山里の記憶182


きゃらぶき:磯田エミ子さん



2016. 5. 10


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   五月十日、きゃらぶきの取材で秩父の大滝に行った。取材したのは、氷柱で有名な三十
槌(みそつち)の磯田エミ子さん(七十二歳)だった。               
 エミ子さんはつとっこや栃餅など郷土料理の名人で、昨年にきゃらぶきの取材を申し込
んだのだが、蕗が出来る時期にということで、半年待ってやっと取材が出来た。ご自宅に
伺い、お茶飲み話をしてから近くの畑に向かう。蕗は金網で囲った畑に生えていた。  
 大滝に限らず山里はどこも獣害に悩まされている。ここも例外ではなく、金網で囲って
おかないとすぐに鹿や猪や猿に食われてしまう。最近は鹿が増えて蕗を食うので、植えて
ある畑は金網で完全防備になっている。それでも、うっかりすると鹿が入って食われるこ
ともある。山の畑は動物との戦いの場だ。                     

 エミ子さんの畑に生えているのは山蕗だという。本来は山に生えている蕗で、それを畑
に移植したものだ。普通の蕗は芯が中空になるもものが多いが、この山蕗は芯まで身が詰
まっている。きゃらぶきにするにはこの山蕗が一番いいとエミ子さんは言う。     
 山蕗は根元の部分が赤くなるのも特徴だ。スラリと伸びた蕗を鎌で刈り取る。そのうち
の一本をこちらに見せてくれた。直径が七ミリくらいで根元が赤い蕗だった。「これが山
蕗だいね。蕗はすぐに交配するんでだんだん特徴がなくなってね…」と教えてくれた。 
 これが初採りの蕗で、これから二・三週間がきゃらぶき作りの時期となる。畑の日当た
りによって収穫がずれるので育ち具合を見ながら蕗採りをする。           

山蕗を移植した畑からきゃらぶき用に蕗を採るエミ子さん。 水を流しながらタワシで茎を上から下にこすって産毛を取る。

 一抱えの蕗を刈り取り、手押し車で家に運ぶ。山の斜面には竹林が広がっている。ここ
もエミ子さんの家のものだが、この竹林も今は動物の給食場になっている。筍は出る順に
猪・鹿・猿に食われ、人間の食べる分などない。今年はまだ一本も採っていない。広大な
竹林だが、若い竹がない。筍が全部食われればそういう竹林になり、やがて枯れ果てる。
山の現実は厳しい。蕗も筍も人間が先か動物が先かというぎりぎりの戦いが続いている。
 ロウバイ、トウブキ、行者ニンニクも全て網で囲って鹿から守っている。      

 畑から採った蕗を洗い場に運び、簡易水道(山の水なので無料)の水で洗い、タワシで
こすって産毛をていねいに取り除く。茎を上から下にタワシをこすることで産毛がきれい
に取れる。産毛が残っていると舌触りが悪いきゃらぶきになってしまう。きゃらぶきにす
る蕗は皮を剥かない。
 洗った蕗は揃えて包丁で切って鍋に入れる。大きなまな板は外で調理するために特別に
作ったもの。「これが便利なんだぃね…」と楽しそう。流しっぱなしの水も豊かで、都会
の台所では出来ない料理だなあと感じた。タワシでていねいにこすった蕗はツルリとして
柔らかかった。青い蕗がたっぷり入った鍋が透明の水をたたえている。        

 この鍋をコンロに掛け、水が沸騰してから一時間ほど茹でる。下茹では大切で、ここで
アクを抜く。茹で上がった蕗はザルにあけ、別の大鍋に移す。今回は生の蕗を三キロ使っ
てきゃらぶきを作る。                              
 何年か前、秩父市内の友人が「蕗が欲しい」と来たので、蕗を百キロほど採って、大鍋
三個を使って茹でた。友人達はそれを持ち帰り、近所に配って喜ばれたという。古い家で
大きな鍋もカマドもある家だからこそ出来た事だった。               
 次は味付けになる。エミ子さんはみりんを基本に味付けをする。みりん一、二リットル
、お酒カップ一杯、醤油三百グラムを加える。他に隠し味として「いの一番」を少し加え
る。そして、弱火でコトコト一時間から二時間煮ればきゃらぶきが出来上がる。    

