山里の記憶130


しゃくし菜まんじゅう:浅見佐代子さん



2013. 4. 16



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 四月十六日、秩父市の浦山にしゃくし菜まんじゅうの取材に行った。訪ねたのはダム湖
のほとりにある大谷(おおがい)という場所。浅見(あざみ)佐代子さん(八十五歳)の
家だった。佐代子さんは出かけていて留守だった。                 
 留守番のお嫁さん、浅見美智代さんが「おばあちゃんは、おまんじゅう作りに使うイー
スト菌を買いに行ったの。ドライイーストはあるんだけど、生イーストでないとダメなん
だって。少し待って下さいね…」と言うので、少し待たせてもらった。        
 待っている間、美智代さんといろいろ話した。佐代子さんの日頃の行動や、どんな人な
のかなど、興味深い話がいろいろ聞けた。                     
 佐代子さんはすぐ帰ってきた。「あれあれ、お待たせしちゃって…」と八十五歳とは思
えない動きで部屋に入ってきた佐代子さんと挨拶を交わす。             
 美智代さんが台所でしゃくし菜を刻んで餡作りを始めた。餡が出来上がるまでの待ち時
間に佐代子さんにいろいろ話を聞く。もちろん美智代さんの餡作りも取材しながらだ。 

 佐代子さんが本格的にまんじゅう作りを始めたのは、十五年ほど前のことだった。浦山
ダム周辺整備の一環で「浦山フレッシュセンター」が出来た時からだった。      
 フレッシュセンターで名物を作ろうということになって、佐代子さんを中心に四人の主
婦が立ち上がった。                               
 佐代子さんは以前、長野旅行に行った時、野沢菜を餡にしたまんじゅうを食べたことが
あった。これが美味しかったので、何とかしゃくし菜で同じものが出来ないかと思ってい
た。試行錯誤をくり返し「これならいける…」と作り出したのがしゃくし菜まんじゅうだ
った。他にも味噌餡のまんじゅうを作った。これは白いあんこに味噌と砂糖で味を加えた
もので、これも美味しかった。                          
 普通の小豆餡のまんじゅうと合わせて、三種のまんじゅうを「手作りさくら湖まんじゅ
う」として売り出したところ大評判になった。                   
 中でも、しゃくし菜まんじゅうはよく売れた。フレッシュセンターでは一回で二十五個
のまんじゅうを作った。それを注文に応じて三回も四回も作ったものだった。佐代子さん
や他のおばあちゃんを目当てに来る人もいた。おまんじゅうが出来上がるのを待っていて
買ってくれたものだった。                            

 しゃくし菜を切らさないように、畑いっぱいに作った。それを樽に何個も漬けた。冷凍
庫も買って、一年中しゃくし菜を切らさないように工夫した。自分で漬けるたので、買っ
て作る値段の半分で出来た。                           
「お母ちゃんはやり手だったから…」と美智代さん。佐代子さんは「めぐりのおかげだよ
、ひとりじゃ何もできないさぁ…」と応える。                   

 美智代さんのしゃくし菜餡作りが続いている。しゃくし菜の漬物を水洗いして、刻む。
それを一度湯がいてアクを抜く。よく絞ったしゃくし菜を油で炒めて味をつける。この時
にトウガラシを適宜加えるとピリ辛になる。                    
 味は甘辛くつける。砂糖、酒、醤油で濃い味に仕上げる。そして水を加え、炒め煮にし
て柔らかく仕上げる。大きめに刻んだ方が、こぼれなくて食べやすい。まんじゅうの皮と
の兼ね合いで、濃い味にした方が美味しい。                    

浦山ダムのダム湖すぐ横に佐代子さんの家がある。 しゃくし菜まんじゅうを作って皿に並べ、萌えるのを待つ。

 しゃくし菜餡が冷めるのを待ちながら、生地を作る。いよいよ佐代子さんの出番だ。 
 材料は、小麦粉(強力粉)一キログラム、生イースト五十グラム、水五百CC、砂糖一
カップで、これを大きなこね鉢でこねる。                     
 まず、小麦粉を細かい網でふるう。これはダマをなくして均一にこねるため。生イース
トと砂糖を溶いた水(ぬるま湯の方が良い)を、ふるった小麦粉に加える。      
 全体を均一にこねる。耳たぶくらいの固さになるようにこねる。          
 佐代子さんがこね鉢を床に置いて、全身の力でこねはじめた。八十五歳とは思えない力
強さだった。こね上がった生地を一個五十グラムの大きさに千切って丸める。テーブルに
計りを置いて正確に計る。手際よく、次々に丸い生地の玉が出来上がってゆく。並べる皿
には打ち粉が敷いてある。こうしておかないとお皿にくっついてしまう。       

