山里の記憶159


滝野川ごぼう:黒沢益子(よしこ)さん



2014. 11. 8



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 十一月八日、皆野町の国神(くにがみ)にごぼうの取材に行った。取材させてもらった
のは黒沢益子(よしこ)さん(七十九歳)で、秩父では珍しい長いごぼうを栽培している
という話だった。自宅に伺ってしばらくお茶を飲んでいろいろな話をした。      
 益子さんから畑の概要やごぼうの話を聞く。畑は荒川近くの川端という場所にある。堆
積した砂質の土が深い場所で、そんな場所だからこそ長いごぼうが出来る。川のすぐ横な
ので、大水が出て畑が流されたこともあった。県が工事して直してくれたのだが、一部の
場所は土が浅くなってしまい、ごぼうが作れるのは畑の半分くらいの場所だ。     

 話だけ聞いていてもわからないので、すぐに畑に行く事にした。益子さんが運転する軽
自動車で畑に向かう。益子さんの運転が若い人のように勢いが良くて驚いた。聞けば、毎
日二回直売場に車で通っているとのこと。朝に野菜を運び、夕方には残った野菜を引き揚
げに行く。忙しいから自然に車のスピードも上がる。とにかく元気な人だ。      
 畑は川のすぐ横にあった。息子の和也さんが来ていて、ユンボで一メートル以上も深い
溝を掘っておいてくれた。こうしてないと長いごぼうは収穫出来ない。益子さんはユンボ
を運転しない。「機械類はあたしはダメなんだぃね…」「息子達にお願いしてやってもら
うんさぁ…」と笑う。                              

益子(よしこ)さん自慢の畑は、川のすぐ横にある。 太くて長いごぼうを抱えてニッコリ笑う益子さん。

 益子さんがごぼうの収穫を見せてくれた。深い溝をまたいでごぼうを抜く。ごぼうすれ
すれに深い穴が掘られているので土の壁を崩すような感じでごぼうが抜ける。確かに、こ
うして掘ってなければ人力でこれを抜くのは無理だ。ごぼうの品種は滝野川、長根種の代
表品種だ。この畑で長いものは一メートルを超える。                
「ほら、すごいでしょ」太く長いごぼうを抱えて益子さんが笑う。何本もスルスルと抜い
て並べる。「あんまり長くて太いのは売れないんだぃね。このくらいのがちょうどいいん
だよね…」と六十センチくらいのものを見せる。確かにそのくらいのサイズが直売場には
よく並んでいる。「なかなか揃わないよね。仕方ないけどねぇ…」          

 畑の端の方で和也さんが同じように深い溝をユンボで掘っていた。こちらは山芋が植え
てある場所だ。山芋も深く深く伸びるのでこの方法でないと収穫出来ない。人力ではとて
も掘れない。深い溝の中に入り、両側の土壁を崩すようにしながら山芋を丁寧に収穫する
和也さん。山芋はまっすぐに育っているとは限らないので、穴を掘る段階で切ってしまう
ことも多い。「それはもう仕方ないからね…」と笑う。               
 山芋は芋だけでなくムカゴも商品になる。最近はムカゴがよく売れるようになったそう
だ。山芋の栽培では樋を使った栽培方法もあるのだが、樋を使うと丸くならず平べったく
なってしまうので止めた。やはり自然に深く、丸く育つのがいい。          

 この畑ではごぼう、山芋の他に、ネギ・白菜・大根・ブロッコリー・里芋などを作って
いる。作った野菜は皆野道の駅直売場に出荷する。里芋は全部掘って、深く土に生け込ん
である。こうしておけば傷むことなく保存できる。里芋を活けた場所には目印の棒が立て
られている。ユンボで掘った深い穴の中で里芋は出荷の日までぐっすり眠っている。  
 それにしても一メートル以上掘ってもまだ土があることに驚かされた。秩父の畑でこれ
ほど土が深い場所があるなんて思ってもいなかった。土を握って見たらサラサラの土で驚
いた。砂地であること以上に柔らかい土だった。益子さんに聞くと鶏糞を大量に入れて深
く耕すからこの土になっているとのこと。じつに素晴らしい土の畑だ。        
 とにかく、深く柔らかい土にしないとこのごぼうは出来ない。ごぼうや山芋を作って、
ユンボで掘って埋めてまた掘って、その繰り返しがこの畑になっている。       

