山里の記憶193


ゆず大根甘酢漬け:中澤千代さん



2016. 12. 21


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 十二月二十一日、小鹿野に「ゆず大根甘酢漬け」の取材に行った。取材したのは中澤千
代さん(七十二歳)で、何度か取材延期があり、やっと双方の予定が折り合って実現した
取材だった。展覧会の時にこの漬物を差し入れて頂き、その味と香りが気に入って取材を
申し込み、大根と柚子が出る冬に取材しましょうという事になり、時期を待っていたもの
だった。今年は雨の影響で大根の成長が遅く、こんな時期になってしまった。     
 千代さんは明るく話し好きな人で、事前に準備もしてくれていたので取材は順調に進ん
だ。家の裏に広い畑があり、そこに大根・青梗菜・人参・芥子菜・ネギ・玉ネギ・ニンニ
クなどが植えられていた。小松菜はダイアジンと肥料と種を一緒に蒔いて芽が出たもの。
こうして撒くとネキリムシが付かないという。菜園のベテランでもある。       
 今年の大根は不作だったと言うが、抜いてみると丸々太った良い大根だった。大根の品
種は「あじまるみ」と言い、柔らかくきめが細かいのが特徴だ。浅漬けはこれがいい。 

 さっそくこの大根を洗い、台所で皮を剥く。千代さんは皮むきにピーラーを使う。掘り
立ての大根は皮も柔らかく、するすると剥ける。縦四つに割り、薄く小口切りする。厚さ
は好みになるが、食感を強くしたければ厚く切る。薄く切れば柔らかい漬物になる。  
 柚子は、倉尾の実家に大きくきれいな柚子がたくさんあるので、それを譲ってもらった
もの。皮を薄く剥き、細い千切りにするのだが、白い部分を多くすると苦みが強くなるの
で、なるべく薄く皮をむくのがポイントだ。新鮮な柚子は皮をむく時点で爽やかな香りが
立つ。                                     

自宅裏の畑で漬け物用の大根を採る。大根の品種は「あじまるみ」。 台所で大根を洗って皮をむく。皮むきにはピーラーを使う。

 きれいに洗った空き瓶に切った大根と柚子を入れ、そこに作り置きの甘酢を注ぐ。「こ
れだけで終わりなのよ、簡単でしょ」と千代さんが笑う。容器はタッパーや密封容器だと
中身の酢がにじみ出すので、きちんと蓋の出来るビンを使うのが良い。        
 二日寝かせればそのまま食べられる。三週間ほど寝かせると大根に甘酢が染み込み、し
っとりとした味に変わる。ゆず大根甘酢漬けの出来上がりだ。さっぱり食べるなら若いも
のを、しっかり味わうなら長く漬けたものを食べるのがいい。            
 確かに簡単だが、問題は注いだ甘酢だ。それを聞くと千代さんがレシピのメモを出して
くれた。「書いておいたの。言おうとすると間違えたりするからね…」とのこと。取材す
る側にとってはありがたい事で、その内容は以下の通りだった。           
 合わせ甘酢の作り方                              
 材料:水四〇〇cc、砂糖五五〇グラム、塩五〇グラム、酢(純米酢)四〇〇cc    
 作り方1、水を煮え立たす                           
    2、砂糖・塩を入れ、煮え立たす。                    
    3,煮汁が冷めたら酢を入れてかき混ぜる。                
 以上が合わせ甘酢の作り方だ。こうして作った甘酢はペットボトルに詰めて保存する。

 「こういうものも作るのよ…」とお茶請けに出してくれたのが、この甘酢で漬けたラッ
キョウの浅漬けと紅白なます。さっそく箸を伸ばして食べてみた。ラッキョウは三田川産
のもので、この地方独特の細いラッキョウだった。甘酢でシャリシャリと美味しかった。
 紅白なますは大根と人参の細い千切りを塩で軽く揉み、甘酢に浸したもの。柔らかく軽
やかな甘さが清々しい味だった。どちらもお茶を邪魔しない味。紅白なますはお正月のお
せち料理に使える味だった。                           
 「この甘酢さえ作っておけば、こうして何でも簡単に出来るのよ…」と千代さん。他に
も様々な料理に甘酢を使うそうだ。酢の物に使えるし、少し酢を足せば寿司酢にもなる。
 お茶請けのもう一品はカボチャの煮物。「今日は冬至だから、朝煮たの…」と嬉しい心
遣いについつい箸が伸びる。これも甘すぎず美味しい煮物だった。          

