山里の記憶189


落花生よごし:黒沢和子さん



2016. 8. 16


絵をクリックすると大きく表示されます。ブラウザの【戻る】で戻ってください。

 八月十六日、秩父いんげんの取材で両神の煤川(すすがわ)に行った。いんげん作りの
取材を終え、いんげんの料理で何かありますかと聞いたところ、今朝採ったいんげんを使
って黒沢和子さん(八十六歳)が「落花生よごし」を作ってくれることになった。   
 よごしというのは和え物のこと。秩父地方ではゴマ和えの事をゴマよごしと言う。今回
はゴマの代わりに落花生を使うというもので、初めて聞いた料理だった。いんげんの取材
が急遽「落花生よごし」の取材に変わった。                    

 和子さんが奥の部屋にいんげんを取りに行く。今朝採ったいんげんは出荷した分以外を
濡れたタオルで包んで保管してあった。こうしておくと鮮度が落ちないのだという。  
 ざる一杯のいんげんを台所に運び、シンクで洗う。丁寧に一本ずつ頭と尻をちぎり取っ
てまな板に並べ、包丁で半分に切る。「大きめがいいんだいね…」と和子さん。    
 鍋にたっぷりの湯を沸騰させ、塩を大目に入れる。「塩を入れると色が良くなるんだぃ
ね。今回は量が多いから塩も大目に入れようかね…」ザルのインゲンを鍋に入れる。  
「だいたい七・八分茹でるかね。これは大きいいんげんだから八分くらいかね…」   

材料のいんげんは自宅の畑で収穫したもの。よく洗って二つに切る。 塩をたっぷり入れた湯で八分ほど茹でる。

 落花生は乾燥させたものを弱火のフライパンでじっくり煎った。静かにゆっくり焦がさ
ないように煎ったもの。殻ごと煎っても、焦げないでいいものが出来上がる。いつでも食
べられるようにビンに詰めて保存してあるのだという。本来ならゴマやクルミでやる料理
なのだが、和子さんの家では自家栽培している落花生があるのでそれを使っている。  
「子供や孫が大好きなんだよね」と和子さんが目を細める。「おじいちゃんと皮をむいて
くれるかね…」と仕事を与えられ、七五三男(しめお)さんと二人でテーブルに新聞紙を
広げ、その上で落花生の皮をむく。指でこするようにすると簡単に皮がむける。皮をむい
た落花生はすり鉢に入れる。すり鉢にはどんどん白い落花生が溜まってゆく。     

 落花生は毎年四畝部(せぶ)もの畑で栽培し、収穫した実は乾燥させ、大きな網袋に五
つも詰めて吊して保管している。七五三男さんの話では、落花生は日光が強く当たる年は
実が小さいとのこと。昨年の落花生は実が小さかったらしい。            
 すり鉢に溜まった落花生をすりこぎでつぶす。豆のままだとする事ができないので、全
体を細かく砕くようにつぶす。思い切り突くと豆がすり鉢から飛び出すので、慎重にリズ
ミカルに豆を砕く。全体が砕かれたところで七五三男さんがすりこぎを両手で回してすり
はじめた。慣れていないのか何だか動きがぎごちない。               
 そこにいんげんを茹で終えた和子さんがやってきてすり役を交代する。七五三男さんが
両手ですり鉢を押さえ、和子さんが高速ですりこぎを回転させる。その速さに七五三男さ
んもびっくりしたようで目を丸くした。「こういうのは慣れた人でないとねぇ…」和子さ
んの顔に笑みが浮かぶ。                             

 落花生はみるみる粉状からゲル状になってきた。すり鉢でするというのは、粉々にする
だけでなく練る作業も加わるので旨味が凝縮する。これはゴマもクルミも同じで、いくら
細かく砕いても、すり鉢ですったものには旨さでかなわない。そして、明らかに違うのは
その香りだ。すっている間に急に香りが立ってくる。すった落花生はまるでピーナツバタ
ーのような香りを発してきた。                          
 すり鉢に味付けの味噌と砂糖と醤油を加えてさらにすり込む。粘りも固さもある固まり
がすり鉢の中に出来上がった。「味付けは目分量なんだいね。ここに酢を少し入れると柔
らかくなるんだけど今日はやめようかね…」酢を入れると柔らかくなるのだが、独特の香
りが立ち、落花生の甘さが消えるらしい。今日は落花生の甘さを味わって欲しいので入れ
なかったと和子さんの説明だった。                        