切った蕗は一時間ほど茹でてアクを抜く。 別の鍋で味付けして煮込む。砂糖は使わずみりんで甘くする。

 エミ子さんは味付けに砂糖を使わない。本当ならみりんを控えて黒糖を入れると味が良
くなると思うのだが、「色が黒くなるんで、使いたくないんだぃね」とのこと。薄味で薄
い色のきゃらぶきがエミ子さんのきゃらぶきだ。醤油の分量も気にする。醤油が多くなる
と、色が黒くなるのもそうだが「しょっぱさは後から強くなるからね…」と、あくまで塩
分控えめなきゃらぶきを目指している。「これがあたし流のきゃらぶきなんだぃね…」と
自分流の作り方を通している。                          
 エミ子さんのきゃらぶきは砂糖を使わず、みりんを煮詰める優しい甘さが特徴だ。味が
濃くないので、いっぱい食べられる。「自分の口に入れておいしいものを作るんだぃね」
と笑いながらいうエミ子さん。自分の味を信じている人の言葉だった。        
 弱火で煮込みながら何度も途中でチェックする。焦げ付かないように気を付けるのと、
煮汁と蕗が全体に混ざるようにすることがポイントだ。全体を混ぜるにはしゃもじや菜箸
を使わないで、両手で鍋を振って全体を混ぜる。こうする事で蕗の形が崩れず、ピンとし
た状態のきゃらぶきになる。                           

 煮込んでいる時間に居間に戻ってお茶を頂きながらいろいろ話を聞いた。エミ子さんは
近くの小双里という耕地の生まれで、縁あって二十四歳の時にこの家に嫁いだ。この磯田
家は三十槌の旧家で、現在の家は百八十年も経っている家だという。ご主人は守弘さん(
七十二歳)で、村の助役や町会長(区長)を歴任した活動的な人だ。猟師を長くやってい
て、納屋や玄関には多くの剥製やスケルトン(頭骨見本)が掲げられている。     
 蕗を煮ている途中で帰ってきたご主人と狩猟の話になって楽しい時間を過ごした。様々
なエピソードが次から次に出て面白かった。改めてじっくりと聞きたい話ばかりだった。

 お茶請けに出されたのが栃餅だった。この栃餅が旨かった。エミ子さんはきゃらぶきだ
けでなく、つとっこや栃餅作りの名人でもある。自宅の裏には大きな栃の木がたくさんの
葉を茂らせている。これはつとっこ作りのために山から移植して、大きな葉を付けるよう
に育てている栃の木なのだ。裏のカマドで栃餅のアク抜き用の灰を作っている。広葉樹だ
けを燃やすカマドで、この灰でなければ栃のアク抜きが出来ない。          
 栃餅は十二月に四十臼以上をついて、お歳暮で配る。四十臼といえばもち米百二十キロ
を使うことになる。これもすごい数なのでびっくりしてしまった。          
 以前は村長が出張する時のお土産に頼まれて栃餅を作ったという。味の良さは定評があ
り、商売でやったらどうかとか、作り方の指導をしてくれと言われている。      
 栃の葉を使って作るつとっこは毎年千個以上作って身内や友人に配る。大滝で生まれて
外に出た人たちは本当に喜んでくれるという。この季節だけの旬の味だ。       
 コンニャクも自分で作る。百キロ以上も作ってみんなに配る。どれもこれもすごい話で
本当にびっくりしてしまった。知り合いの人たちは本当に恵まれていると羨ましかった。

 栃餅といえば、元埼玉県知事の土屋さんも大好きだった。息子が中学生の時「湖底から
の響き」という作文が県知事の目に止まり、表彰されたことがあった。滝沢ダムに沈む村
の事を書いた作文だった。その表彰式で県庁に行った時に栃餅を持っていった。それ以来
歴代の村長さんが知事訪問の折りに栃餅を手土産にした。              

弱火でコトコト一時間から二時間焦がさないように煮る。 出来上がりの目安は柔らかさ。きゃらぶきの出来上がり。

 「もういいかさあ…」と言ってエミ子さんが煮えたきゃらぶきを持って来てくれたので
食べてみた。やさしい甘さで柔らかいきゃらぶきだった。              
 「エミ子さん、これ旨いですよ」「そう、そりゃ良かった。いっぱい持ってってね」と
エミ子さんが笑う。                               
 きゃらぶき出来上がりの目安を聞いたところ、それは柔らかさだという。一時間から二
時間煮込んで、エミ子さんが思う柔らかさになったところが出来上がり。シンプルな料理
だからこそ、レシピだけではわからないコツがある。それは下準備であったり、作る量だ
ったり、火力だったり、様子を見る手間だったりする。               
 甘すぎず、柔らかいがピンとした形のきゃらぶきはまさにエミ子さんのきゃらぶきだ。
 エミ子さんの家には大きなタッパーがたくさん準備してある。出来上がったきゃらぶき
は、そのタッパーに詰められて知り合いに配られる。「どんどんみんなに分けてやるんだ
いね…」と豪快に笑う。なんと素晴らしい山里人生。友人は幸せだ。         

 出来上がったきゃらぶきを頂きながらお茶を飲む。新緑の季節、川筋を渡る風が心地い
い。きゃらぶきは程よく甘くサッパリした味。何より驚いたのはその柔らかさだった。 
 皮をむかないで煮ているのに、この柔らかさは何だろう。蕗のイメージが変わるねっと
りした食感が不思議な気がした。確かにこれは、いくらでも食べられる。       
 にぎやかで楽しく、美味しい取材だった。