柚子の皮を薄くむき、細い千切りにする。柚子の香りが立ち上がる。 薄く切った大根に調味液を注げば出来上がり。二日目で食べられる。

 お茶を頂きながら千代さんに昔の話を聞いた。千代さんは小鹿野町藤倉、昔は倉尾と言
う地区の富田(とみだ)という耕地に生まれた。五人兄弟の長女で大家族だった。千代さ
んが生まれたときに父親は大陸に出征していた。だから千代さんの名前は叔父さんがつけ
てくれたのだという。江戸時代の俳人加賀千代女(かがのちよじょ)から採ったそうだ。
頭のいい女の人にあやかって…という事らしい。加賀千代女は『朝顔につるべ取られても
らい水』の句で有名な江戸中期の俳人だ。                     

 二十三歳の時に縁があって小鹿野の中澤泰雄さん(三十二歳)に嫁入りした。嫁入りし
た中澤家は酒屋だったが、泰雄さんは國學院大學を出て教師だった。國學院大學を出てい
るので神主の資格もあった。本人は神主になりたかったようだが、仕事としての収入を考
えると神主で食べていくことは無理だったので、教師を仕事にしていた。       
 長若や三田川、倉尾の中学校で教師として働いた。頼まれて神主の仕事もした。小鹿野
のお祭りの時に神社や会所に詰めて神事を行う事が多かった。おとなしく静かな、いつも
本を読んでいる人だった。                            
 千代さんは店で販売をする他、酒の配達などを軽トラで走り回った。いつだったか、倉
尾への里帰りで凍った道で軽トラがひっくり返ってしまった事があった。背中に娘を背負
っていたのだが、幸い怪我はなかった。それ以来、怖くて冬に里帰りしなくなった。  

 千代さんが三十三歳の時だった。元気だった泰雄さんが病に倒れた。医者の診断は直腸
癌ということで、発見したときはかなり進行していた。「昔の事だったからねえ…、見つ
かった時はもうずいぶん進んでたんだぃね……」と千代さん。            
 手術して二年後、懸命な介護の甲斐なく泰雄さんは亡くなった。享年四十二歳、早すぎ
る他界だった。千代さんの落胆は大きかった。何もかも手につかなくなってしまったが、
そんな千代さんを助けてくれたのが妹だった。実家の妹が小鹿野の家で一緒に住んでくれ
、二人で子供の面倒を見ることが出来た。失意の千代さんにとって、本当にありがたい応
援だった。「妹のお陰でやり過ごすことが出来たんだよね…」と千代さん。      

 生活も落ち着き、妹が結婚すると言うことで家を出た。子供達も大きくなったので、何
か仕事を探そうと思った。そんな時にたまたま学校の給食を作る仕事があった。小鹿野小
学校の給食調理員で、この仕事は午後の四時半に終わるのが良かった。子供が学校から帰
る時間に一緒にいられたし、何より生活が安定した。そして、二年勤めた時に調理師免許
も取ることが出来た。給与は安かったけど、公務員でボーナスも出た。        
 頑張って子供二人を大学に出すことも出来た。父親の泰雄さんが教員だったのも後押し
をしてくれた。二人とも奨学金を受けての進学だったが頑張って卒業してくれた。娘は今
でも奨学金を返済しながら青森で獣医として働いている。息子は同居してくれている。 

 頑張って働いていた千代さんだったが、四十七歳の時に病に倒れた。胃がんだった。胃
の中央に出来た腫瘍を取り除くために胃を全摘出しなければならなかった。上吉田の病院
から埼玉大学病院に移り手術をした。手術後は毛呂山の妹の所で養生した。      
「あれから何年たつかねえ? もう七十二だから充分生きてるよね…」と千代さんは笑う
が、大変な病との戦いだったと思う。「食事はまるっきり変わったよね。食べられなくて
ねえ…」胃を全摘した人とは思えない元気な声で笑う。               

千代さんはパッチワークも得意。たくさんの作品を広げて。 千代さんが毎月通って汲んでくる倉尾の名水「ふれあいの水」。

 悠々自適の身になった千代さんが始めたのがパッチワークだった。毛呂山の妹が専門家
で、色々教えてくれた。今は小鹿野の文化センターに月二回通って勉強している。今やキ
ャリア十七年のベテランになった。                        
 作品がいろいろあるからと見せてもらった。パッチワークのタペストリーが床にずらり
と広げられた。クリスマスやお正月用のパッチワーク。壁にかけるだけで季節感を演出で
きる優れもの。立体物もある。子供用のリュックサックや大人用の旅行カバンが手作りさ
れていた。その出来栄えにも驚かされた。製作にはリュックサックなど一ヶ月もかかるら
しい。素晴らしい手技の数々だった。                       

 千代さんは今でも月に一度実家近くの湧き水を汲みに倉尾に通っている。「ふれあいの
水」と呼ばれている水で、有名な毘沙門水よりもずっと美味しい水だという。石灰岩の多
い山から湧き出す水で、千代さんにとっては故郷の水ということになる。今でもこの水で
なければ美味しい料理は出来ないと信じ、使い続けている。三つ子の魂百までというが、
千代さんにとってこの水こそが故郷の味なのだと思う。