山里の記憶197


杖を作る:森越勝治さん



2017. 4. 17


絵をクリックすると大きく表示されます。ブラウザの【戻る】で戻ってください。

 四月十七日、秩父の両神に杖作りの取材に行った。取材したのは森越勝治さん(八十五
歳)だった。勝治さんは十七歳の時からずっと山仕事をしてきたのだが、最近体が不調に
なり、最後のご奉公だと言いながら自作の杖を、各地に無料で配布している。     
 両神農林センター多目的集会所の横に勝治さんがいた。ここは勝治さんが山仕事の道具
類を保管するために借りている場所で、大きなトラックが停めてあり、物置などが並んで
いる。物置の中にはチェーンソーや山道具がぎっしりと並べられている。松の木の日蔭で
杖の仕上げをしていた勝治さんに挨拶をすると、ニッコリ笑って「熱いからなあ、日蔭で
やってるんだい…」と大きな声が帰ってきたのが嬉しかった。            

作業場の車から作った杖を持ち出して見せてくれる勝治さん。 慣れた手つきで「ぢしゃぐれ」の木の皮を大きなナタで剥く。

 勝治さんの杖作りは山から木の枝を伐ってくることから始まる。材料になる木は「ぢし
ゃぐれ」や「まめぶち」を使うとのこと。今日の杖はぢしゃぐれで作っているというので
見せてもらった。どこかで見たことある木だなあと思い、いろいろ聞いてみると、この時
期に黄色い花が咲くというのでアブラチャンとわかった。まめぶちはキブシだというのは
他の取材で聞いたことがあったので知っていた。杖に合う太さと長さを揃えるのが大変な
のだという。アブラチャンもキブシも根元が株立ちする雑木だ。シュートと呼ばれる株立
ちの細いまっすぐな幹が杖にちょうど手頃な太さになる。              
 伐ってきた木の皮を大きなナタで削り落とす。ナタの刃を往復させるだけで黒い皮がき
れいに剥けて白い枝になる。「こういう風にやると皮が剥けるんだぃね、伐ってすぐがい
いんだぃ…」淡々と同じ動作を繰り返し、全体が白くなる。枯れた部分もドライバーで削
って屑を取り除く。「こういうのがいい感じになるんだぃね…」と説明してくれる。  

 見ているうちに一本の枝の皮を剥き終わった勝治さん。「これはこのまま干しとくんだ
ぃね…。明日まで乾かして仕上げるんさぁ…」と自分の車にその枝を運び、車から別の白
い枝を出してきた。「これが昨日やったやつだぃね。これを仕上げるよ…」と言いながら
布ヤスリで磨き始めた。布ヤスリで白い棒を丹念に磨く勝治さん。無言で淡々と作業が進
む。長年山仕事で鍛えた大きな手が小さな布ヤスリを丹念に動かす。でこぼこは平らにな
り、つるつるの手にやさしい杖が出来上がる。お年寄りが使ってちょうどいい長さと太さ
の杖が出来上がった。                              

 勝治さんはこうして年に七百本から千本の杖を作り、小鹿野町の福祉課や観光地の杖が
必要な場所に十本単位で納めている。軽く丈夫な杖は使い心地が良く、使った人が返さず
に持ち帰ってしまうのが困ったことだとなげく。                  
 車の中には数十本の出来上がった杖が置かれていた。「物置ん中にゃあもっといっぺぇ
あるよ」と言われて物置のドアを開けてびっくりした。そこには数十本の真っ白い杖が何
個もの束になって置かれていた。まとめて納品するために保管しているものだ。    

倉庫には出来上がった杖が束になって置かれていた。 車の中にも出来上がった杖がたくさん保管されている。

 作業が一段落した勝治さんと車で河原沢の尾の内渓谷まで移動した。氷柱の時期に杖を
納めた事があるとのこと。この日は平日だったため店はやっていなかったが、何人かの観
光客がシャクナゲの花を見に来ていた。                      
 周辺を散策しながら勝治さんにいろいろな話を聞く。七十年近く山仕事をしてきた勝治
さんだからこそ聞きたいことがあった。それは木の名前や虫の名前を秩父ではどう呼ぶか
という事。アブラチャンをぢしゃぐれと言い、キブシをまめぶちと呼ぶ。他にもそんな呼
び方があるのではないかと思いついた事からの取材だった。             

 暖かい日射しの中で山や木を見ながら歩き回った。「あの木の名前は? あの木は何て
呼んでる? 」などなどの質問攻めに、多少辟易しながらだと思うがよく考えながら答え
てくれた勝治さん。いろいろな名前がわかった。                  
 渓畔林に生えている高木のサワグルミは「かわぐるみ」と呼ぶらしい。春に細かい花を
つけるフサザクラは、なんと「めめずの木」だと言う。左右に大きく枝をひろげるミズキ
を差すと「これはみずくさだいね。段々になって太くなる木だぃね…」とのこと。ミズキ
は「みずくさ」と呼ばれていた。その他、いろいろな木の名前を聞いた。以下その羅列。
 ホオノキは「やまとの木」又は「かざぐるまの木」などと呼ばれている。ネムノキのこ
とは「ねぶた」、サワシバは「その」又は「そろ」と呼ぶ。他にヌルデは「おっかど」、
コウゾは「おっかぞ」と呼ばれている。コナラやミズナラ、トチノキなどは秩父の呼び方
も変わらない。どうやら呼び方が違う木は秩父地方で言うところの「与太っ木」と呼ばれ
る雑木に多いことがわかる。製材するような立派な木は呼び名も変わらない。     

