山里の記憶140


くるり棒:坂本徳治さん



2013. 11. 20



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 十一月二十日、小鹿野町長若(ながわか)にくるり棒の取材に行った。取材をしたのは
坂本徳治さん(七十八歳)だった。                        
 くるり棒とは、大豆や小豆を脱穀する農具のこと。竹の柄にクルリと回る棒を付け、ク
ルリと回転させて、大豆や小豆のサヤから実を叩き出すもので、今ではほとんど使われて
いない。                                    
 私が小学校の頃、家でくるり棒を使って大豆や小豆の脱穀をしていた。使い方にコツが
あって、タイミングが悪いと自分の頭を打ったりする。リズミカルに回転させて叩くのだ
が、長時間続けると腕がパンパンになる。                     

 徳治さんの家にくるり棒があるという事で取材になったのだが、徳治さんは「古いのは
うまく回らねぇんで、新しく作ったい…」とのこと。なんと、今日の為に新しいくるり棒
を二つも作ってくれていた。                           
 まだ青い竹で柄を作る。これを火で焼きながら二つ折りにする。折った場所に九十セン
チほどの叩き棒を取り付けた軸棒を取り付ける。この軸棒がくるりと回転して、叩き棒が
小豆や大豆を叩き出す。文で書くのは難しいが、棒を回転させて叩いて脱穀する道具だ。

 大豆をやろうという事だったのだが、今年はまだ大豆の葉が枯れず、畑で枯らしている
ところだとのこと。畑から刈り取って、ハザで一ヶ月干しておいた小豆がちょうどいい具
合に乾燥しているので、小豆を脱穀することにした。                
 庭にムシロやブルーシートを敷き、その上に小豆を山のように積み上げる。それをくる
り棒で叩く。新しい棒が重くて大変そうだったので、私も手伝う。すぐに汗びっしょりに
なる。…これは、明日筋肉痛になるな……などと思いながらも頑張って叩く。     

庭にシートを敷き、乾燥した小豆を山積みにした。これを叩く。 二人でくるり棒を使って小豆の山を叩く。

 おおかた叩いたら、枝葉を全部裏返す。裏側にさやが開かないものが残っていることが
多いからだ。そしてまたくるり棒で叩く。端から端までムラなく叩く。ホコリも上がるし
汗も流れるが、かまわず叩く。昔、バットでくるり棒を作った人もあったそうだ。   
「少し休むべぇや…」と徳治さんが言うので休むことにした。ムシロから飛び出した小豆
の実が気になって、休みながら拾い集めてムシロの中に投げる。農民は自分で作った作物
は一粒たりとも無駄にしたくない。奥さんの宏女(ひろめ)さんも小豆の実を拾う。  
「飛んでるんは、いい実が多いから、どうしても拾うよねぇ…」休みというよりも、小豆
拾いの時間になってしまった。地面に飛び散った赤いダイヤを拾い集める。      

 宏女さんがお茶を入れてくれた。お茶を飲みながらいろいろな話を聞いた。     
 徳治さんは大豆と小豆を収穫する時に、昔は根ごと引き抜いてハザにかけていた。今は
根を地中に残して、茎を切って収穫している。                   
「根留菌を残すようにしたんだいね…」という。豆科の植物の根には根留菌がいて、空気
中の窒素分を固定して栄養分として溜める性質がある。根と一緒に根粒菌がなくなっては
栄養分が減る事になってしまうからだ。                      
「まったく、昔はそんな事たぁ知らなかったから、もったいねぇ事をしたいなぁ…」と笑
う。七十八歳になっても、まだまだ勉強熱心だ。                  

 今年は大豆を四畝部作った。昔は大豆を使って味噌や豆腐やきな粉を作ったものだが、
今は作らなくなった。冬に煮豆を作って近所に配るくらいだという。         
 宏女さんは子どもの頃、大豆を茹でた汁で髪の毛を洗う人を見た。髪の毛がツヤツヤと
して、今で言うリンスと同じ効果があるとのこと。私が子供の頃にも、大豆の煮汁で髪を
洗う人がいたことを覚えている。                         
 大豆話が続く。宏女さんは両神の大谷(おおがい)の出身だが、大豆を唐臼(からうす
)で挽き割りにして、豆ご飯を炊いた。一升のうち挽き割り大豆が三合くらい入っていた
という。豆ご飯は腹持ちが良かった。                       

