山里の記憶135


栃の実皮むき:山中龍太郎さん



2013. 9. 17



絵をクリックすると大きく表示されます。ブラウザの【戻る】で戻ってください。


 九月十七日、栃の実の皮むきを取材に、小鹿野町両神の両神山荘に行った。両神山荘
の山中龍太郎さん(七十八歳)は、昔から栃餅を作ってきた。その作り方は後述すると
して、今回は栃の実を拾ってきてから食材に加工するまでを取材させていただいた。 
 例年なら、栃の実は九月の末に熟して落ちるのだが、今年は暑さの関係か九月の初め
に落ちた。知り合いから連絡を受け、九月の五日に拾いに行ってきた。       
 その量が多かった。全部で七斗の栃の実が手に入った。七斗と言えば、百臼の栃餅が
つける量だ。さすがに一年では使い切れない量だと言う。             

 本来ならすぐに加工するものだったが、あまりに時期が早かったため、私の方が間に
合わず、十七日まで待ってもらう形になってしまった。水に浸けて取っておいてもらっ
た栃の実の皮むきを実演してもらった。                     
 まず、水に浸けた栃の実を一升くらい鍋に取る。ひたひたに水を入れ、コンロに乗せ
て火を点ける。鍋には水温計が入れてある。龍太郎さんが言う。          
「いろいろ試したんだけど、最終的にわかったんが、七十度になったら火を止めて十分
置くと皮がよくむけるってことなんさ…」                    
「よく、手の感覚で湯の温度を見る人がいるが、あれじゃあ正確じゃあないんだい。熱
の入り方が違うとダメなんだいね…」「割ってみて、中が白いのは熱の入りや湯がきが
足りないんだいね。黄色いのが虫が入らなくていいんだい…」           

 鍋に入れた水温計の温度がぐんぐん上がる。七十度になった時点で火を止める。水温
計の数字は一端七十一度になり、その後徐々に下がってゆく。そして十分待ってから皮
をむきはじめた。                               
 龍太郎さんは皮をむくのに石を使う。金槌で叩く人もいるが、加減が難しく、石の方
がきれいにむけると言う。叩く台も大きな石だ。台の石は栃の実専用で、二十年使って
いる。叩く石は、もう三年使っている専用の石だ。                
 ビニール手袋をして栃の皮を割るように石で叩く。中の実を割らないように加減しな
がら叩くと、固い皮から黄色い実がポロリと出てくる。丸い実がそのまま出てくると何
だか嬉しい。一升の栃の実の皮むき、乾かすと六合の乾燥した実になる。これでひと臼
の栃餅がつける。                               
 以前はずいぶんたくさんの栃餅をついたものだったが、今は二十から三十臼くらいし
かつかなくなった。七斗の栃の実は一年では使い切れない。            

日本百名山の両神山。登山道の登り口にある両神山荘。 栃の実の皮むきをしている龍太郎さん。

 龍太郎さんに代わって自分でやってみる。栃の実の皮は意外と固く、簡単にはむけな
い。最初の実は粉々になってしまった。徐々にコツをつかんで実が取れるようになって
きた。丸い実がきれいにとれると嬉しい。叩く石の感じがじつにいい。大きさ、重さ、
角張った形、握り具合など本当に叩きやすい石だった。              
 実によってむきやすさが違う。龍太郎さんによると、木によって違うらしい。むきや
すい実の成る木とまったくむけない実の木があるらしい。実を拾いに行く人はよく知っ
ていてむけない実の成る木の下では実を拾わないそうだ。             
 傷んでいる実もたくさんあって、それは捨てる。実を拾うのは一緒でも、いつ落ちた
かは実によって違う。当然、傷んでいるものも、虫が入っているものもある。    
 一升の実をむくのに約五十分かかる。鍋で温める時間と合わせて、約一時間かかる。
今回は一日八回これをくり返して皮をむいた。さすがに最後は疲れてしまったそうだ。

 龍太郎さんがこのむき方を発見したのは、お客さんに栃の実のむき方を電話で教える
事があり、感覚を伝えるより温度を測ってそれでやってもらおうと考えたからだ。何度
も微妙に変えて実験して、この七十度で十分待つ方法にたどりついた。火を止めて二十
分くらいまではきれいにむける方法だ。                     
 今でも、小刀で皮をむく人や、生のまま皮をむく人がいる。それぞれのやり方で作る
栃餅だから、何でも良いのだが、この方法でやれば間違いなくきれいにむける。   
 三日前までに六斗の実をむいた。晴天の今日はきれいに乾いている。三日間雨だった
ので、カビが出そうだったが、今日の晴天でそれも大丈夫だった。これから十一月まで
二階のベランダでカラカラに干せば、何年も持つ栃の実が出来上がる。       

