山里の記憶117


キミ餅:新井昭夫さん



2012. 12. 8



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 十二月八日、皆野町立沢(たつさわ)に行った。ここは天空の里と呼ばれる、山の上に
広がった耕地で、日当たりが良くとても温かい場所だ。ここでキビを栽培して、そのキビ
で餅をつくと連絡をくれたのが新井昭夫(あきお)さん(七十歳)だった。      
 キビを栽培している人の話を聞きたくて、餅作りの取材を申し込み、この日その取材が
実現した。低温注意報が出ている寒い日だったが、昭夫さんは妻のマサ子さんと一緒に庭
で切り干し芋を干しているところだった。挨拶をしてすぐに作業を手伝う。      

「天空の里」と呼ばれる皆野町の立沢耕地。山の上で日当たり抜群。 洗って水に浸け、水切りしたキミともち米。これを1時間蒸かす。

 マサ子さんが、納屋から水に浸けておいて、ザルで水切りした餅米とキビを出してきた
。まっ白な餅米と、鮮やかな黄色のキビが対照的で美しい。庭にはカマドがしつらえてあ
り、大きな羽釜が乗せられている。餅米一キロに対してキビが一、五キロの量だ。   
 蒸し器に布を敷き、餅米、キビ、餅米と重ねるように入れてまん中を凹ませて釜にかけ
る。フタをして、湯が沸騰してから四十分から一時間蒸せば餅つきができる。蒸し上がる
まで時間がかかるので、お茶でも飲みましょうということになった。         

 作業を終えて、庭のテーブルでお茶を頂きながら昭夫さんからキビ栽培の話を聞いた。
 今年は久しぶりにキビを栽培したとのこと。五畝歩(せぶ)の畑(百五十坪)でキビを
作ったのだが、二十キロのキビが採れたという。「思ったより少なかったいね・・」と昭
男さん。「手間はかからないけど、後の作業が大変だったいね」           
 キビとは稲科の穀物で、五穀のひとつに数えられる貴重な穀物だ。昔はどの家でも作っ
ていて、様々な料理に使われていた。秩父地方では、餅、つとっこ、ちまき、赤飯、ご飯
などに使われ、珍重されていた。ちなみに、実が黄色いことから「黄実(きみ)」→「キ
ビ」と呼び名が転化したと言われている。                     
 そして、この地方ではキビではなく「キミ」と呼んでいるので、ここからは表記が「キ
ミ」になる。よって、キビ餅ではなく「キミ餅」の取材ということになる。      

 六月二十日に種を蒔いた。草取りの手間を考えて畝幅を九十センチと広くした。キミは
手間のかからない作物で、伸びてきてからの除草と網かけが主な作業となる。     
 七月中旬、キミの穂が出る前に網張りをする。穂が伸びてからでは、穂に引っ掛かるの
で作業が大変になる。竹竿で二メートルの高さに支柱を立て、畑全体に五センチ目の網を
張った。夏の暑い盛りで、大変な作業だった。                   
 網張り作業と一緒に肥料をやる。あまり肥料が多いと葉が茂って実が少なくなったりす
るので、加減して施肥をする。                          
 八月下旬に除草をした。キミは一、五メートルくらいの丈になり、株が分けつして増え
てくる。背が高くなる前に、倒れないように土寄せをする。今年は幸いなことに大きな台
風が来なかった。それでもいくらか倒れたものがあった。「あんな、でかくなるとは思わ
なかった・・」と昭夫さんが笑う。                        

 実が熟してくると鳥がやってくる。五センチ目の網でも鳥はまっすぐに飛び込み中に入
ってくる。小さいカワラヒワやスズメがやっかいだ。網の中に入ると端から食ってしまい
、粃(しいな=実の入っていない殻)が増える。「キミは鳥の大好物だかんねえ・・」 
 今年はカブトムシとハトが網にかかっていた。ハトなどはカラスが狙っていて、すぐに
食べてしまい羽根の塊になる。カブトムシは、夜に飛んでいて網に引っ掛かったもの。 

 キミは穂が黄色くなれば収穫できる。今年は、九月二十二日から収穫が始まって、二日
間で終わった。株を刈り取り、穂の部分を取って集める。脱穀は機械を使わないで手でや
った。「両手でこうやって揉むだけさあ・・」とマサ子さんが説明してくれた。「よく乾
いてれば簡単に実が落ちるんだいね・・」昔は洗濯板を使って脱穀したこともある。  
 脱穀したキミをフルイにかけ、トウミでゴミを飛ばせば収穫は一段落だ。これを二日間
、網を張ってある家の中で広げて干した。こうしておけば殻付きのまま保存できる。  
「一年でも二年でも、湿気さえくれなけりゃ保存できるんさあ・・」と昭夫さん。   