 脱穀機で豆を脱穀すると豆が割れてしまうので、くるり棒やカゴ脱穀をした。他にも棍
棒で叩く脱穀方法もあった。カゴ脱穀というのは簡単な方法で、大きなカゴの内側に大豆
の枝を叩きつけて豆を落とす方法。カゴを横に倒して、自分は座ったままで作業出来るの
で年寄りはこの方法が好きだった。                        
 脱穀で出る大きなゴミは、豆フルイで選り分けて取った。脱穀で出る細かいゴミは、箕
(み)で飛ばすか、唐箕(とおみ)で飛ばした。                  
 脱穀の後の大豆の豆ガラは焚きつけに使ったり、畑の堆肥にした。牛や山羊を飼ってい
る人は押し切りで切ってエサにした。節分の時にイワシの頭を刺すのも大豆の豆ガラだっ
た。今年の大豆は、まだ畑で乾燥させている。                   

 小豆の脱穀は棒や棍棒で叩く方法が主だった。今の小豆は六月二十四日に種を蒔いたも
ので、十月十五日に収穫した。そのまま畑のハザにかけて一ヶ月干したことになる。  
「百姓は天気で動くから、どうしたって天気次第だいねぇ…」徳治さんが言う。今年は何
だか変な天気が多かったとつぶやく。                       
 小豆は赤飯やあんこ作り、正月のお汁粉などに今でも欠かせない。今年は雨が多かった
ので腐れが出ていそうだと宏女さんは心配している。                

一通り叩いたら、小豆を裏返して裏側を同じように叩く。 これが豆フルイ。大豆がちょうど落ちる大きさの目になっている。

 一休みしてから、またくるり棒叩きが始まる。もう背中まで汗びっしょりだ。念入りに
叩いた豆ガラをよく振って束にして外に出す。                   
 脱穀はここからが大変だ。大きな枝や葉を取り除き、実とゴミを分けるために豆フルイ
を使う。豆フルイを使うと細かいゴミが残るので、今度は箕(み)を使ってゴミを取る。
 この箕の使い方が難しい。                           
 徳治さんがやって見せてくれる。鮮やかに箕を振ってゴミを取り除く。残った大きなゴ
ミは手で取り除く。最後は真っ赤な小豆だけになる。                
 箕を使って細かいゴミ取りをさせてもらった。子供の時にやった記憶だけで、見よう見
まねでやってみるのだが、難しい。いろいろ力加減や角度やリズムを変えて振ってみて、
なんとなく使い方がわかってきた。わかってくると面白い。             
 何とか箕を使ってゴミを飛ばすことが出来て、小豆の脱穀が出来た。        
 見ていた宏女さんが笑いながら言う。「こういう事は古い家でなくちゃできねぇやね。
新しい家じゃあホコリべぇんなっちゃうかんねぇ…、あっはっは」          
 築二百年の家の庭で小豆の脱穀。絵になる光景だ。                

箕(み)を使って細かいゴミをより分けている宏女さん。 休憩中にくるり棒を持って、にっこり笑う徳治さん。

 宏女さんの話ではここから先が大変なのだそうだ。脱穀した小豆は天日で一週間干す。
「だから、この時期は晴れてくんねぇと困るんだぃね…」雨が降ると乾燥が足りなくて、
傷む原因になる。干した後は紙袋に入れて保存する。虫が出ないからと、色つきの一升瓶
に入れて保存する人もいる。                           
 そして、選別が始まる。シイナや虫食い、腐ったものを取り除く作業だ。      
「ここからは女衆(おんなし)の仕事だいねぇ。暇なときに根気よくやるんだいねぇ…」
「今年は雨が多かったんで、傷んでるのが多いみてぇだねぇ…」           

 この小豆でお雑煮やお餅のあんこを作る。買って来た小豆では旨く作れないという。豆
の乾燥具合がわからないからだ。見た目が同じでも、買って来た小豆は乾燥具合がわから
ないので水加減が出来ない。自分で作った小豆だけで作るのが一番だという。     
 地産地消どころでなはい、自家自消だ。自分が作ったものだから何でもわかる。以前は
直売場で売ったことある。評判が良く、飛ぶように売れた。大豆や小麦粉もよく売れた。
 でも、最近はもう出荷はしていない。自分たちで食べる分だけ作る。食べる分だけにし
ては量が多いのでは…、と聞くと「畑があるんで、何か作っておかないと畑がダメになる
からさぁ…」という答え。畑をだめにしてはいけないという、農家の心意気が伝わる。 
「昔はこの倍くらい作ってたから、えら大変だったんさぁ…」            

 宏女さんと話しながら家に入ると、徳治さんが座卓でなにやら筆で書いている。見ると
俳句をしたためていた。久しぶりのくるり棒で一句出来たとのこと。         
 冬陽さす 庭で小豆の くるり打ち   徳治