山里の記憶106


栃の葉餅:幸島トモさん



2012. 6. 8



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 六月八日、奥秩父の中津川に栃の葉餅の取材に行った。伺ったのは幸島トモさん(七十
九歳)のお宅。朝七時に家を出たのだが、到着したのは十時半になってしまった。中津川
は秩父の最奥なので、思った以上に時間がかかった。                
 「まあまあ、遅かったねえ。お昼に間に合わなくなっちゃうんで、始めちゃったよ」と
明るいトモさんの声にせかさせるように取材が始まった。              

 ザルには、今朝近くの山から採って来た栃の葉が何十枚も重ねられている。中津川では
今ちょうど独特の花が咲いている栃の木。平地よりもずいぶん遅いが、この時期の葉が加
工するのには最適だという。つとっこを作る人も同じ事を言っていた。五葉のうち大きな
三枚だけを揃えるように採ってきた葉はまだ瑞々しい。               

 こちらのザルにはもう白いお餅が出来上がっていて、今は草餅にアンコを詰めていると
ころだった。お餅は米粉で作る。「熱湯でこねるんで大変なんだい・・」と一緒にやって
いる山中菊恵さんが話してくれた。                        
 今作っている草餅の餅草(ヨモギ)は、春先に採って、重曹でやわらかく煮て水にさら
し、アク抜きして冷凍したもの。その餅草を解凍して一キロの米粉と混ぜ、熱湯でこねて
草餅の生地を作った。                              

 餡は小豆餡。五合の小豆は菊恵さんが作ったもの。これを柔らかく煮て水がなくなって
から砂糖を五百グラム加えて粒餡にする。少し食べさせてもらったら、小豆粒の軽さが口
に残る爽やかな甘さの粒餡だった。                        
 草餅の生地を丸く伸ばし、丸い粒餡をのせて両手をクルクルと動かすと、みるみるうち
にアンコ餅になる。手品のような熟練の手さばき。鮮やかな手さばきを見ているだけでも
楽しくなる。ザルは出来上がった草餅でいっぱいになった。             

米粉で作ったアンコ餅を栃の葉で包むトモさん。これは草餅。 外のカマドに乗せてある蒸し器に、栃の葉餅を入れる。

 庭に練炭のカマドが置かれ、その上に蒸し器が置いてある。トモさんは出来上がったア
ンコ餅を栃の葉で巻いてザルに並べている。巻き終わった栃の葉餅を蒸し器にぎっしりと
入れる。「栃の葉を巻いて蒸かすと葉が餅にくっつくんだいね・・」「栃の葉を別に蒸し
てから巻くこともあったいね・・」「柏餅は葉っぱが口を開けちゃうんで、栃の葉でくる
っと巻いたんだいね・・ここら辺じゃあ、そうするんだいね・・」          
 「ここら辺じゃあ五月の節句にやる餅作りを、六月の五日にやってたんだい。五月じゃ
あまだ葉っぱが開かないからねえ。月遅れにやってたんさあ・・」          
 「栃の葉は蒸かさないと香りが出ないんだいね。熱が通って香りが出れば大丈夫なんだ
いね・・」月遅れの節句、柏餅の代わりの栃の葉餅。昔からの習慣なのだ。      

 蒸し器の餅が蒸ける間に、トモさんにいろいろな話を聞いた。           
 トモさんは吉田の新志(あたらし)という耕地で生まれて育った。学校を出てから、皆
野町の大淵にあった洋裁店で働いていた。五年間自転車で通い、後に住み込みで十年働い
た。その店には住み込みで二人、通いで二人の人が働いていた。皆野町の矢尾百貨店から
の注文で紳士服を作っていた。モーニングなども作ったことがある。長く働いていたので
見合いの話もあったが、働くのが楽しかったので仕事を続けていた。         

 今は隣に住んでいる幸島さんがトモさんの近くの出身だったため、ここの話はよく聞い
ていた。そんな縁でお見合いをして、久(ひさし)さんと結婚することになった。トモさ
んが二十八歳で、久さんが三十歳の時のことだった。                
 結婚して中津川に来たトモさん。最初は家の中で洋裁などの縫い物をしていた。畑仕事
や山仕事はした事がなかった。そんなトモさんに声をかけたのがおじいさんだった。  
「そんな細っけえ仕事べえしてねえで、山で働いてみちゃあどうだい?」そのひと言が転
機になり、トモさんは山仕事や畑仕事に出るようになった。             

