山里の記憶107


トウブキ:山中菊恵さん



2012. 6. 8



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 六月八日、奥秩父の中津川に「トウブキ」の取材に行った。栃の葉もちと同時に取材さ
せて頂いたのは山中菊恵さん(八十三歳)だった。先に栃の葉もちの取材を終えてから、
菊恵さんにトウブキの話を聞いた。母屋の上がりかまちでお茶を頂きながら、菊恵さんが
煮てくれたトウブキの煮付けを食べさせてもらった。                
 大きなフキなのに味は繊細で、普通のフキよりも柔らかくておいしい。菊恵さんも「大
きい方がおいしいんだいね・・」と味について語る。                

 トウブキは秩父では中津川と三峰にだけ生えている大きなフキのこと。多分、秋田フキ
と呼ばれている品種と同じで、北海道から誰かが持って来て植えたという説がある。  
 ここ数年で急に繁殖しだしたということだ。「昔はは細々とあるだけだったんだけど、
急に増えたんだいね。今じゃあ、この辺りじゃどこでも生えてらいね・・」      
 確かに他では見た事も聞いたこともない巨大なフキ。ここ数年で急に増えたということ
は、気候の温暖化がそうさせたのか、何か環境が変わったということなのだろう。   

 北海道で見た巨大なフキが秩父に生えているなんて、今日の今日まで知らなかった。そ
して、このフキは余所に持って行って植えても育たない。菊恵さんのトウブキを三田川の
三山に持って行って植えた人がいたが、育たなかったという。土が合わないのか気候が合
わないのか、いずれにしても秩父では中津川と三峰以外では育たない。        
 珍しいものなのに、この周辺の畑にはどこにでも生えている不思議さ。       

家の横にあるトウブキの畑に入って刈り取りをする菊恵さん。 刈り取ったトウブキ。こんなに大きくて太いフキが秩父にある。

 菊恵さんにお願いして畑を見せてもらった。家の横の畑にトウブキが生えていた。菊恵
さんが鎌を持って刈り取りに入ると姿が見えなくなってしまった。それくらいこのフキは
大きい。葉も大きく、ふつうの傘くらいある。秋田の人がこのフキを傘替わりにしたとい
う話があるが、実際にそのくらいの大きさに育っている。              
「二人分じゃあ三本も採れば充分だいね・・」「株の外側のより、内側の後から生えた奴
の方がうんと柔らかいんだいね・・」「先の方が固くって、元の方が柔らかいやね・・」
 話しながらフキを刈り取り、持ち上げてみせてくれた。その大きさ太さはとてもフキに
は見えず、木の枝でも持ち上げたかのようだった。                 

 葉を落としたトウブキを抱えて家に帰る菊恵さん。何だか、棒の束を抱えているみたい
でどうにも野菜には見えない。土間のストーブに火が入れられ、大きな鉄鍋がかけられて
いる。さすがにこの時期のストーブは熱い。軒先の煙突から盛んに出る白い煙が緑の山に
流れて行く。                                  
 菊恵さんは刈り取って来たトウブキを二十センチくらいの長さに包丁でザクザクと切っ
ている。切り終わったトウブキを煮立った鍋に入れる。これはさっと湯がいて皮をむく為
のもの。フタをした鍋から湯が噴き出すが、構わずにそのまま煮る。         
 しばらくして「もういいかね・・」という菊恵さんの言葉で鍋をストーブから外し、外
の洗い場に運ぶ。フタをしたまま熱湯を切り、鍋に冷水を注ぐ。           

土間のストーブに火を入れる。煙突から出る白い煙が緑の山に漂う。 大鍋でトウブキを煮る。これは皮をむくために煮ているもの。

 菊恵さんはすぐに煮たトウブキの皮をむきはじめた。一緒にやっていたトモさんも手伝
ってくれる。煮てあるので皮はすぐにむける。フキを生の状態で皮むきすると爪が真っ黒
になるものだったが、こうして一旦煮れば手も黒くならず、たやすく皮がむける。   
 ホースから水が流れ続けているが、この水は沢から引いているもの。        
「水道なんか使うといくらかかるかわからないけど、沢の水はタダだから・・」と笑う。
洗い物や洗濯もこの水でやる。水が豊富な場所だからこそ出来る生活の知恵だ。    

