山里の記憶138


キャラメル作り:富田文子さん



2013. 10. 29



絵をクリックすると大きく表示されます。ブラウザの【戻る】で戻ってください。


   十月二十九日、キャラメル作りの取材に、秩父市太田の富田文子さん(七十八歳)を訪
ねた。文子さんはもう二十年もキャラメルを作り続けている。昔から乳牛を育てていて、
牛乳を出荷していた。その牛乳から出来る大量のバターを何かで使えないか…ということ
から始まったキャラメル作りだという。                      
 きっかけは、福引きの景品本にキャラメルの作り方が載っていたから、とのこと。  
 ふとしたきっかけから始まったキャラメル作りが二十年も続いている。       

 個人的に作っていたキャラメルだったが、生活改善課の担当者から指導され、本格的に
やることになった。平成十年に完成した、浦山フレッシュセンターで販売しないかという
話になったこともきっかけになった。                       
 文子さんは保健所の講習を受け、製造する場も整備して、許可を受けて正式にキャラメ
ルの製造を始めた。製造工場はもともと牛舎で、物置として使っていた小屋だった。ここ
を工場として建て直し、保健所の許可を受けた。                  
 平成十年に工場を作って、色々試行錯誤しながらキャラメルの品質を上げ、平成十二年
から販売を始めた。キャラメル作りには資材屋さんも協力してくれ、ラベルなども作って
くれた。                                    

 文子さんのキャラメルは生キャラメルとは違う。固く作られていて、歯にくっつくこと
がない。お年寄りには、そんなところが喜ばれているという。            
 最初は「長く置くと溶けるよ〜」と言われ、溶けないように固く練る工夫を重ねた。味
は普通のキャラメルだが、飴のように固い食感は何だか不思議な食べ物だ。      

 工場で文子さんのキャラメル作りを実演してもらった。まず、使う器具類をステンレス
のテーブル上でスプレー消毒する。使うゴム手袋も消毒する。            
 鍋に入っている材料は、水飴七百グラム、バター百十グラム、コンデンスミルク四百グ
ラム、砂糖百七十五グラムとなっている。鍋をガス台にかけて火をつける。鍋は底が平ら
なものがいい。熱が均一に伝わることと、かき回しやすいこと、焦げ付きにくいことから
だ。火をつけた後は、ひたすらゴムべらでかき回す。                

材料を鍋で煮詰める文子さん。強火で焦がさないようにかきまわす。 煮上がった材料をバットにあけて平らにする。すぐに固くなる。

 文子さんは、ひたすら焦げないようにかき回しながら煮詰める。三十分以上、火加減を
微妙に調整しながら煮詰める。この火加減が難しい。バターは少しの焦げでもすぐに色が
変わるので気を抜けない。火をつけている間は、片時も鍋から離れられない。     
 材料が煮立って、ブクブクと泡が出てきた。まるでチーズフォンデューのチーズが煮立
った時のような感じになった。文子さんは顔色も変えずにひたすらかき回している。  
 強火で煮詰めないと固くならない。かといって、強火で煮るとバターが焦げる。この火
加減が難しいのだと、文子さんはかき回しながら、火加減を調整する。        
 工場に、キャラメルのいい香りが充満してきた。                 

 鍋の泡がねっとりしてきた。泡がなくなって、かき回す時に鍋底が見えるくらいに固く
なれば、そろそろ出来上がりになる。出来上がりの目安は、練ったキャラメルを茶碗の水
に落として見るという。                             
 茶碗に落ちたキャラメルがそのまま固まり、ポキッっと折れるくらいになるのが目安だ
という。何度も何度も失敗しながら会得した、出来上がりの目安だ。その瞬間が近づく。
 文子さんが茶碗にゴムべらをかざすと、茶碗に落ちたキャラメルは底に沈んで溶けてし
まった。「これじゃまだダメなんだいね。すぐに固まるくらいでなきゃ…」      
 また、ねっとりしてきた鍋をかき回す。「重くなって来たね…」鍋が熱い。     
 文子さんは、片手で鍋を持ち、片手でグングンとかき回す。固くなるとかき回すのにも
力が入る。ここまで来ると、厚く重い鍋でないとダメだということがよくわかる。   

