山里の記憶132


まりもの味:大木ツヤコさん



2013. 6. 20



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 六月二十日(木)、小鹿野町にお好み焼きの取材に行った。場所は小鹿野町の中心にある
「まりも」というお店。お店といっても、昨年の七月に閉店してしまったお店だ。    
 地区の人に惜しまれながらも閉店した「まりも」は、同級生のお母さんがやっていた店で
もあった。先日、ひょんな事から閉店した事を聞き、なんとかお願いして、閉店しているに
も関わらず、押しかけて、昔のお好み焼きを作ってもらう事にした。          
 大木ツヤコさん(八十一歳)、六月十日が誕生日で、みんなが二日間お祝いしてくれた。
 ツヤコさんがやっていた「まりも」は、四十年も続いた繁盛店だった。多くの人が「まり
も」の味を懐かしんでいる。そんな「まりも」の歴史を、ツヤコさんに聞いた。     

家の前で迎えてくれたツヤコさん。家の戸はいつも開いている。 誰でも気軽に入ってきて、お茶を飲んで行くツヤコさんの家。

 ツヤコさんが四十一歳の時にこの「まりも」を始めた。このお店を始めるに当たって、東
京神田の専門店に、安くない権利金を払って一ヶ月間修行した。ツヤコさんが修行している
間に、ご主人が店を作って待っていた。                       
 ご主人は、サッポロラーメンなんだから「えりも」にしようと言ったのだが、ツヤコさん
が店の名前を「まりも」に決めた。まりもは最初は小さいが、年月を経て大きく丸く育つ藻
だ。お店も、小さい店から大きな店になるようにという願いを込めた。         
 十二月の十二日にオープンした店は、カウンターだけのラーメン屋だった。看板に「サッ
ポロラーメン」と大きく書き、本場の味をうたった。                 

 小鹿野で初めての、サッポロラーメン専門店。小さな店だったが、開店と同時に客が殺到
し、入り口に行列を作るほどの繁盛店になった。二百八十円のラーメンが一日に五百杯以上
売れた。大きな寸胴のスープが一日で全部なくなった。                
 夜も営業していたので、終いが二時頃になることもあった。それから仕込みをする。寝る
時間もないほどだった。そんな店は他になかった。                  

 野菜のたっぷり入った味噌ラーメンが人気だった。他にはしょうゆ野菜ラーメン、塩野菜
ラーメン、コーンラーメンが良く出た。夏は冷やし中華もやって、よく売れた。     
 そして、その後お店は拡張、改装を経て大きくなった。客の要望に応えて、餃子もやるよ
うになった。鉄板焼きやお好み焼きもやるようになった。               
 モツ煮も旨かったし、ルーから作るカレーラーメンも旨かった。           
 カレーラーメンにはこんな話がある。店をやめるとき、どうしても食べたいからもう一度
作ってくれと言われて作った。消防の人たちが最後だと聞いて、二十人くらい食べに来てく
れたのが、いい思い出になった。                          

 店は、女の子が七人くらいいて、助けてくれた。                  
 夜遅くまで飲む客も多かった。忙しくて、ビールなどは自己申告で、今日は何杯飲んだか
らいくら! という鷹揚な店だった。ツケで飲む客も多かった。ツケを回収せずに終わって
しまった客もいた。とにかく忙しかった。                      
 客は「おばさん、おばさん…」とか「お母さん、お母さん…」と気軽に呼んでくれ、店に
親しんでくれた。                                 
 常連客は警察、役場、銀行、電話局、病院など多岐にわたった。役場の人も警察の人も、
しょっちゅう遊びに来た。毎日のように飲みに来て、警察の人は二階に、銀行の人は一階に
泊まったこともたびたびだった。本当に町の人に愛された店だった。          

 取材している二時間くらいの間にも、どんどん人が入ってお茶を飲んで行く。銀行の人が
何人か、近所の人、野菜を届けに来てくれた知り合いなどなど。普通に上がって、普通に話
して「じゃあ、また…」と言いながら出て行く。                   
 人の出入りが多い家は、それだけ町の人に親しまれている証だ。二時間ほどで七人の客が
来たのに驚かされた。これも、すべてツヤコさんの人柄なのだろう。          

