが、今回は一週間
前に固定して乾燥させた歯を使って熊手を作ってもらった。今日、焼いて曲がりを固定し
ている歯は次回の熊手作りに使用する。                      

 元柄と横竹はすでに作ってあった。元柄には二箇所に四角い穴が空けられている。この
穴に通した二枚の横竹に、歯になる先曲がりの竹を挟んで扇形に広げて固定すると熊手に
なる。言うのは簡単だが、一つ一つ手順を踏んで加工しながら組み立てるという大変な作
業だ。これを一日でやって欲しいという私のお願いはずいぶん無理なお願いだった。  
 傳二さんは元大工で自宅を自分で造った人だった。道具は豊富に揃っているし、腕も確
かで、今でもテーブルや椅子などを自分で作り、地区の文化祭などに出品している。  
 熊手を作る人がいなくなったので、自分で作ってみようと作り始めたものだ。地区の文
化祭に出品したところ好評だったので定期的に作るようになったとのこと。今年の文化祭
は九月三十日と十月一日だった。今年は丸いテーブル、椅子、校庭をならすトンボなどを
出品して好評だったそうだ。奥さんの紀子(みちこ)さんも得意の裁縫技術で帽子やバッ
グ、洋服などを出品している。近所でも有名な、ものを作るのが大好きなご夫婦だ。  

太い竹を割って15ミリ幅の歯を作り、6ミリの厚さに削る。 焼いた竹で歯を作る。今回使うのは一週間前に焼いて固定した歯。

 二本の横竹に歯を入れて並べてみる。元柄の穴が適切な大きさでないと無理が加わって
元柄が割れてしまうので、慎重に計って穴の大きさを削り直す。木と違って竹は割れやす
いので無理は厳禁だ。割れると全ての工程が振り出しに戻ってしまう。        
 全体のバランスが上手く決まったところで、母屋の奥さんから「そろそろお昼にしない
かねぇ」という声がかかった。雨が降っていたので駐車場の屋根の下で作業をしていたの
だが、その声で「もうそんな時間か…」と気付いた。作業を記録するのに夢中だったので
時間が経つのが早いこと。                            

 居間の炬燵には手打ちのうどんと野菜天ぷらが並んでいて、奥さんの「まあ、こんなも
んだけど、食べてからやってくんない」という声でお昼をご馳走になった。美味しい天ぷ
らとうどんを食べながら傳二さんに昔の話を聞いた。                
 傳二さんは小鹿野町藤倉(昔は倉尾と言った)の馬上(もうえ)耕地で生まれた。男ば
かり五人兄弟の次男坊として育った。家の手伝いと畑仕事をして大きくなり、後に製材所
に務めるようになった。二十八歳の時に縁があり、ここ宮戸の紀子さんと結婚した。  
 その後は大工となり、従兄弟が経営する工務店を手伝ったり、個人営業もしたりと忙し
く働いた。この家も、納屋も、駐車場もみな傳二さんが建てたものだ。        

 今は畑仕事が中心で、八十二歳になった今でも一反五畝の畑で野菜作りをしている。白
菜など普通は二十も作ればいい方なのだが、二百も作ったと笑っている。「まるで出荷す
る人のようだいねぇ」と紀子さんも笑う。インゲンはもう終わり、これからは大根やほう
れん草が中心になる。「ナスもゴーヤもトマトもえら作ったんょ」と紀子さん。    
 畑に手をかけるからいい野菜が出来る。畑に足をはこんだ分だけ野菜は旨くなると傳二
さんは胸を張る。柿や梅の畑もあり、柿の接ぎ木作りもやる。接ぎ木は文化祭に出してみ
んなに喜ばれた。山から木を伐り出して椎茸やナメコを作っている。楢やクヌギは椎茸に
使い桜はナメコに使う。                             

 八十二歳とは思えない傳二さんにその元気の秘密を聞こうとしたら、紀子さんが「でも
ねぇ、ダメな事もあるんだぃね…ふふ」と笑う。聞くと、どうやら乗り物がダメらしい。
バスも電車も飛行機も、もちろん舟もまったくダメなのだとか。名古屋で行われた孫の結
婚式にも出られなかった。倉尾の実家の兄も同じで、十一月に大宮で行われる結婚式にも
二人揃って行かない事にしているとのこと。                    
 思わぬ弱点に何と言っていいかわからなかったが、昔ならさほど問題にならなかった事
かもしれないと思った。昨今の流れには少し乗れないかもしれないが、自分で運転する車
なら大丈夫とのことなので何等問題なく生きて行けるはずだ。微笑ましい弱点披露に傳二
さんらしさを感じた時間だった。                         

 午後の作業は歯を横竹に固定する作業から始まった。針金で締め付けて仮り止めし、ド
ライバーを使って一本ずつ穴を空け、竹釘を打ち込む。これを横竹二本に全部で二十四箇
所繰り返す。じっと見ているだけだったが、傳二さんはじつに淡々と作業を進めた。  
 サンプルになっている竹の熊手を見ても、こんなに丁寧に止めていない。釘を打って固
定しているだけだ。その点を聞くと「飾りもんじゃなくて毎日使うもんだから、きちんと
作んなくちゃねぇ」という傳二さんの返事が帰って来た。              
 釘で止めただけだったり、針金で縛っただけだったりするとすぐにグラグラしてしまう
とのこと。あくまで使う人の事を考えた作り方をしている。             
 竹釘を打ち込むのも、あまり強く打ち込むと横竹が割れてしまうので、慎重に打つ。裏
側に通り抜けるように打ち込み、最後は表裏の出っ張った部分を鋸で切り落とし、ノミで
きれいに削って仕上げる。一見したところ、こんなに手間をかけたようには見えず、さり
げないのがいい。傳二さんの技と配慮が行き届いている。              
 横竹の中央、元柄部分にはより太い竹釘を使って固定する。ドライバーの歯を太い物に
替え、穴を空けて太い竹釘を打ち込む。固定作業の最後のパーツだ。熊手は元柄にがっち
りと固定された。                                
 歯の固定が終わった横竹に仕上げの銅線を巻く。歯を絞り込むように一本ずつ横竹に銅
線で巻いてゆく。ここまでやって固定が完了する。巻き付けた銅線が美しい。普通の針金
だと使ううちに錆びてくるが、銅線は錆びないので長く使える。こんな配慮も使う人の事
を考えたものだ。                                

竹釘の出っ張りをノミで削って平らにする。丁寧な仕上げ。 出来上がった熊手を手に持って。「乾けば軽くなるんだぃ」と傳二さん。

 最後の仕上げは余分な横竹のカットと歯の元部分を揃えるカット。鋸で丁寧に余分を切
り落とし熊手が完成した。青竹なのでまだズシリと手に重いが、何ヶ月か置いて乾燥させ
れば片手で使えるように軽くなる。そして、軽くて強い竹の良さを発揮する。     
「いやあ、一日で出来たよ〜、良かった良かった…」と傳二さんが安心したようにつぶや
いたのを聞いて、本当に申し訳なく思った。先に元柄や横竹の加工をしておいてもらった
から出来たけれど、全部の工程を一日ではとても終わらなかったと思う。       

 それにしても豊富な道具類がきれいに整備されていることに驚かされた。電動工具も鉈
も鋸もノミも素晴らしい切れ味で、日頃の手入れがきちんとされている。元々大工さんだ
ったという腕もそうだが、何かを作っている事が楽しいのだという。         
 みんなに役立つものを作って分けてやる。喜んで貰うことが嬉しいという充実した人生
が素晴らしい。これからも傳二さんらしく物作りを楽しんでもらいたいと思った。