山里の記憶19


味噌作り:坂本ミカさん



2008. 2. 11



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 2月11日(月)友人の桜井さんと味噌作りの取材に行った。取材先は、前に美味しい
手作り味噌を頂いた坂本ミカさん(75)の家だ。ミカさんは40年前から自宅で味噌を
手作りしている。寒仕込みの味噌は2月の寒い時期に作るので、その時期を待って取材に
応じて頂いた。ミカさんの家は秩父市上吉田の大棚部(おおたなぶ)にあり、山を背負う
ように建っていた。日陰には先週降った雪が白く残っていた。            

 寒仕込みとは雑菌の繁殖しにくい寒い時期に仕込みをすること。お酒も味噌も寒仕込み
が美味しいと言われる。糀屋さんの話によると、昔は仕込みに川の水を使っていた。その
川の水に雑菌や不純物が最も少ないのがこの「寒」の時期だったので、仕込みをその時期
にやったのだと言う。手が切れるような冷たい水を使って仕込む味噌。何だか、そう聞く
だけで美味しい味噌になりそうな気がしてくるから不思議だ。            

大棚部の山裾にあるミカさんの家。 庭に2台のかまどが並び、大量の大豆が茹だっている。

 庭にかまどを2台設置して大きな鍋がかけてある。茹だった豆が一杯に入った鍋と、こ
れから茹でる豆が入った鍋が並んでいた。ミカさんがテキパキと動き回りながら    
「こっちの豆が『青ばた』さあ、うんと旨いんだよ」                
とこれから火にかける鍋を指さす。                        
 我々が行くのを待っていたかのように、作業がいきなり進んでいく。茹で上がった豆を
網ですくい、ザルに上げて汁を切る。汁を切りながらひと肌まで冷ます。       

 茹でる豆は良く洗って、前日から豆の4倍量の水に漬けてふやかしておく。ミカさんに
よると二晩ふやかした方が早く柔らかく茹で上がるそうだ。こうしてふやかした豆は2〜
3時間茹でると指で潰せるくらに柔らかくなる。この時のアメ(ゆで汁)は後で使うので
残しておく。                                  
 材料の豆は自分の畑で作っている5月蒔きの早生豆だ。輸入品の大豆を使ったことがあ
るが、まずい味噌しか出来なかったそうだ。近頃は「青ばた豆」というひたし豆やズンダ
にする豆を使って味噌を作るようになった。これは大層美味しいらしい。       
「うちで作った豆がいいやいねえ。煮るには時間がかかるけど、味がいいんだよね」  

庭でキビキビと作業を始めたミカさん。 大量の豆がザルに上げられた。さあ、忙しい味噌作りだ。

 柔らかく茹で上がった豆は30度以下になるまで冷まし、温かいうちにミンサーと呼ば
れるミートチョッパーで挽肉を作るように挽く。これに米糀と塩を混ぜ合わせる。   
 ミカさんは今回、早生豆二升五合に米糀三升と塩一升を合わせる。昔は一般的に『大豆
一升に糀一升と塩一升』と言われたが、これでは塩が強く塩辛いだけになってしまう。 
 糀には米糀と麦糀がある。麦糀のほうが値が高い。早く熟成し、一年で食べられるよう
になり、色も赤い色になる。米糀は食べられるようになるまで1〜2年かかるが、甘い味
噌が出来る。昔は麦糀を使っていたが、最近はもっぱら米糀で作っている。      

 大きなボールに挽いた豆と糀、塩を入れて混ぜ合わせる。両手で揉み込むように力を込
めて混ぜる。この時、ひと肌に冷ましたアメ(ゆで汁)を少しずつ加え、ゆるくなるまで
混ぜる。豆やアメをひと肌以下に冷ますのは糀のため。高温のまま混ぜると糀が死んでし
まうため、冷ましてから混ぜ合わせる。                      
 本や他の人の作り方を見ると、固くこねると書いてあるのだが、ミカさんは違う。ゆる
ゆるになるまでアメで溶き混ぜる。ミカさんによると、糀がよく乾燥しているのでこのく
らいゆるゆるにしないと水分を吸い取って、味噌がカチカチになってしまうのだそうだ。
これだけゆるゆるでも、二時間もすると固くなるとミカさんは言う。         

 固くこねる人は柔らかい糀を使っているそうだ。味噌は「手前味噌」と言われるほど、
それぞれの家毎に作り方が違う。材料の比率も、糀の種類も、もちろん味も違う。誰でも
自分の味噌が一番だと言う。                           