息子の和也さんと山芋掘りをする。山芋は折れるので慎重に掘る。 ごぼうの収穫。みるみるうちに長くて太いごぼうが山積みになる。

 ごぼうの種を蒔くのは五月。品種は土が深いことを最大限に生かすため長根種の滝野川
を栽培している。周辺の農家では夏から採れるからと、伊助とかサラダごぼうなどの早生
品種を栽培している人も多いが、益子さんは昔から滝野川ごぼうだけを栽培している。 
 滝野川ごぼうの特徴は長さだ。この深い土の畑だからこそ栽培できる品種なのだ。ごぼ
うは育つ土によって柔らかさが変わる。益子さんのごぼうは柔らかいとよく言われる。や
はりこの土ならではの品質なのだと思う。この畑の土自体が柔らかい。この土で育つのだ
からごぼうも柔らかくなるはずだ。                        

 手入れは間引きと草むしりをするくらいで、あまり手は掛からない。土がいいから良く
育つ。この品種は日照りに強く、平均して同じように出来るのがいい。収穫は十一月から
来春まで続く。ただ、土の中でも年を越すとスが入ってくるのでスが入ったものは千切り
などの加工をして出荷するようになる。細いものは炒め物に、太いものはキンピラ用など
に加工する。ごぼうを洗って出荷する人もいるが、益子さんは泥のまま出荷する。その方
が買った人も日持ちがしていい。                         

 山芋の収穫を終えて益子さんと和也さんがごぼうの畑に戻ってきた。すぐに二人でごぼ
うを抜き始める。和也さんの動きが素早い。山芋と違ってごぼうは折れることはなく、楽
に抜ける。あっという間にひとサクのごぼうを抜き終わり、軽トラの荷台にごぼうを積み
上げる。このまま家に運んで分類して明日の出荷用に加工する。           
 「本当は今日掘った穴は今日中に埋めておくんですよ。今日はいつもとちがうので、こ
のまま家に帰りますが、いつもは全部埋めて作業終了なんですよ」と和也さんが言う。 
 掘った穴をそのままにしておくと次のサクが掘れない。私の取材用に早く作業を切り上
げてくれたようで申し訳ないことだった。                     

作業を終えた和也さん。その都度掘った穴を埋めて終わりにする。 家でお茶を頂きながらいろいろな話を聞かせてもらった。

 家に戻って、お茶を飲みながら、益子さんに昔の話を聞いた。           
 益子さんは縁あって二十三歳の時に秩父の大田からこの家に嫁に来た。結婚相手は士郎
さん、一つ年上の人だった。                           
 嫁いできた当時は養蚕と牛飼いが仕事だった。五・六頭の乳牛を買って搾乳をしていた
のだが、子供が出来て搾乳の仕事が難しくなったので、牛飼いを止めて養鶏をはじめた。
その後三十六年間養鶏ひと筋で生きて来た。                    
 士郎さんは温厚で、言ってみればのんびりした人だった。子供は男二人女二人の四人に
恵まれた。みんな元気にやっている。                       
 養鶏は大々的にやっていた。二階建ての養鶏場を作り、エサも自動的に出る機械を入れ
た。士郎さんと力を合わせて養鶏をしながら子育てをしてきた。           
 養鶏のエサで使っていた魚のアラが塩分を含んでいて、そのせいで機械が壊れた。ちょ
うど士郎さんが六十になる時だった。新しく機械を変えるには莫大な費用がかかるし、ち
ょうど世間で言う定年の歳だし、ということで養鶏を止めることにした。機械を取り替え
るよりも廃業を選んだ二人だった。                        
 じつは、それまで養鶏ひと筋だったので畑仕事などまったくしていなかった。養鶏を止
めてから始めた野菜作りだった。最初は健康のために体を動かす程度のつもりで始めた野
菜作りだったが、直売場に出荷するようになって変わった。             
 いろいろな人の話を聞き、自分流にも工夫し、他よりも良いものを作ることに邁進する
ようになった。二人で頑張ってきたが、昨年士郎さんが他界し、益子さんは子供達と力を
合わせて野菜作りをするようになった。                      

 益子さんが今の野菜作りについて話してくれた。「野菜がほきる(育つ)のを見るのが
いいんだよね。毎日毎日大きくなって、実が成って、実が大きくなって…。土いじりが楽
しいし、元気になるよね…」                           
 「たまには遊びたいなあって思うこともあるけど、やっぱり動いているんが好きだから
直売場通いはやめられないね…」「仲間がいっぱいて楽しいし、負けられないって思うん
だいね…」「ユンボを使ってくれとか、子供をあてにしてって怒られるけど、こればっか
りは仕方ないんでねぇ…」                            
 子供達の力を借りながらの畑仕事。健康でいられれば良いと言いながら、つい持ち前の
性分でがんばってしまう。じつに充実した人生だなあと思う。            
 お土産に太くて長いごぼうをいただいた。家に帰ってさっそくキンピラを作ってみた。
太いごぼうがじつに柔らかく、真っ白で、旨いきんぴらが出来た。これだけ太くても柔ら
かいのは、あの土のお陰なのだと実感した。