山里の記憶141


豆腐作り:前野エキさん



2013. 12. 26



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 十二月二十六日、小鹿野町長若(ながわか)に豆腐作りの取材に行った。取材させて頂
いたのは、前野エキさん(八十歳)と、娘夫婦の松井道明さん(五十九歳)と恵美子さん
(五十九歳)だった。道明さんの家の倉庫で豆腐作りが行われていた。        
 毎年この時期に豆腐作りをしているという。お正月用の豆腐作りだ。恵美子さんが笑い
ながら「指が痛くなるほど寒くならないと豆腐作りはダメなんだいね…」と言う。昔は豆
腐小屋があって、そこで豆腐を作っていたのだが、そこが「とにかく寒かった…」ので、
今は日の当たる倉庫で、専門の機械を使って豆腐作りをしている。          
 なんと、ボイラーを使って豆腐を作っているとのこと。初めて見るその機械にびっくり
して説明してもらった。豆腐はひと晩水に浸けてふやかしたものを、専用の電動臼で擂り
下ろして漬け物用の樽に入れてある。この、水を加えながらすりつぶした大豆を生呉とい
う。ひと樽に大豆三升分の生呉が入っている。その樽が四個。全部で大豆一斗二升分の生
呉があることになる。今日はこれを煮るところから作業が始まる。          

足元の四つの樽に大豆をすった生呉が入っている。これを豆腐にする。 ボイラーの蒸気で寸胴鍋の生呉を煮る。蒸気なので絶対焦げない。

 ここでボイラーが登場する。高圧の蒸気で大きな寸胴の湯を沸かす。ボイラーの発する
音が倉庫に響き渡る。徐々に沸騰する寸胴の湯。初めて見るその威力に驚く。寸胴の中に
ボイラーからの蒸気を効率良く水に伝える丸いパイプが入っている。パイプには細かい穴
が空いていて、そこから高温の蒸気が水中に噴射されているのだという。       
 昔の光景は、家の庭に大きなかまどを据えて、大きな釜で湯を沸かして生呉を煮たもの
だったが、そういう光景とは若干違う豆腐作りの光景だ。しかし、合理的に機械を使って
いるだけで、手順と内容は昔ながらのものだとわかった。              

 大きな寸胴の湯が沸騰した。この湯で、今日使う全ての道具を熱湯消毒する。モウモウ
とした湯気が倉庫を満たす。恵美子さんと道明さんが忙しく動き回る。なんと手際の良い
ことだと驚かされる。                              
 消毒した寸胴に、漬け物樽に入った生呉を入れる。この寸胴に先ほど湯を沸かしたパイ
プを差し込む。ボイラーの蒸気が生呉を加熱する。道明さんが説明してくれた。    
「蒸気を使って煮ると失敗しないんだいね。鍋で煮てた時は焦げないようにずっとかき回
さないとダメだったんだけど、それが重労働でさあ。火が強いと焦げて、鍋全部がダメに
なっちゃうんだよね。これでやると絶対に焦げないからいいよ…」          
 もちろん、煮立ってくれば泡が出る。昔は消泡剤としてコヌカを撒いたりしたが、今は
何も使わない。蒸気の圧を低くすることで対応している。大きな寸胴を使っているので、
めったに泡が寸胴から噴き出すことはない。                    
 寸胴の生呉は八分程で煮立つ。あとは十五分くらい蒸らす。火を燃すことがないので安
全だ。ボイラーを使うようになって格段に豆腐作りが楽になったと道明さんが言う。  
 このボイラーは豆腐作りの他に、自宅でコンニャクを作るときにも使う。大量のお湯を
必要とするコンニャク作りも、このボイラー加熱なら簡単で安全だ。         
 機械屋さんによると、器具さえあればまんじゅうを蒸したり、赤飯を蒸かすことも出来
るという。もちろん餅米を蒸かすことも出来る。                  

 寸胴の生呉が煮上がった。これを漉して豆乳を作るのだが、こちらも専用の機械が使わ
れていた。油圧で絞る機械だ。機械のフタを開けて、その中に漉し袋を置き、エキさんと
恵美子さんが袋の口を開けて持つ。その袋の中に道明さんが煮立った呉汁を大きなヒシャ
クで注ぎ込む。モウモウと湯気が立つ。全部入れたら、エキさんと恵美子さんがその袋の
口を絞る。袋の口をグルグル巻きにして止め、道明さんが機械のフタを閉じる。    
 油圧で加圧すると、機械の口から豆乳が流れ落ちる。受ける寸胴には細かい目の布袋が
敷いてあって、再度漉してからニガリを合わせる作業になる。            
 三升の大豆で作った豆乳に、二百三十グラムのニガリを合わせる。道明さんが大きな櫂
(かい)でグルグルと豆乳を回す。「よし、いいよ!」の声に合わせてエキさんがニガリ
を入れる。同時に道明さんが櫂を反対に回す。逆流が起き、寸胴の豆乳が一気に逆巻き、
ニガリは一瞬で全体に混ざり合う。このひとかきが豆腐作りにはとても大事な工程だ。こ
こが上手く出来ないと豆腐が固まらない。寸胴に紙のフタをして、固まるのを待つ。  
 大豆のタンパク質とニガリの塩化カルシウムの化学反応で豆腐が固まる。ニガリが多い
と苦い豆腐になってしまうので、ニガリ使いには経験が必要だ。           

