山里の記憶2


川のり採り:馬場ヤス子さん



2007. 3. 5



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 秩父で川のりが採れるという事を聞いたのはいつ頃だっただろうか。栃本で栃もち作
りの取材をしながらたまたま川のりの話題になったとき、その場に居合わせた近所のお
じさんが                                   
「それは大血川(おおちがわ)のことだいね。源流水の工場の奥の馬場さんて人がやっ
てたって話だよ。でも、旦那はだいぶ前に亡くなったと思うけどねえ・・」     
と教えてくれた。丁寧に地図を持ち出して家の場所まで教えてくれたので、さっそく行
ってみることにした。                             

 馬場ヤス子さん(85歳)が今一人で暮らしている家は、大血川沿いの林道を見下ろ
す斜面に建っていた。家の前の斜面には畑が広がり、ご多分に漏れず、猪除けの柵に囲
まれていた。玄関のガラス戸を開けてヤス子さんに挨拶し、川のり採りについて話を聞
かせて頂きたい旨を告げると、快く迎え入れてくれた。話の通り、ご主人は10年前に
他界されておられた。仏壇にお線香を上げ、位牌に来訪の挨拶をさせていただいた。 

 ヤス子さんはお茶を入れながら                        
「10年遅かったいねぇ、おじいさんが生きてたころ川のりを採ってたんだけど・・」
と申し訳なさそうに言ってくれた。                       

 お茶を飲みながら色々な話を聞かせてもらった。ヤス子さんにとって突然の来訪者は
おじいさんとの昔話をする格好の相手だったようで、じつに様々な昔話をしてくれた。
そして肝心の川のり採りについても詳しく聞かせてくれた。ヤス子さんの語る川のり採
りの内容は次のようなものだった。                       

 時期は8月のお盆の頃、前後約1ヶ月間が川のり採りのシーズンだったそうだ。3〜
4センチくらいに成長した川のりを採るのだが、大きな岩盤にしか付かず、また岩によ
っても付く岩と付かない岩があるそうで採れる量は本当に少ないらしい。台風がくると
流されてしまうので採れなくなるとのこと。川のりは採ることで増えるようになるそう
で、ここしばらく採っていなかったので減ってしまったようだ。最近、45歳になる息
子さんが久しぶりに採りに行ってみたら、本当に少ししか採れなかったとのこと。大血
川の川のりも無くなってしまう日が近いのかもしれない。環境の変化にも敏感な植物だ
と聞いているので、もしかしたらヤス子さんの話はとても貴重な話なのかもしれない。

 採った川のりは味噌こし(目の細かい竹ザル)で水を切って竹籠で運び、大きなタラ
イに水を張った中に泳がせてゴミや砂を取り除く。特に砂はわずかでも食味を台無しに
するので丁寧に取り除く。洗った川のりを大きなまな板の上で包丁を使って細かく刻み
、更にゴミ採りを徹底する。細かく刻んだ川のりを泳がせたタライに、スダレ(海苔簾
:のりず)を木枠で挟んだもので和紙を漉く要領で川のりを均等にすくい、木枠を取り
外してスダレを立てて付着した海苔を乾かす。スダレは竹ではなく藁の芯を編んだ目の
細かい専用のもので、小さく刻んだ川のりしっかりすくい取るように出来ている。  

13年間使っていない海苔簀(のりず)がきちんと干してある。 これが海苔簀(のりず)。藁なので目が細かい。

 こうして出来たのり付きのスダレは日当たりの良い場所で天日に当てて干される。時
々上下を替えて干すのは水分の落下を促し、均等に乾かすために大事な作業だという。
そして、天気が良ければ3時間くらいで乾燥川のりが出来上がる。完全に乾燥するとパ
リパリっと乾いた音をさせて自然にスダレから剥がれるそうだ。鮮やかな緑色で香りの
良い川のりは、湿けないようにお茶箱や菓子箱に入れて保存される。        

 食べ方を聞いた。                              
 川のりはサッと遠火で炙って醤油をつけて食べるのが一番だそうだ。みそ汁や煮物は
溶けてしまうので向かず、かろうじてお吸い物なら大丈夫かなと言っていた。出荷する
ほどは採れないので、もっぱら自分が食べる分と親戚や近所に配る為に採っていたそう
だ。                                     
「たまにいっぺぇ採れる時があってなぁ、そぉゆぅ時は20枚も30枚も作って、おじ
いさんも嬉しそうだったいねぇ。作りたての海苔はふんとに旨かったよぉ・・」   
ヤス子さんは懐かしそうに目を細めて言った。                  

 道具を見せてもらった。                           
 13年前から使わなくなった道具達がきちんと整理されていた。味噌こし、竹ザル、
竹籠、海苔簾(のりず)、木枠、まな板、包丁・・・ヤス子さんはおじいさんが今でも
いるように道具を並べて話してくれた。そしておもむろに冷蔵庫から川のりの実物を出
してきてくれた。                               
「おじいさんが作った海苔だよん。13年前のもんだから色が変わっちゃってるけど、
食えるんかさあ・・おじいさんが作ったもんだから捨てらんなくってねぇ・・」   
13年前の川のりが食べられるかどうかは知らないが、これは食べるべきだと思った。
ヤス子さんが焼いてくれた川のりを口に入れる。香りは多分消えているのだろうが、海
苔の風味はハッキリ分かった。醤油を少し浸けて食べてみた。美味しかった。    

洗って網ですくった川のりをこのまな板で細かく刻む。 13年前のことをつい昨日のことのように話してくれた。

 ご主人の三郎さんが他界して10年。亡くなる3年前に脳梗塞で倒れてから川のり採
りはしていなかったそうだ。だから13年前の川のり。三郎さんが採った最後の川のり
だ。おじいさんの思い出の品を見ず知らずの人間に出してもらった感動とヤス子さんの
おじいさんへの思いが交錯して、ちょっと言葉に詰まってしまった。        

 おじいさんの写真を捜しながらヤス子さんがつぶやくように言う。        
「まったく、どこへ行っても人の写真を撮ってやる人だったから、自分の写真がありゃ
しねんだいねぇ。ふんとにいい人だったよぉ・・」                
「おじいさんは絵も上手だったし、字も上手だったんだよぉ・・」         
「この写真、いつもヘルメットをかぶってて、子供らからヘルメットおじさんって呼ば
れてたんさぁ・・」                              
「昔、東京から竹村健一さんが来たときにキャンプするってんで、おじいさんが案内し
たんさね。これがそん時の写真だいねぇ・・」                  
「昔は一緒に川のり採りをしたもんだったが、おじいさんが死んで、足も悪くなっちま
ったんで行かなくなっちまったいねぇ。登りの方が楽なはずなんだけど、足が痛くて前
の道も登れなくなっちゃってねぇ・・」                     

 やっと捜し出したおじいさんの写真の片隅にヤス子さんも写っていた。二人が並んで
いるように絵に描いてやろうと思った。                     

 ヤス子さんの話の中のおじいさんはよほど素敵な人のようだ。大血川の林道沿いの斜
面に建つ家でヤス子さんはおじいさんの思い出とともに生きている。写真に語りかけな
がら一緒に過ごした時間を生きている。何だかちょっと三郎さんが羨ましく思えた。 

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※カワノリは海抜300mから800mの範囲の山地渓流、夏季の水温が19.0℃以下、秩父
系の中生代〜古生代に属する古い地層の地域で、石灰岩を伴い、pHが7.0以上の弱アル
カリ性水域に生育すると言われている。