 最初は足の爪が死んだり、高い所から落ちて骨を折ったりもしたが、山仕事は楽しかっ
た。家の中にずっといるよりも、ずいぶん気が晴れるものだった。          
 山仕事は、植樹、下刈り、枝打ちなどをやった。本格的な間伐や搬出は女の人には出来
なかったので、やらなかったが、いつも久さんと一緒に働いて来た。「我慢する事にかけ
ては誰にも負けない・・」とトモさんは言う。                   
 トモさんはもともと料理が大好きだった。皆野で住み込みで働いている時から料理はや
っていたので、ここに来てからも料理するのは苦ではなかった。「嫁に来て大変なことな
んてなかったいねえ、楽しかったよ・・」と笑う。                 
 子供は長男、長女に恵まれ、二人とも元気にやっている。二人ずつ四人の孫がいるが、
「引っ越しばかりしてて、遊びに来ないんだいねえ・・」と寂しそうだ。       

 話しながらお茶請けの煮物をつまむ。筍の煮物、大根の炒め煮、トウブキの煮付け、し
ゃくし菜の浅漬けなどなど、どれもおいしいものばかりだった。           
 トモさんはすぐ近くにある「彩の国ふれあいの森・埼玉県森林科学館」のお手伝いを十
五年ほどやっていた。都会の人が参加する手作り教室などで、午前十時と午後三時の休憩
時に、お茶とお茶請けを出すというものだった。料理上手のトモさんが持参するお茶請け
は、参加者に大好評だった。十五年ものボランティア、苦ではなく楽しかったという。
 じつは四年前、この森林科学館で「木鉢作り教室」に参加した事がある。その時におい
しいお茶請けを出してくれたのがトモさんだった。その時のお茶請けで印象に残っている
のがアカンボウ(マスタケ)の油炒めだった。これは本当に美味しかった。      

 彩の国ふれあいの森にある宿泊施設こまどり荘から名前を取った、周辺の人が作る「こ
まどり会」にトモさんも入っている。こまどり会とは、昔ながらの技術や郷土料理を若い
人や都会の人に教えて伝えようという活動をしている団体だ。先の木鉢作りなどもその活
動の一つだ。手技にすぐれた人が集まっている。                  
 トモさんは郷土料理の担当で、かてご飯や芋ころがし、みそ炒めなどを作ってお祭りに
出したものだった。お祭りは四月と十一月にやっていた。              

二十分ほどで蒸し上がった、栃の葉餅。栃の葉の香りが立つ。 蒸し器の鍋の水が栃の葉のアクで真っ赤になっている。

 外の蒸し器で二十分蒸して、栃の葉餅が出来上がった。蒸し器を持ち上げると下の鍋の
湯が栃の葉のアクで真っ赤になっていた。「食べてみないね・・」トモさんに熱々の栃の
葉餅を渡された。栃の葉を開いていくとプリプリした真っ白い餅が現れた。湯気といっし
ょに栃の葉の香りが立つ。つとっこと同じ香りだ。                 
 餅を口に含むと、やわらかい食感に栃の葉の香りが混然となる。小豆の粒餡が甘すぎず
、小豆の味が残っているのがいい。餡と餅が一体になってじつにおいしい。      
「トモさん、旨いですよこれ・・」「米粉だから、ちょっと手にくっつくんだいね・・」

 梅雨に入るこの時期、お餅を作ってもすぐに傷む。それを栃の葉の抗菌防腐作用を使っ
て防ぐという昔の人の知恵。つとっこを食べた時もそう思ったのだが、昔の人の知恵は深
い。冷蔵庫も冷凍技術もなかった時代、抗菌・防腐作用を栃の葉のアクに発見した人の知
恵は本当にすばらしい。また、そのアクが味になるという合わせ技。すごいものだ。  

蒸し上がった栃の葉餅をザルに上げているトモさん。 草餅の方を食べてみた。もち草の香りと栃の葉の香りがせめぎ合う。

 ふた鍋目が蒸し上がった。今度はトモさんが作っていた草餅の方を食べてみた。餅草の
香りが立ち、栃の葉の香りも加わり、さらに野趣あふれるものになっている。     
 ヨモギの繊維がハッキリと感じられる濃い味で、これが小豆の粒餡と良く合う。栃の葉
の香りを感じるなら白い餅の方が良いが、草餅の方は、もう立派な山の味だ。     
 トモさんと菊恵さんに「食べない、食べない・・」と言われ、四個もぺろりとたいらげ
て、満腹になってしまった。                           

 中津川も他の山里と同様、高齢化が進んでいる。そして住んでいる人の数も減ってきて
いる。栃の葉餅を六月五日に作って食べるという風習もなくなりつつある。昔から続いて
きた風習だから、トモさんも菊恵さんも自然にやっているが、この味もいつか消える日が
くるのかもしれない。                              
 栃の葉餅を冷まして、十個も箱詰めにしてお土産にもらった。お礼を言って帰る途中、
車を停めて中津川の川原に降りてみた。トチノキが大きな葉を広げていた。白いソフトク
リームのような栃の花が、何本も葉の上に立ち上がっていた。