お客さんが買ってきてくれたまりも。お店の名前にもなったシンボル。 閉店した店内を写真に撮る。昔はいつも満席だったまりもの店内。

 ツヤコさんは信濃石(しなのいし)の出身で、実家は絹の糸屋をやっていた。高校は秩父
高校に通った。当時のバスは木炭バスで、千足峠を登れず、乗客が後ろを押して峠を登った
ものだった。ツヤコさんもバスの後ろを押して、高校に通った。            
 そんなツヤコさんが十九歳の時にお見合いをした。ご主人になる人は、秩父農林に通って
いた大木太四郎さんで、顔を知っていた人だった。                  
 結婚したのは昭和二十八年の一月。ツヤコさん十九歳、太四郎さん二十三歳の時だった。
 ツヤコさんが嫁に来た当時、この家は精米業をしていた。大正五年からおじいちゃんがや
っていた工場だった。精米所の仕事があまり好きではなかったツヤコさん。工場を改装して
、より糸を作るようにした。大木撚糸という工場がツヤコさんの新しい仕事場となった。 
 結婚して一年目で長男を授かり、三年後に次男も産まれた。ツヤコさんは必死で働いた。
 しかし、工場の仕事だけでは、子供達を大学に出すことが難しいと判断し、一念発起して
ラーメン屋を開業することに決めた。                        
「とにかく、子供を学校に行かせるためには、何かやらなきゃあって思ったんだいね…」 

 しかし、順調に行くかと思われた店の行く先に、大きなつまずきがあった。店を始めてか
らすぐの事だった。十二月に始めた店は順調だった。しかし、翌年の七月にツヤコさんは体
調を崩した。頑張りすぎたのが原因だった。                     
 開店後半年で、六十八日間、町立病院に入院する事態になってしまった。ツヤコさんがい
なければ店は出来ない。その期間は店を休むしかなかった。              

 やっとの事で復帰したツヤコさんに、追い打ちをかけるような出来事が起きる。    
 当時、長期金利が異常に高く、一定額の定期預金を十年も銀行に預ければ金額が倍になる
ような時代だった。工場の改装資金を農協から借りたツヤコさん。十年放っておいたら、利
息で借り入れ額が倍以上にふくれ上がってしまっていた。               
 農協の担当者に、その数字を家で見せられた時に、背筋が寒くなったという。     
 その夜、寝ずに考えたツヤコさんは、毎月五十万という返済を決めた。そして、それを実
行した。本当に必死だったという。                         
「息子が大学のころだったいねぇ…。うちの支払いは何でも月賦だった……」      

 ご主人はお酒が大好きな人だった。それが災いして六十二歳の時に肝硬変で亡くなった。
 店はツヤコさんがひとりで切り盛りする毎日となった。               
「本当によくやったと思うよ…。血圧が下がって本間先生に怒られたこともあったっけ…、
上が五十まで下がったかんねぇ…。よくやったいね……」               

ツヤコさんがお好み焼きを焼いてくれた。「焼けたよ!」の声。 取材を終えて、家の外まで見送ってくれた。「また、遊びに来な!」

 話は続いていたが、今日の目的はお好み焼きを作ってもらうこと。ツヤコさんを促して店
の中に入る。閉店して一年になるが、店はまだきれいで、今にも使えそうな状態。    
 店内の鉄板にはガスが入っていないので、今日は厨房でお好み焼きを作る。      
「一年ぶりだかんねぇ…、忘れちゃったいねぇ…」と言いながら、肉を刻むツヤコさん。手
さばきが鮮やかだ。粉に肉とキャベツと干しエビを入れて混ぜる。           
「イカを入れると五目になるんだけど、今日はないんでね…」エビ天肉入りというお好み焼
きになる。フライパンで焼く。いい香りが立つ。                   
「本当ならこうやってコテでひっくり返すんだけど…」と言いながら両手にコテを持って見
せてくれたが、実際にはプライパンをヒラリと振って一気にひっくり返した。鮮やかな技。
 焼き上がったお好み焼きを皿に移し、テーブルに運ぶ。               
 鉄板で食べるときのようにコテで切って食べた。焼けたソースと干しエビの香りがいい。
噛むと、キャベツと肉がいい味を出す。海苔と卵のコントラストもいい。        

 体格が良くて、肝っ玉母さんタイプだったツヤコさんだったが、ここ一年ですっかり痩せ
た。七十六キロあった体重が一年で五十キロになって、スマートになった。       
「いずれは息子の家に行くようになるんだろうけど、動ける間はここにいたいんだいね…」
 ここには誰でもふらりと立ち寄れる気安さがある。ツヤコさんの人柄に見せられて、花に
蝶が集まるように人が集まる場所。誰でも気兼ねなく休める場所でもある。       
 ぜひ長生きをして、近所の人のためにも、ここにいてほしいものだと思った。     
「友達がいっぱいいるからねぇ…。ここがいいよね…」                
 ふと口をついた言葉が、ツヤコさんの本音なのかもしれない。