 出来上がった生地の玉を両手でクルクルと平らにする。そこにしゃくし菜あんを詰めて
丸める。しゃくし菜まんじゅうの元だ。これを別のお皿に並べる。このまま置いて萌える
のを待つので、間隔を開けておく。そうしないと、萌えて膨らんだ時くっついてしまう。
 常温でそのまま置いておけば、今日の天気なら三十分くらいで萌えてくる。     
 しゃくし菜餡が終わり、次は買っておいた小豆餡を詰めてまんじゅうの元を作る。小豆
餡のまんじゅうは上に餡を少量つけて、間違えないように目印にする。        

まんじゅうを蒸す為、かまどのある娘さんの家に移動する。 蒸し器にまんじゅうを並べる佐代子さん。二十分蒸せば出来上がる。

 まんじゅうが萌えるまでの時間に、佐代子さんの昔話を中心に話を聞かせてもらった。
 佐代子さんは秩父市の久那地区の出身で、二十五歳の時に嫁に来た。お相手は国彦さん
で、旧家の一人っ子というお坊ちゃんだった。                   
 嫁に来た時、この家には舅さんとおばあちゃんがいた。おばあちゃんがいい人で、近所
の喧嘩を仲裁したり、みんなの愚痴を聞いてやったりする人だった。         
 その頃の家は、ご先祖が育てた山の木を売って暮らしていた。材木屋さんの注文材だけ
で暮らすことが出来た。しかし、佐代子さんはそんな暮らしが物足りなかった。    
 久那の家でやっていた畑仕事をやりたかった。百姓仕事をしたくて、畑に出た。   

 しゃくし菜や大根、きゅうりなどを出荷する組合を作った。賛同してくれた近所の主婦
と作った組合だった。女だけの組合ということで、当時ずいぶん話題になった。    
 市場の社長が、年間百万円売った人を旅行に連れて行ってくれるという制度があった。
 佐代子さんは組合の代表ということで、年間百万には届かなかったが、温泉旅行に連れ
て行ってもらった。今では楽しい思い出だ。                    
 先祖の木を売って生計を立てるのは嫌だった。だから、久那でやっていた事をここに来
てもやっただけだと笑う。それにしてもパイオニアの行動力は天性のものなのだろう。 

 まんじゅうが萌えてきた。「そろそろいい感じだねえ…」という佐代子さんの言葉に美
智代さんが動き出した。この家のすぐ下に美智代さんが暮らす家がある。そこにカマドが
置かれていて、まんじゅう蒸かしなどはそこでやっているのだ。           
「じゃ、かまどで湯を沸かすから…」と言って美智代さんは下の家に向かった。佐代子さ
んも後に続く。私もまんじゅうの皿を持って後に続く。               
 佐代子さんは歩くときに手押し車を使っている。しっかりした足取りでゆっくり歩く。

まんじゅうが出来上がった。さっそく食べさせてもらった。 このフレッシュセンターで、十五年間まんじゅうを作ってきた。

 カマドの火が赤々と燃え、羽釜の湯が沸いている。蒸し器に塗れた布巾を敷き、まんじ
ゅうを並べる。羽釜に蒸し器を二段乗せ、フタをする。このまま強火で二十分ほど蒸かせ
ば、まんじゅうが出来上がる。                          
 また四方山話が始まる。東京の豊島区に三回も行った。まんじゅうを電車で運んで、区
役所で配った。まんじゅう作りを教えたこともあった。               
 センターで作ったまんじゅうを西武秩父駅前の朝市に出したこともある。軽トラで運ん
だものだった。にぎやかだったフレッシュセンターも、今はすっかり休みになる日が多く
なった。佐代子さんが辞めてから、やる人も少なくなったし、客も少なくなった。   
「あたしの頃は持って歩いて売ったもんだったけどねえ…」と寂しそうだ。      
 まんじゅうが蒸し上がった。さっそくひとつ食べてみた。もっちりとした皮がおいしい
まんじゅうだった。しゃくし菜餡も甘辛さが程よい味になっている。食べ終わると、佐代
子さんは「ほれ、あんこのやつも食べてみ…」と次のまんじゅうを渡す。       
 はふはふ言いながら、あんこまんじゅうも食べた。こちらも旨かった。       

「歳をとると忘れっぽくなってだめだいね…」なんていいながら、家の光という本を定期
購読している佐代子さん。「家の光はいいよね、農家はあれがいいよね…」ボケ防止に読
んでいるという。「なんでもやる事が好きなんだい…」毎日夕方二時間畑に行くのが日課
になっている。佐代子さんの愛車、ホンダライフが今日も秩父を走っている。