絞り器の袋に煮えた呉汁を入れて、袋の口を止めている。 油圧をかけて、袋を絞り、豆乳を作っているところ。

 エキさんは忙しい。豆腐を流し込む型枠に丁寧に濡れ布巾を敷く。専用の布巾で型枠の
大きさに作ってある。下の四隅をきちんと合わせ、丁寧にシワがよらないように敷いてい
る。「昔は木箱だったんだよ。十四丁用とか、十二丁用とかあったんだい。下に切る目安
の型があるんで、その型に合わせて切るんだったいね。今はアルミなんで、自分の好きに
切るけどね…」と昔のことを話してくれた。                    
 恵美子さんは「熱い、熱い!」と言いながら、絞り終わったオカラを樽に移している。
見るとオカラだと言うのに、まだずいぶん豆の形が残っている。聞いてみると「うちのオ
カラは美味しいオカラにする為に荒く擂ってるんだよ…」とのこと。豆乳も完全に絞りき
らずに残し、食べる時のことを考えて、味のあるオカラを作っている。        
 そのオカラを食べさせてもらった。しっとりして味のある、美味しいオカラだった。料
理のことを聞いたら、オカラを使ったガンモ、卯の花、信田巻きなどを作るとのこと。こ
のオカラならさぞ美味しい料理が出来ることだろう。                

 作業が一段落したのでエキさんに昔の話を聞いてみた。エキさんは十九歳の時に、同じ
村で三つ上の博さんと結婚した。家では養蚕と牛飼いが主な仕事だった。       
「中学の時から牛の乳搾りをやってたんだよ…」といい、すぐに「ほれでも、牛乳は嫌い
なんだぃ…」と付け加える。共同で飼育していた乳牛は多い時で七十頭ほどいたという。
 また、自分の家でも五頭の乳牛を飼っていたから、乳搾りは大きな仕事だった。早くか
ら搾乳機を使っていたというから、先進的な乳牛飼育だったのだろう。絞った牛乳は森永
乳業に卸していた。                               

「昔から比べれば、今は毎日が正月のようだいね…」という。昔は商店などなく、自分の
家で作ったものしか食べられなかった。それでも農家は食べることに関しては良かったと
いう。戦時中は東京から大勢の人が着物を持って、食べ物(主に麦)と交換に来たものだ
った。疎開して来た子供もたくさんいた。                     
「食べることだけは農家だったから、良かったんかねえ…」と昔を振り返る。     
 子供は、男の子が二人と女の子が二人の四人を授かった。みんな元気で育っている。 
「子供は放っとけば自然に大きくなったいねぇ…」と謙遜する。           
 エキさんは子供の頃から毎年、正月前に豆腐作りをしてきた。昔は水道がなかったので
遠くの三田川まで水を汲みに行って豆腐を作ったものだった。専用の豆腐小屋があって、
そこで豆腐を作っていた。山の水で作った豆腐は旨かった。ただ、毎日水を替えても三日
くらいで傷んでしまった。今の水道水の方が格段に豆腐の持ちはいい。        
 大豆は石臼で擂った。水と一緒に一回で三粒とか四粒入れて擂るものだった。早く終わ
りたくて十粒も入れると見つかって怒られたものだった。              

おぼろ豆腐状に固まった豆腐を、布巾を敷いた型枠に流し込む。 四つの型枠で豆腐を作っている。全てお正月の料理になる。

 休ませていた寸胴をエキさんがチェックする。寄せ豆腐状態になってきたのを見て「そ
ろそろいいかね…」と言う。すぐに寸胴を型枠のところに運び、大きなヒシャクですくっ
て型枠に流し込む。ズンズンと豆腐を入れながら「一杯食べてみな」と笑う。     
 おぼろ豆腐状態のものを茶碗に一杯頂いた。そのまま口に運ぶと、何という大豆の香り
だろうか。味はもうなんと言ったらいいかわからない。大豆のエキスがそのまま詰まって
いる。これが本物の豆腐だったんだと、子供の頃作っていた豆腐を思い出した。    
「これ、ほんとに旨いですよ!」「そうだんべ」エキさんが笑う。          

 考えてみれば、これほど贅沢な豆腐はない。自分の畑、無農薬で作った大豆を使い、何
も加えず、ニガリだけでまとめた豆腐。消泡剤も凝固剤も一切使わず、ゆったりと豆乳を
絞り、自然に固まる豆腐。それを温かい内に食べる幸せ。年に一度の贅沢だと道明さんも
言う。エキさんがそっと言う。「豆腐は今夜食うんが旨いんだぃ。水に浸けると水の味が
移るかんねぇ…」何という贅沢。一年に一度の味。それがこの豆腐なのだ。      
 昔の人も、こんな気持ちで豆腐作りをしていたのだと思うと、なんだか嬉しくなってく
る。種を蒔くところから始まって、一年かけて作るスローフード。お正月のご馳走だ。