 食べるときは、食べる分だけ巡回して来てくれる精穀屋さんに出せば精穀してくれる。
今回のキミは十月二十九日に精穀に出したもの。「二十キロ出したんが十七キロになって
戻って来たいね・・」と笑う。「量は三分の一だいね・・」キミは自宅で精穀できないの
で、これも致し方ないところだ。                         
 今日手伝いに来てくれた近所の丸山さんに昭夫さんがキミを見せて説明していた。殻付
きのキミと精穀したキミを見比べて「こまっけえやなあ・・」と昭夫さん。「でも、ご飯
に入れると粘りが出て美味しいんだいね・・」と丸山さん。             

 釜の湯が沸騰してから約一時間、餅米とキミが蒸し上がった。さっそくケヤキの臼が運
ばれ、洗った杵が運ばれてきた。                         
 蒸し上がったキミと餅米を少しもらって手のひらに乗せてみた。太陽の光を透過して、
キラキラ輝く宝石のようなキミの透明感が美しい。口に入れるとその粘りとモチモチの食
感が際だつ。「美味しいでしょ、餅米より粘りがあるよね・・」とマサ子さん。    
 昭夫さんが餅つきをはじめた。まずは練り込み。杵に水をつけながら粘る塊になるよう
に全体を練ってゆく。体力を使う作業だ。「キミは固いから練るんが大変だい・・」と額
に汗を光らせてつぶやく。あまり手水を付けすぎると柔らかい餅になってしまうので、頑
張ってそのまま練る。キミの粘りを生かしたモチモチの食感こそキミ餅なのだから。  
 交替して私も練る。すぐに額に汗が浮かぶ。キミがなかなかつぶれない。このままつく
と、キミが飛び散る事になってしまうので、頑張って練る。             

 餅つきは昭夫さんとマサ子さんのコンビ。長年一緒にやってきた呼吸がすばらしい。し
ばらくの間、杵を振り下ろす音と、マサ子さんの合いの手の声が庭先に響いていた。  
 交替で餅つきをやらせてもらった。少し早く正月が来たような気分。餅つきはいいもの
だ。最後はマサ子さんが重い杵を振り上げて、仕上げの餅つきをして見せてくれた。「い
つもやってるんだい・・」と元気がいい。                     

杵で練ってから餅つき。キミはもち米より少し固いので、しっかりつく。 キミのあんこ餅がたくさん出来上がった。出来たての餅は美味しい。

 つき上がったキミ餅を納屋の餅台に運ぶ。台の上には丸山さんの手で片栗粉が撒かれて
いた。「よくつけたいね・・」「ほんと、粒がないで・・」「色がいいね・・」三人が口
々に何か言いながら餅をちぎる。横のトレーには丸いアンコがたくさん並んでいる。  
 三人の手が、手際よくクルクルと動き、キミのアンコ餅が出来上がってゆく。    
 マサ子さんが問わず語りにつぶやく。「キミ餅は孫の由梨香が好きでねえ、今日餅つき
なんだよって電話したら、いいなあ・・なんて言ってたんだいね。帰って来ればいいのに
ねえ・・」と、東京で頑張っている孫娘に思いを馳せる。              

 キミ餅が出来上がった。すぐにビニールで包む。キミ餅はすぐに表面が固くなってしま
うので、こうして固くならないようにしておく。「食べてみなよ・・」と昭夫さんに言わ
れ、ひとつの餅を手にした。                           
 手に持った張りつめた柔らかさがいい感じだ。香りは特にない。ひとくち頬ばってみた
ら、まだ温かかった。もっちりとした食感が先に来て、後からアンコの爽やかな甘さが広
がった。噛んでいると、全体が渾然一体として幸せな味になる。           
「これ、最高に旨いですよ・・」「そうだんべ、キミは旨えんだよ・・」と昭夫さん。 

キミを栽培した畑を案内してくれた昭夫さん。集落の最高所だった。 子や孫のため、自分で作った小屋で「あんぽ柿」を作っている。

 昭夫さんに案内してもらって、キミを栽培した畑を見せてもらった。畑は集落の最上部
の日当たりの良い場所に広がっていた。百五十坪の広さが気持ちいい。キミの枯れた茎や
葉の横に、脱穀した後の穂が山積みになっていた。                 
「イノシシが食いにくるかと思ったけど、まだ来てないやね・・」鳥の羽が落ちていたの
で、ハトやヒヨドリがついばみに来ているようだった。               

 天空の里、この地を営々と耕して来た人々。一番日当たりの良い場所が畑になっている
山里。この日も、最後まで日が当たっていたのは、昭夫さんの畑だった。       
 近くにある昭夫さんの小屋では、吹き抜ける風を利用してあんぽ柿作りをしていた。 
「子供と孫に送る分だけ作るんだいね・・」柔らかく甘いあんぽ柿。子供と孫のために寒
さをこらえて干し柿を作る姿が、天空の里にあった。