落花生の皮を剥き、すり鉢で砕いてからよく粘るまでする。 味噌・醤油・砂糖を加え、よく練ってからいんげんと和える。

 すり鉢にいんげんを全部入れて、しゃもじでかき混ぜる。あまり強く混ぜるといんげん
がつぶれるので、まんべんなく落花生液がからみつくように根気よくゆっくり混ぜ合わせ
る。ゆっくり混ぜるこの時間でいんげんに味がしみこむ。              
 混ぜる作業をしている和子さんに昔の話を聞く。                 
 和子さんは二十四歳の時に小鹿野の伊豆沢から嫁に来た。まだこの集落に車道が通じて
いなくて、川沿いの県道から山道を二十分以上かけて登って来たという。嫁入り衣装のま
ま、わらじを履いて山道を登った。「えら大変だったんよ…」と昔を思い出す。家の近く
に来てから、わらじをゾウリに履き替えたのが忘れられないという。         
 七五三男さんも当時の話をする。親戚の議員さんが仲立ちで、伊豆沢まで見合いに行っ
た。気に入ったので結婚を決めたのだそうだ。七五三男さんは七人兄弟の末っ子だったの
だが、兄たちが戦争で亡くなり、この家を継ぐことになった。            

 五代続く旧家に嫁いだ和子さんは苦労の連続だったという。コンニャク作りなどの畑仕
事。養蚕は夏の間中の家仕事。冬は杉の植林や枝打ち、地拵えなど身を粉にして働いた。
 おじいさんが熱心に指導してくれて、毎年一生懸命杉苗を植えた。三十年経てばこれを
伐って食っていけるからと言われて必死で植えた。夏の下刈りもした。三十年後にこんな
に杉の値が暴落するなんて誰も思わなかった。ただひたすら三十年後の生活が楽になるか
らと杉を植えて育てた。「まさかさあ、こんな事になるなんてねえ…」「育ったって、伐
るんが赤字じゃあどうしようもねぇよなぁ…」七五三男さんもつぶやく。       

 「さあさあ出来たからテーブルに運んで、お昼にしましょう」と和子さん。テーブルの
上には、お皿に山盛りの「いんげんの落花生よごし」が置かれた。          
 取材した日が盆の十六日ということで、送り盆用の「ねじっこ」を食べていかないか、
という事になった。他にもきゅうりの浅漬け、肉じゃが、赤飯、味噌汁という豪華な昼食
になった。ねじっこはうどん粉で作った                      
 「さあさ、遠慮しないで食べてくんな。田舎料理なんで口に合うかどうか? 」と和子
さんが言うが、こんな豪華な食事はない。ねじっこはまったりと口にふくらみ、いんげん
はピーナツバターで和えたかのよう。美味しくて豪華な昼食に箸が進んで困った。   

 珍しい盆料理のねじっこ。作り方を聞いてみた。うどん粉を固くこね、丸く伸ばしたも
のを両手の三本指でTの字型に伸ばす。沸騰した湯に両手で端を持ち、ねじった形にした
ものを投入する。茹でて浮き上がれば出来上がり。ザルに上げて乾かしたらねじっこだ。
 十六日の朝に作り、ご先祖様に供えて夕方先祖送りをして食べる。送り盆の日だけの料
理だとのこと。どう食べるのか聞いたら、そのままでもいいし、砂糖醤油を浸けて食べて
もいいし、おかずと一緒に普通に食べてもいいし、焼いて食べても旨いという。    
 今回はせっかく作ってもらったので、いんげんの落花生よごしと一緒に食べさせてもら
った。ねじっこのネットリした味といんげんの甘さ、ピーナツバターの味と香りが相まっ
て、何だか不思議な味だった。                          
 以前、小鹿野の倉尾で同じような料理を取材した事があった。それは「小豆ぼうとう」
という料理で、短冊状の幅広うどんを小豆の粒餡でからめて食べる料理だった。やはり、
送り盆用の料理だった。ねじっこも同じだから、小麦の収穫を先祖に感謝する意味がある
のかもしれない。                                

食卓に並んだ昼のご馳走。右奥にあるのがお盆料理の「ねじっこ」。 煤川の自宅を上空から撮した写真。狭い場所に密集している。

 部屋の隅に一枚の写真があった。見るとこの家の航空写真だった。「何年か前にダムを
作る話があってねぇ、その時に最後になるかもしれないからって、ヘリで撮ってもらった
んだぃね…」煤川下流一キロくらいの場所にダムを作る計画があったらしい。調査ボーリ
ングもしたのだが、その後どうやら立ち消えになったようだ。            
 和子さんが「移転するって話だったんだぃね。ここから出られたかもしれなかったんだ
けどねぇ…」とつぶやくように言う。滝沢ダムや浦山ダムで移転した人たちの話をして、
「でも、帰る場所がなくなるのはさみしいということでしたよ」と言うと「そうだぃねぇ
帰る場所がなくなるんはやだねぇ…」と応えてくれた。               

 庭のキキョウと百日草がきれいな花を咲かせていた。見渡す山の景色はここでしか見ら
れない景色だ。毎年娘と孫たちが楽しみに帰って来る景色でもある。         
 五人の娘に恵まれた。みんな元気に嫁いで孫が九人、ひ孫は五人いる。みんな料理が好
きで、帰って来ると料理はみんな娘がやってくれる。今年のお盆もにぎやかだった。  
 「日光へも京都へも娘が連れて行ってくれたんだよ。いい娘たちだよ、ほんと…」和子
さんの目が細くなって優しい笑顔になった。