 むいたトウブキの皮は捨てずに取っておく。大量のトウブキを塩漬け貯蔵する時に、皮
を上にのせて漬け込むと色がきれいに仕上がるのだ。その作業は明日やることになってい
る。大鍋で煮るのでトモさんも一緒にやるのだそうだ。何だかワイワイ楽しそうだ。  
 塩漬けにしたトウブキは正月頃に食べるのがおいしいという。水に浸けて塩出しして油
炒めにするのがおいしい。塩出ししたものを味噌漬けにするのもおいしい。太いものの方
が塩漬けしてもおいしい。                            
 これって、中津川の特産品になるんじゃないか・・? などという考えがふと浮かんだ
が、役場や農協にその気はないらしい。                      

 皮をむき終わったトウブキをバケツに入れて菊恵さんとトモさんが母屋に運ぶ。煮物を
作る前にひと休みしようということでお茶になった。何か一段落するたびにお茶を飲むの
は、この地方の約束事のようなもの。                       
 お茶を飲みながら菊恵さんに昔の話を聞いた。                  

 菊恵さんは上野村の野栗沢に生まれて育った。二十一歳の時に兵隊帰りだった山中梅次
さん(二十七歳)と結婚することになった。                    
 嫁に来る時は上野村から八丁峠を通り、両神山を越えて来た。花嫁は地下足袋を履いて
歩いて山を越えた。荷物は三つ重ねの桐タンスに入れられ、屈強な男三人が背負って山を
越えた。男達はその日のうちに帰る事は出来ず、一泊して帰っていった。       
 菊恵さんは裁縫をやっていたから、着るものや寝具も自分で縫ったものを持参した。 

 梅次さんは明るく元気で、ひょうきんな人だった。トモさんのご主人と従兄弟同士で、
いつも一緒に山仕事をしていた。県造林の仕事が終わって帰ってきても、まだ時間が早い
からと自分の山に入って仕事をするような人だった。本当によく働く人だった。    
 お酒をよく飲む人でもあった。「酔うと下ねたべえで、どうしようもない人だったいね
え・・」と菊恵さんも昔を思い出して笑う。                    
 梅次さんは十年前、七十六歳で亡くなっていた。                 
「このごろ息子がよく似てきたんだいね・・」と菊恵さん。息子は二人、娘が三人いる。
みんな元気で、孫は十何人もいるし、ひ孫もいる。入間に住む息子さんがよく帰って来て
家のことをやってくれる。この日も息子さんが来ていて、いろいろ手伝っていた。   

煮上がったトウブキを水に晒して皮をむく。指が黒くならない。 菊恵さんが柔らかく煮付けたトウブキ。大きいものほど美味しい。

 お茶請けに菊恵さんが煮たトウブキの煮付けをいただく。砂糖を使わずにじっくりと煮
込んだもの。お酒とみりん、出汁と醤油だけで煮詰める。水は入れない。太かったトウブ
キは飴色になり、大きな空洞がつぶれて板のようにペタンコになっている。大きさも半分
くらいまで煮詰まっていて柔らかい。水を入れないので、砂糖を入れると焦げてしまう。
水気がなくなるまで付きっきりでかき混ぜながら煮る。               
 口に含むと柔らかさとともに、フキの味がじわっと広がる。噛んでいるとフキの味がど
んどん膨らんでいく。太い方がおいしいと言われる事がよくわかる。肉厚のやさしい味が
のどを通っていく。お茶によく合う。                       
「煮ると、ちっとんべえになっちゃうんだい・・」「半分くらいになっちゃうよね・・」
 菊恵さんとトモさんの会話が楽しい。                      
 このトウブキを柔らかく煮て砂糖にまぶしたお菓子や、かりんとうにして持って来た人
もあった。「でも、煮付けが一番だいね・・」昔ながらの味には勝てなかったようだ。 

 話している時に移動スーバーのおじさんが来た。息子さん用にお弁当を注文しておいた
菊恵さん。他にもいろいろ買った。きゅうりなども売っている。「注文すれば何でも持っ
て来てくれるんで、重宝してらいね・・」トマトなども注文して届けてもらう。    
 この集落は二十九世帯で、今は四十五人が暮らしている。             
「昔はどこに誰が来ても、誰かしら見てる人がいて安心だったんだけど、このごろは人が
少なくなったんでぶっそうだいね・・」「昔はカギなんかかけなかったんだけど、人がい
ないから、出かける時にカギをかけるんだいね。面倒なんだい・・」         

 奥山の生活はどんどん変わっている。のどかな時代は終わり、過疎高齢化の波が静かに
浸透してしまった。徐々に減る人。野生動物の被害は人々に畑仕事の意欲をなくさせる。
 昔ながらの味も技も、引き継ぐべき人がいない。                 
 菊恵さんに教わったやり方でトウブキを煮てみようと思う。ビニール袋いっぱいの、皮
をむいたトウブキを車のクーラーボックスに入れて、中津川からの帰途についた。