 乾燥した栃の実は沢の水にさらして柔らかくする。これはアク抜きではない。地炉灰
のアクを浸透させやすくする柔らかさにするためのもの。ある程度柔らかくなったら割
って地炉灰にまぶし、一晩置いて中まで黄色になればアクが効く状態になっている。 
 昔は柔らかくなった栃の実を少し取って、栃粥を焚いて食べたものだった。このお粥
が食べられれば、栃餅をついても食べられることが確認できた。お米が貴重だった昔は
アク合わせを失敗して、苦くて食べられないという事が許されなかった。      

 龍太郎さんは、皮をむいたその日にアク合わせをする方法を研究している。近所にそ
の方法で栃餅をついた人がいるらしい。実を乾燥させて保存するのが一般的だったが、
アク合わせした段階で、冷凍して保存すれば、いつでも栃餅をつくことが出来る。実際
には難しい方法だろうが、もし実現できれば栃餅がもっと身近なものになる。    
 実際に皮むきをした状態がどんな味なのか、すこし実をかじってみた。かじった事を
後悔する苦さだった。この苦さを消す方法があるなんて、昔の人の工夫は本当にすごい
ものだ。新しい方法が発見できれば、すばらしい事だと思う。           

民宿のベランダには、栃の実がズラリと並んで干されていた。 翌日もずっと栃の実の皮むきをしていた龍太郎さん。

 奥さんのマツヨさんに、この家でやっている栃餅の作り方を聞いた。       
 まず、カラカラに乾燥して保存しておいた栃の実を使う量だけ取り出し、ネットに入
れて沢の水に浸ける。流れのあるところではなく、たまり水のところに浸す。毎日様子
を見て、ネットをゆすって汚れを落とす。泥やヌルは毎日落とすようにする。    
 昔は竹のカゴに入れて浸していたが、今はネットがあるので楽になった。これで一週
間から二週間水にさらす。栃の実の乾燥具合で変わるのだが、芯がなくなり、柔らかく
なれば水さらしは終わる。                           

 沢から上げた栃の実を箱に入れ、熱湯をかけて温めてこぼす。木灰を栃の実の上から
二升くらいかける。マツヨさんは「じゅうのう(灰を運ぶ角スコップ)で二杯くらい、
熱い灰をかけるんだいね」とのこと。熱い灰をかけるのもポイントだ。       
 灰をかけてならした上から熱湯をたっぷり、ひたひたになるくらい注ぐ。それをゆっ
くりかき回してから、フタをして密閉し、一晩放置する。             
 朝、実を割って見て、芯まで黄色くなっていたら出来上がり。足りないときは石灰を
入れて再度湯をかける。                            
 最近は、木灰がなくなってきているので、栃のアク抜きは石灰でやるようになってき
た。農協などでは栃の実用の石灰を十キロ袋で売っている。商売で栃餅をつく人は、こ
の石灰を使っている。一升の乾燥栃の実に一升の木灰と一升の石灰を使うという。  
 アクあわせで使う木灰は、杉やヒノキの針葉樹の灰ではダメで、紙やタバコの灰が混
ざっていてもダメ。マツヨさんは炭だけを使っている炬燵の灰を使う。       

 アクが効いた栃の実をいよいよ餅にする。マツヨさんは餅米、栃の実、餅米とサンド
イッチ状にセイロで蒸す。栃の実を餅米の上に置いて蒸すと、湯衣(ゆぎぬ)が真っ黄
色になってしまうからだ。                           
 蒸し上がったら、そのまま普通に杵でつけば、栃餅が出来上がる。        
 何という手間。なんというスローフード。これだけの手間をかけて、やっと食べられ
る餅になる。少し残ったアクのほろ苦さが絶妙の味になる素晴らしさ。       
 マツヨさんは、この栃餅の作り方をおばさんに教わった。昔ながらの作り方だった。

このバケツの栃の実をむけば、今年の皮むきは全部終わる。 登山犬として有名な親子犬のポチとポンが登山道を見守っている。

 今回、栃の実の皮むきを実際にやってみて思ったのは、手加減の妙だった。叩くのだ
から割れてしまうではなくて、割らないように叩く手加減。本当に、実際自分でやって
みなければわからない加減の妙。                        
 石の台に栃の実を置き、石で割って実を取り出す。簡単そうに見えて奥の深い作業だ
った。食べ物を作る行為は、みな奥が深く尊い。