 木以外の固有名詞についても聞いてみた。山仕事では身近にいる虫や動物の名前に秩父
らしい名前が多く聞かれた。                           
 アシナガバチは「あしっつるし」。オオスズメバチは「ふえんどう」これは私も知って
いた。黄色スズメバチは「しらばち」これは植木職人の取材をした坂本さんにも聞いたこ
とがある。ツクツクホウシは「おおしんつくつく」、ヒグラシは「かなかな」、ニイニイ
ゼミは「じいやき」などは私が子どもの時に聞いたことがある。           
 甲虫類は子どもにとっての宝物。クワガタは「おにむし」、カブトムシは「がんのう」
と言った。しかし、雌のカブトムシは「まぐそ」「ぶんた」「ぶたっけつ」などとさげす
まれていた。オスのような角がないだけで、子どもたちからは忌み嫌われていた。   
 バッタは全般的に「ぎっつ」と呼ばれていた。変わったところでカマドウマは発生場所
が湿っぽいところが多かったので「べんじょこうろぎ」と呼ばれていた。カメムシが「わ
っくさ」というのはわかりやすい。                        
 デンデンムシは「でえろう」で、ナメクジは「はだかでえろう」と呼ばれる。ミミズは
「めめんたろう」と呼ばれ、釣りの餌に使われた。別格なのは蚕の名前で「おこさま」と
呼ぶ。字で書くとお蚕(こ)様で、「お」がついた上に「様」までつく。数少ない現金収
入を生み出してくれた蚕は最上級の呼び名を頂いていた。              

 動物の名前では、カモシカは「くろっこ」「くろんぼ」「あおた」「あおしし」などと
呼び名が多かった。猪や鹿、熊は特にない。鳥の仲間では、ジョウビタキが「もんつきば
か」、ツバメが「つばくろ」、ミソサザイは「みそっちょ」と呼ばれた。       
 私の天敵だったカエルたち、ガマガエルは「おおひき」とか「おおひきべっとう」と呼
ばれた。カエルのことは「べっとう」「べっとこしゃー」「べっとこしょー」などと呼ば
れた。大嫌いなので、なるべく見ないようにしていたことを思い出す。        
 植物の名前ではタラの芽が「たらっぺ」、春蘭は「じんじんばあ」、桑の実は「どどめ
」と呼ばれ、露草は「いんきぐさ」、サルナシは「こくわぶどう」と呼ばれた。    

林道から急斜面を下ってぢしゃぐれの木を伐る。 山の中にいると年齢を感じさせない勝治さん。いつも元気だ。

 勝治さんが林道に行って木を見ようと言ったので、車でついて行く。林道のわだちが深
くなり、私の車では先に行けないところで車を停め、周辺の木を見た。勝治さんが「あれ
がぢしゃぐれだぃね…」と言いながらノコギリを持って急斜面を下って行った。アブラチ
ャンの木が細い幹を株立ちさせていた。                      
 杖に合いそうな細い幹が何本も株立ちになっていて、勝治さんは慎重にその太さと曲が
り具合を見ている。「どれでもいいって訳じゃあないんだぃ…」と極めて慎重に選ぶ。ア
ブラチャンなどの株立ちした細い幹の大半は後々枯れてしまう。こうして杖に利用するこ
とが出来れば有効な利用方法だと思う。                      
 アブラチャンはあちこちに株があり、勝治さんは急斜面を歩き回りながら合計四本の杖
の材料を伐り出した。そのうちの一本を持ってニッコリ笑う勝治さん。取っ手の部分が持
ちやすいように曲がっている。「いいだんべ」と気に入った材料が手に入ったようだ。 

 勝治さんとはこの林道で別れた。杖作りの取材が、木の呼び名の取材になり、様々な固
有名詞の話になった。子ども時代を思い出す名前がたくさん出てきて懐かしかった。あら
ためて、秩父特有の固有名詞を探したら面白いことになりそうな気がした。      
 いろいろな人に聞いてまとめてみたら面白い固有名詞辞典が出来そうだ。言葉は生き物
で、伝えなければ消えてしまうものも多い。秩父弁を話さなくなった若い人たちも多いし
、昔ながらの呼び方などは記録しなければあきらかに消えてしまう。場所によって、年代
によって変わることもあるだろうから、幅広く収集して残せれば面白そうだ。     
 勝治さんのお陰で新しい興味を持つことが出来た。