 再度、ゴムべらを茶碗にかざす。垂れた液が茶碗の水で一瞬にして固まった。指でつま
んでみて驚いた、糸状に固まったキャラメルは本当にポキポキ折れた。        
「さて、出来上がったね…」                           
 文子さんは鍋を持って、台の上のバットにその中身をあける。サーっとバットに飴状の
液体が流れ込む。ゴムべらで掻き落とすが、すぐに固まってしまう。バットの中身もすぐ
に固まる。ゴムべらや器具を使って平らにする。最後は指で押して均一の厚さにする。こ
れもスピード勝負だ。                              

冷めるまでの間に型板でスジをつけて、上を丸くする。 冷めたら折り割って、キャラメルの出来上がり。

 まだバットの中身が熱いうちに、ステンレスの板を使って筋をつける。この筋にそって
割るためのもので、何度も何度も同じところに筋をつける。熱いうちは溶けているので、
筋はすぐに消えそうになるが、何度もくり返しているうちに冷めてくる。すると筋にそっ
て、上部の丸いドーム型のキャラメルが姿を見せてくる。              
 キャラメルは固まったが、まだまだ熱い。バットはとても素手では触れない熱さだ。こ
れをビニール手袋だけで作業するのだから大変だ。                 
「もう、大丈夫だね…。あとは、冷め切ったら割るだけだい…」           

 一時間ほどかかった作業が一段落した。文子さんがお茶を入れてくれた。お茶を飲みな
がら文子さんに昔の話を聞くことができた。                    
 文子さんは秩父の小柱(おばしら)の出身で、家は農家だった。高校を出て、働きに出
たかったが、父が体の調子を崩し、家の手伝いをしていた。母を振り切って家を出ること
が出来なかった。家では養蚕をやっていて、年中忙しかった。            
 そんな文子さんが二十四歳の時に親同士が決めた縁談話が持ち上がった。仲人さんと相
手のお父さんが家に来て縁談の話をする。父はすでに他界していた。応対に出た兄が「じ
ゃあ、そうせい」と言って話が決まった。その相手が今のご主人の益雄さんだった。  

 文子さんは、二十四歳の時二十五歳の益雄さんと結婚し、この家に嫁いだ。     
 旧家で、屋号を『板屋』という家だったが、板屋のいわれはわからない。      
 嫁に来たときこの家には、益雄さんの妹で四年生の女の子、高校生の弟、父母、おばあ
ちゃん、おじいちゃんが一緒に暮らしていた。おじいちゃんが椎茸をやっていて、おばあ
ちゃんが養蚕をやっていた。                           
 益雄さんは桑にカセる(かぶれる)体質で、養蚕が出来なかった。かわりに、乳牛を二
頭飼っていた。文子さんは牛が苦手だった。世話をするのも怖くて仕方なかったのだが、
いつの間にか慣らされて、自然に牛の世話もするようになっていた。一番多いときは五十
頭の牛がいた。                                 
 子供は三人の男の子に恵まれた。みんな元気でがんばっている。          

作業が終わって笑顔の文子さん。昔の話を聞かせてもらった。 牛舎を改築して作ったキャラメル工場。注文があったら作る。

「もう冷めたみたいだね…」と文子さんが立ち上がり、ゴム手袋をしてバットを持ち上げ
た。少しひねると、簡単にキャラメルが板状にはがれた。それを次々に手で折って割る。
 コロコロとキャラメルが出来上った。                      
 販売用のビニール袋に入れて重さを量る。シリカゲルを入れて百十グラムになるように
キャラメルを詰める。そして、シップシーラーという機械で袋をシールすれば文子さんの
キャラメルが包装されて、販売用になる。                     
 このキャラメルは『おばさんの手造り・ミルクキャラメル』の名前で二百五十円で販売
されている。販売されている場所は、今のところ寄居の風布館だけだ。今は注文に応じて
作っている。キャラメルは九月から六月の涼しい時期だけ作る。           
 頼まれた分だけ作るので、自分のペースで出来るのがいい。            
「商売は本気じゃないんで、作ってくれって言われたら作るんだいね…」とのんびりして
いる。まあ、それが長く続いた秘訣かもしれない。                 

 キャラメルの作り方を若い人に教えているというのだが、「ものを教えるというのは大
変だ。やることは出来るけど、教えることは難しい…」と笑う。教えるというのは、出来
るという事とは別の才能が必要だ。その難しさはよくわかる。            
 出来上がったキャラメルは甘くて、市販のものより固かった。歯にくっつかないキャラ
メルは、意外といい。                              
「出来る間は続けたいよね…」と明るく笑う文子さんだった。