 混ぜ合わせた材料を味噌樽に流し込む。味噌玉にして投げ込むのと違って簡単だ。流し
込んだ材料を平らにならし、上にビニールシートを貼る。あまりにセオリーと違うので心
配になった私に、ミカさんが一日置いた味噌を見せてくれた。「これが同じもの?」とい
うくらい表面が固くなっていた。                         
「一日置くとこのくらい固くなるんだいねえ。糀が水を吸うんでね、面白いやねえ」  
一日置いた味噌のビニールを剥がし、上面にふた握りの塩を撒く。カビ防止の振り塩だ。
縁の周辺が腐りやすいので縁の方に厚く撒き、再度ビニールシートを密閉するように貼り
付ける。その上に内蓋をし、上に1キロくらいの石を乗せる。この石は河原で拾ってきた
平らな石をビニール袋で包んだもの。                       

 全体を紙蓋で覆い、味噌蔵に保管する。ミカさんの家では物置の裏に専用の台が作って
あり、そこに味噌桶がズラリと並べられている。日が射さず、温度変化が少ないところを
選ぶのがコツだ。夏になると縁に近いところが黒くなるが、そこは削り取って捨て、天地
返しをする。そのまま二年置けば、熟成された美味しい手作り味噌になる。三年置けば極
上の味噌になる。                                

 塩を少なくして米糀を使えば甘い味噌になる。但し、塩を少なくし過ぎてて失敗すると
酸っぱくて食べられたものではない。                       
 昔、味噌が切れそうな時は、新しい味噌を日当たりの良い暖かい所に置き、時々攪拌し
て発酵を促した。こうすれば、一応味噌として食べられたが、決して美味しい味噌ではな
かった。糀臭くて、みそ汁にすると糀がユラユラ浮いてきて、まるで「ウジでも湧いてい
るようだったいねぇ・・」と笑う。                        
 やはり味噌は一年以上置かないと美味しい味噌にはならないようだ。        

作業が終わり、笑みがこぼれる。 炬燵に入り、いろいろ話を聞いた。

 一通りの作業が終わったので、炬燵に入って四方山話をしていた。ミカさんに味噌を作
り始めるきっかけについて聞いてみた。ミカさんが40年前から味噌作りを始めたのには
深刻な事情があった。ご主人が盲腸の手術をした2年後から徐々に添加物を受け付けない
体質になってしまったのだ。そのご主人の為に無添加の味噌作りが必要だった。    

 ミカさんのご主人は土木事務所に勤めていた。ミカさんの実家の蚕室を事務所に借りて
、道路工事の仕事をしていた作業員の中にご主人がいた。ミカさんを見そめ、仲立ちをし
てくれる人がいて、二人は一緒になった。                     
 土木事務所の仕事は体力を使う。毎日お弁当を持たせるのがミカさんの仕事だった。手
術後、体質が変わったご主人は、少しでも添加物の入った食べ物は食べられない。つくだ
煮も加工食品も受け付けない体になっていた。食べられるものが無くなってしまった。 

 思案のあげく、ミカさんは無添加の味噌を自分で作り、その味噌でみそ漬けを作り、毎
日のお弁当に変化をつけた。みそ漬け用の味噌はちょっと塩を多くして別に作った。畑で
採れた様々な野菜を味噌に漬け込んだ。新鮮な野菜は1日〜2日で美味しいみそ漬けにな
った。芋の煮っころがしやキンピラなど、自分の畑で作った野菜がおかずに花を添えた。

 今で言う「添加物(化学物質)アレルギー」だったのだろう。添加物を摂取したら命の
危険があるような状態だったのだと思う。少しでも美味しい味噌を作って、美味しい味噌
漬けを作りたい。ミカさんのそんな思いが味噌を真剣に作る原動力になった。ミカさんの
作る味噌が美味しいのはそんな理由があったのだ。                 

 ミカさんの献身的な支えを受け、無事に定年まで勤め上げたご主人だった。家を新築し
、さあこれからが第二の人生だと言っていた矢先に突然病に倒れた。癌だった。若いとき
から医者嫌いな人だった。一年半の闘病の末、最後は眠るように逝った。まだまだ若い、
63歳だった。ミカさんは思い出すようにポツリと言った。             
「本当に疲れて・・眠るようだったいねぇ・・」                  

 今もミカさんは毎年たくさんの味噌を作っている。いろいろ工夫しながら、喜んでくれ
る人の顔を思い浮かべながら、せっせと味噌を作っている。ご主人の為に作った味噌は今
、子供や孫や知り合いの健康を祈って作られている。3人の子供や孫達が健康に育つよう
に願いながら、ミカさんは美味しい味噌を作っている。