山里の記憶133


冷や汁:宮原トキヱさん



2013. 7. 31



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 七月三十一日、秩父市の大田に冷や汁の取材で行った。取材させていただいたのは、
宮原トキヱさん(七十四歳)。強い日差しが照りつける暑い日だった。       
 トキヱさんは伺った時すでに、手打ちうどんを打ち終わり、茹でるところだった。庭
のカマドに大きな鍋がかかっており、湯が沸いている。うどんをその鍋に入れる。  
 お友達のフサさんとキンさんが手伝っている。フサさんはキュウリを小口切りしてい
る。すでにミョウガは切り終わっていた。横に置いてあるすり鉢には大量のゴマがすら
れている。あとは青紫蘇を刻むだけだ。                     
 トキヱさんとキンさんが茹だったうどんをバケツで流しに運ぶ。水道の水を流しなが
ら、うどんを洗う。そして竹のすいのうで水気を切る。更にバケツの水で洗う。そして
大きなしょうぎにうどんをボッチにして並べる。                 

 秩父に限らず、昔から夏の味として楽しまれている冷や汁。味噌汁の代わりに食べら
れる事も多かった。いりゴマをすり、味噌やおなめを加えて更にすり、冷たい水を加え
て伸ばす。キュウリ、ミョウガ、紫蘇などを刻み、塩でもんで絞ったものを加えれば冷
や汁となる。ネギを加える人もいる。この冷や汁をご飯にかけて食べた。また、うどん
やそうめんを浸けて食べたりした。たくさん食べるので、大量に作ったものだった。 

トキヱさんとキンさん、フサちゃんの三人でうどんを茹でている。 畑で完熟したスイカを収穫。「おいしいよ」とトキヱさん。

 一段落したトキヱさんに畑を案内してもらう。広い畑にたくさんの作物が栽培されて
いる。この広い畑をトキヱさんは一人で耕している。大きなスイカが成っている。ナス
もたくさん成っている。青紫蘇は畑の縁に生えている。              
 キュウリは地生えで育てている。大きなキュウリを何本も採ってカゴに入れる。  
「昔からキュウリは大きく育てて食べるもんだったいねぇ…。今は何だか小さいうちに
採るんで、キュウリの味がしないやねぇ…」                   
 そういえば私が子供の頃も大きくなったキュウリの皮をむいて、種を取ってから刻ん
だものだった。そんなキュウリを、塩でもんだ味が冷や汁には欠かせなかった。   

 畑から戻ると、小屋ではフサさんが冷や汁の仕上げに入っていた。刻んだ野菜を塩で
もんで、両手できつく絞る。これをゴマと味噌をすったすり鉢に入れて、冷水を注ぐ。
 トキヱさんがすりこぎで混ぜると、冷や汁の出来上がりだ。すぐに食べようという話
になる。四人で忙しく準備すると、あっという間にお昼の準備が出来上がった。   
「さあさあ、どんどん食べてくださいね…」とトキヱさんが冷や汁をお椀によそってく
れる。それを受け取り、うどんを入れて食べる。                 
「ああ、この味噌味がいいですね…」                      
「そうそう、この塩っ気とキュウリの味で、昔の人は野良仕事をやりきったんだからね
ぇ…、いくら作っても足りなかったいねぇ…」                  
「近所のおばあちゃんは、これを麦飯にかけて食べるんが一番だって言ってたねぇ…」
 にぎやかに話しながら、おいしい冷や汁うどんをのどに流しこむ。じつに食が進む。

すりごまと味噌と野菜でおいしい冷や汁が出来上がった。 うどんを茹でてザルに上げ、出来た冷や汁でお昼にする。

 冷や汁うどんを食べながらトキヱさんに昔の話を聞いた。            
 トキヱさんは吉田の石間(いさま)出身で、二十歳の秋に嫁に来た。       
「二十歳まで働きに働いたんで、もういいかさあって嫁に来たんだいね…あはは…」 
 トキヱさんが嫁に来た時、この家には八人が暮らしていた。若い嫁には大変な苦労が
あったはずだが、トキヱさんは楽しかったと言う。                
 舅は厳しいことで有名なおじいさんだった。嫁さんがいつま持つかさあ…と近所のう
わさだった。しかし、おじいさんはどこに言ってもこう言っていた「うちの嫁は日本一
の嫁だい!」これを人から聞いた時、トキヱさんは本当に嬉しかった。       
 小姑がたくさんいたが、みんな家事に協力してくれた。足が達者な弟は、頼めばすぐ
に水くみをやってくれた。深い井戸からつるべで汲んで、十往復くらいする重労働だっ
たが、嫌な顔ひとつせず、手伝ってくれた。ありがたかった。           

