山里の記憶200


樽栽培トマト:黒沢 進さん



2017. 6. 30


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 六月三十日、小鹿野の両神に樽(たる)栽培トマトの取材に行った。取材したのは黒沢
進さん(七十三歳)で、ハウスでの樽栽培トマトという聞き慣れない栽培方法を見せてい
ただいた。樽と呼ぶ発泡スチロールの容器に椰子ガラ粉粒を土の代わりに使ってトマトを
栽培するというもの。ハウスでの栽培システムは本当に目からうろこが落ちるような栽培
方法だった。以下、樽栽培トマトカタログの説明文。                
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 樽は、土耕感覚のトマト栽培システムです。                   
 タイマー制御で安定的に散水できます。また、四株ごとに根域が制限されており、水管
理を任意に変更することで高品質・高糖度の果実を生産することができます。     
 土づくりが必要ありません。また、土壌病害を持ち込まない限り、土壌消毒を必要とせ
ず、連作も可能です。土壌病害回避のための接ぎ木も必要ありません。万が一土壌病害が
発生しても、樽ごとに培地が独立しているため、異常が見られた樽の培地のみを交換する
ことで問題解消されます。                            
 基肥としてコーティング肥料を用いており、土耕感覚で栽培ができます。肥料が不足し
てきた場合は、液肥や追肥用の肥効調節型肥料を用い、長期栽培を行うことも可能です。
施工マニュアルに従えば、専門技術がなくても施工が完了できますので、高精度なレベル
出しも必要ありません。                             
 樽ごとに独立した隔離栽培であり、培地の水分が少なければ軽量なため、移動が容易に
行えます。そのため、栽培期間中だけハウス内に樽を設置し、他の期間は片付けておくこ
とができます。これを利用し、水稲育苗用ハウスで水稲育苗の後作にも使用することがで
きます。                                    
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樽栽培トマトのハウス。大量のトマトが鈴なりになっている。 赤くなった実を収穫する。毎朝の作業だ。

 五年前から町の補助を受けて始めた樽栽培は画期的な方法だが、近所では誰もやってお
らず、ネット情報などで研究しながらの栽培とのこと。トマトはストレスを与えることで
甘く育つ。ストレスをどれだけ与えるかが、ダメージ無く旨いトマトが出来るコツだ。最
初は失敗も多かったが、今では安定して旨いトマトが出来るようになった。      
 もともとは「ふるさと両神」がトマトゼリーを開発し、そのゼリー用のトマトが欲しい
という事で始めたトマト栽培だった。百五十グラムくらいのトマトが欲しいという事で、
普通は二百五十グラムくらいに大きくなる「桃太郎」を小さく育てる方法を探した。  
 しかし、実際に作ってみたらトマトがたくさん出来てしまい、一年で十五トンものトマ
トが生産過剰になってしまった。                         

 このオーバー分を何とかしたくて、販路を探したところ、秩父のスーパーで販売できる
事になった。スーパー二軒、直売場一箇所の直接販売コーナーを確保し、毎朝収穫したト
マトを運ぶのが日課になった。トマトが少ない時は他の野菜でそのコーナーを埋める。そ
のため、じゃがいもやほうれん草、サンチュ、インゲンなども栽培している。特にサンチ
ュは大きくて軟らかく人気が高い。五年間の実績で、販路が安定してきたのが強みだと進
さんは胸を張る。                                
 トマトの品種は夏場は暑さに強い「桃太郎ホワイト」、冬場は「はるか」を栽培してい
る。樽栽培は根が張るので味が乗って甘く美味しいトマトになる。水分をコントロールで
きるので露地栽培よりも甘くできる。また、ステビアの粉末などを肥料にすることで、あ
と味も良くなる。                                

樽の中央に肥料のカゴ。土に見えるのは椰子ガラの粉砕粒。 手入れはツルおろしと脇芽欠きくらいだねと進さん。

 樽栽培用のハウスは、三百三十平方メートルの広さで三棟ある。全部で約一反歩の広さ
になる。一棟のハウスに一列四十五個の樽を三列配置するので百三十五個の樽が並ぶ。 
 樽は発泡スチロール製で、約五年保つ。中は椰子ガラ粉砕粒で埋め、土は使わない。椰
子ガラを使うので椰子ガラ栽培とも言われている。肥料は液肥の追肥だけで充分育つ。 
 カタログの説明文にもあるように、病気が出た場合はその樽だけ処分すれば良いので管
理がとても楽だ。一つの樽に四本の苗を植え、誘引ヒモで天井に向けて誘引する。今現在
は八段の実が成っているが、最終的には十五段くらいまで実を付けることができる。伸び
た茎はそのまま地面に倒し、実の付いたところだけが手の届く範囲に来るように茎を誘引
する。水は枯れない程度にやるだけ。水分を減らすことがトマトを甘くする。ただ、あま
り水分を絞りすぎると株が弱ってしまい、元に戻るまで一週間くらいかかってしまうので
注意する。草取りはいらず、実を収穫するだけであとは放って置いても大丈夫だ。   