 実家の母も強い人だった。トキヱさんが嫁に行くときにこう言って送ってくれた。 
「笑顔と元気な体を持ってくれば、お土産なんか何もなくていいから…」そんな母から
強い気持ちを受け継いでいたトキヱさん。                    
 それでも最初、自分はダメ人間だと思っていた。石間から、水のきれいなところから
嫁に来たからきれいな人なんだねぇ…なんて言われた事が何より嬉しかったし、自信に
なった。そんな言葉を励みに頑張ることができた。                

 トキヱさんは働いた。子供を学校に出すために働いた。民宿の手伝いをやって八年、
その後はゴルフ場の洗い場で働いた。定年の六十五歳まで働いた。景気が良かったので
楽しかったとゴルフ場時代を振り返る。                     
 家の方ではおひまちの幹事を五十年やった。おひまち用の太鼓が壊れたので三山の剥
製屋さんで修理した。この太鼓は大切な家宝になっている。            
 おひまちをみんなで楽しむためにカラオケも買った。当時としては最先端のレーザー
ディスクだった。「買う時は後悔しないようにいいものを買うんだいね…」と笑う。と
にかく、みんなに喜んでもらうのが好きだった。                 

 ご主人の幸夫(さちお)さんは大工だった。六十五歳まで大工をして、それからは二
人で畑仕事をしている。夫婦で頑張ってきた。                  
 おととし、金婚式だった。鳥が家の木にちょうど巣を作ったので、金婚の巣という記
念の飾り物にした。一緒に頑張ってきたご主人は今、体調を崩して入院している。  
 子供は長男と二人の娘に恵まれた。長男は家を継ぎ、娘二人は荒川と小柱に嫁いで、
それぞれ三人、合計九人の孫に恵まれた。                    
「みんなに分けてやるべぇと思って作ってるんだいね…」             
 スイカなどは娘の嫁ぎ先からも喜ばれた。荒川や小鹿野の人には「イノシシは出ねえ
んかい?」などとよく聞かれるが                        
「熊よりイノシシより強えぇのがいるから大丈夫!」って言ってるんだいと笑う。  

 トキヱさんは小さい頃から夢があった。年に一回、子供や孫と一緒に旅行することだ
った。その夢は実現した。今までにあちこちバスをチャーターして旅行した。城ヶ島に
は二回、両神荘、新潟、草津、常磐ハワイアンセンター、どの旅行も楽しい思い出がい
っぱいだ。孫がおばあちゃんとあちこち行って、いい経験になったと喜んでくれた。 
 幸せな人生だ。最後の最後まで後悔しないし、長生きする。みんなに「トキヱさんは
百二十まで生きるから大丈夫だよ…」なんて言われている。子供や孫には絶対めいわく
をかけないと決めている。                           

 トキヱさんが母屋に器を取りに行った間に、一緒に手伝ってくれた倉林フサさんと、
船崎キンさんに、トキヱさんのことを聞いてみた。フサさんは「トキヱさんは何でもや
るよ、すごい人だよ…」と言い、キンさんは「世話好きで親切で、いい人だいね…」と
手放しで褒める。「畑をひとりで、苗を立てるとこからやってるんだから、大変なんだ
いねぇ…」「いろいろ教わったり、一緒にやってるんだいねぇ…」         
 二人ともトキヱさんと同郷の吉田出身で、嫁に来て知り合った仲良しだ。ずいぶん長
いつきあいになる。時には愚痴をこぼし、時にはなぐさめ合いながら頑張ってきた。 

「いっぱい食べてって…」と、うどんをお代わりしてくれたトキヱさん。 トキヱさんは花が大好き。裏山のヤマユリと一緒に写真を撮る。

 裏の山にヤマユリが咲いているからと、トキヱさんに誘われて、一緒に山に行く。 
「あたしはねぇ、一日にどれだけ有意義な事が出来るかだっていう思いがあるんだぃね
、いつも人に勝つより自分に勝てって思ってるんだぃね…」            
 歩きながらトキヱさんが話してくれた。                    
「嫁に来て、さびしくなった時は、この山に入って北上川夜曲を歌ったもんだぃね…」
 ふと、歌がトキヱさんの口をついて出た。思わず一緒に歌ってしまった。     
……においやさしい白百合の、ぬれているよな あのひとみ……静かな山にきれいな声
がしみ通ってゆく。嫁に来て、いろいろな事があった。この歌もいい思い出だ。   

 ヤマユリがそこかしこに咲いている。白く重そうな花が緑の中でかがやく。トキヱさ
んはそのひとつをヒョイとかかえてにっこり笑う。思わずシャッターを切った。