 トマトの花が咲くと受粉をするのだが、この広さのハウスではマルハナバチを使うこと
が出来ないので、「トマトーン」を使って受粉させる。トマトーンは手でスプレー噴霧す
る。管理するにはこのくらいの大きさのハウスがいい。あまり大きいと手が回らない。 
 ハウスの室内温度が高くなるので作業に支障が出る。今の室内温度は三十度だが、晴れ
ていたりするとすぐに四十度くらいになってしまう。熱中症になりかかった事があるし、
体調には注意している。ハウスの中に入らなければならないので仕方ないことだ。   
 ハウス農業は自然じゃないので、正直なところ身体がつらいし、暑さ対策は怠れない。
朝五時に起きて、工場の段取りをしてからハウスに来てトマトの収穫をする。六時から九
時くらいまで収穫作業をする。その後、工場に運んで梱包作業をする。翌朝、息子の嫁さ
んが子供を保育園に送りがてら、秩父のスーパー二軒と直売場一箇所に配達する。   
 毎日の作業なので休みはない。出かけるといっても遠くには行けない。どこに出かけて
いても夕方には戻ってハウスの様子を見なくてはならない。             

 ハウスには害獣が出る。近くに竹林があり、そこに住んでいるらしいハクビシンやアナ
グマが甘いトマトを食い荒らしに来る。猪はまだハウスには入らないが、畑に植えてある
イモなどを食って荒らす。対策は入れないように気を付けるだけ。          
 進さんは百姓仕事が好きだからやってられると言う。ハウスを維持するのは大変だが、
今後を見据えると有望な仕事なのではないかと言う。というのは、長く電子部品工場を経
営して来て、その事業を補完する意味でハウス農業を始めたのだという。今は息子さんが
電子部品工場をやっているが、中国などの価格攻勢で仕事が徐々に少なくなっているから
だ。安定した販路さえあれば、農業は充分やって行ける。幸いな事に息子のお嫁さんが熱
心に取り組んでくれるのが嬉しいと笑う。                     
「農家出身じゃないのに不思議だよね。いい物が出来て美味しかったって言われるのが嬉
しいって言ってよくやってくれるんだよ。近所でもお宅の嫁さんはすげえなぁって言われ
てるんだぃね…」とまんざらでもなさそう。                    

冬用に待機している樽栽培トマトの樽。冬はボイラーを焚く。 水分を絞って育てるトマトは真っ赤で甘い。

 露地栽培トマトのハウスも見せてくれた。これから大きく育って出荷するようになるト
マトが青い実を付けている。その中の一つに案内された。              
「これがベリートマトだぃね。キロ千円するんだけど、若い人に人気があるんだよ。ハー
ト型の甘いトマトで、作ってる人が少ないんだぃね…」見ると可愛いハート型のミニトマ
トが鈴なりに成っている。まだ青い実だが、これが真っ赤になったら確かに旨そうだ。 
 大人気のトマトで、出すとすぐに売り切れてしまう。今年は手が回らずに遅くなってし
まったが、あとひと月くらいで出荷できそうだ。                  
 種が高く、また種屋が「外に出すな」と言うくらい貴重な種類で、栽培が難しい。最初
に伸ばさないように小さく育てるのが難しいのだが、最初の水やりがポイントだった。何
でもやってみなければコツはわからない。                     

 栽培ノウハウなしで、一から自分でやっている。今は息子さんがネットで情報収集して
いろいろ研究しているが、当初は振興センターの人もやり方を知らなくて、聞くことも出
来なかった。少しずつこの栽培方法の良さがわかってきた。             
 進さんが奥さんとハウス栽培を初めて二年目、奥さんが病気に倒れてしまった。ハウス
栽培とは無関係の病気だったが、周りから「おめえがそんな事をやるからだ」などと言わ
れた。心に刺さる言葉だった。                          
 また、大雪でハウスがぺしゃんこにつぶされた事もあった。頑張って再建したがその負
担は大きかった。それだからこそ体が動くうちは引退できないのだと進さんは笑う。作る
のが好きで、手をかけた分だけ成績が良くなる事を知っているから手を抜かない。   
 先行きの見えない電子部品工場がどうなるのか、息子さんに託す将来はハウス農業で大
丈夫なのか……見極めながら道を作る作業が続いている。