山里の記憶103


ワラ葺き屋根:加藤国作さん



2012. 4. 15



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 四月十五日、秩父市荒川の民宿でワラ葺き屋根葺き替え工事の最後の仕上げが行われて
いた。三月二十八日から始まった葺き替え作業の最終段階だ。屋根の上に小さな人影があ
る。ワラ葺き屋根職人の加藤国作さん(七十八歳)の姿だ。             
 仕上げの刈り込みが淡々と行われている。細い足場の上を巧みに移動しながらきれいに
形を整えてゆく。その動きに何のためらいもぎごちなさもない。よどみなく流れるような
動きが素晴らしい。                               

 午前中でこの作業を終わらせ、午後には次の現場の打ち合わせがあるとのこと。ワラ葺
き屋根職人が少なくなった今、引っ張りだこなのだ。本人は「もう歳だからだめだいなあ
・・」などと言っているが、当分忙しさは続きそうだ。               
 それにしても、ゆったりとしたワラ葺き屋根のフォルムが素晴らしい。設計図があるわ
けではなく、経験と勘だけでこの形が出来る。この道ひと筋の技術というものは本当に素
晴らしいものだ。                                
 国作さんのような職人がいなくなるということは、こういうフォルムが消えてしまうと
いうことだ。日本の原風景が消えてしまうということでもある。           
 国作さんに弟子はいない。「もう、俺で終いだ・・」と言う。           

 作業は三月二十八日から始まった。今日で十九日間かかったことになる。途中何度か雨
に降られて休んだが、それ以外は作業を休むことはなかった。            
 材料の麦ワラは小麦のワラを使っている。今回のワラは熊谷方面で栽培したものを専用
に保管しておいてもらい、それを使っている。昔はどこでも麦を栽培していたので、秩父
は昔から茅葺きではなく、ワラ葺き屋根が多かった。                
 一回で全体を葺き替えるのではなく、悪くなった場所だけを葺き替える。通常、陽当た
りの良い南側は十年くらい持つ。陽当たりの悪い北側はワラの乾きが悪いため、五年か六
年、良くて七年くらいで葺き替えることになる。                  

この屋根の右側半分と側面を新しく麦ワラで葺き替える。 ひと束ずつ揃えた麦ワラを、丁寧に積みかさねてゆく国作さん。

 最初は屋根の下側から古いワラを取り除き、新しいワラに葺き替える。軒先に当たる部
分で、水はけを考えると、ここが一番重要な場所になる。              
 一層積むとワラを縄で固定する。古いワラを上から引き出して枕にし、その上に新しい
ワラを積む。二層目を積み終わると竹で縛ってワラを固定する。その上にトタン板を並べ
て針金で止め、三層目のワラを積む。トタン板は少しでも水切りを良くして屋根を長持ち
させるためのもの。北側の屋根に使うことが多い。                 
 四層から五層にワラを重ね、水切りを良くする。ここをしっかり積まないと屋根の持ち
が悪くなるので、国作さんの手にも力が入る。軒をハサミで切り、コテ(ガギとも言う)
で叩いて形を作る。                               
 下段が出来ると、その上へ上へと葺き替える。竹の足場(歩きとも言う)を五十センチ
くらいの段々に作って、その上で作業する。竹の足場と麦ワラだからとても滑りやすく、
国作さんも気を使う。「足場は竹より杉の方が滑らなくっていいんだけどね・・」竹の足
場など素人には絶対に登ることは出来ない。一度滑ったらそのまま屋根から落ちる。  

 休憩時間にお茶を飲みながら、国作さんにいろいろ話を聞いた。          
 国作さんは十六歳の時から六十年以上、この道ひと筋の屋根職人として働いてきた。吉
田(よしだ)の生まれで、親方も吉田の人だった。昔は麦ワラ屋根の家が多く、歩いて通
う範囲で仕事はたくさんあった。歩いて仕事場に通うのが常で、二里くらいまで歩いて通
っていた。                                   
 「昔の親方は、えれえいばってたんだいなあ・・」朝、昼、晩と頼まれた家から食事も
出され、屋根屋さんと言われ、大事にされたものだった。              
 親方が食事を終えるまでに、自分たちの食事を終わらせ、お茶を出さなければならなか
ったので「親方にはゆっくり飯を食ってもらいたかったいなぁ・・」と昔を懐かしむ。 

 通常七年くらいで独り立ちするものだった。国作さんは独り立ちしてからしばらくして
二十五歳の時に同じ吉田のキヨさん(二十五歳)と結婚した。            
 屋根職人として忙しく働きながら、子供は長男長女の二人に恵まれた。充実した生活だ
ったが、そのキヨさんは二十一年前に亡くなった。                 
 国作さんは「楽しかった事はなかったなあ・・」と振り返る。「よすべえと思ったこと
も幾度もあったんだいね・・」一年やって一日十円にしかならなかった。親方は五十円だ
った。土方仕事が一日で百五十円になる時のことだった。              
 屋根から落ちたことも七回くらいあった。身が軽かったから大事には至らなかったが、
ひとつ間違えば大けがをするところだった。                    
 屋根屋に休みはなかった。正月の三が日も働いていた。雨が降ると休みになるので、昔
は雨が待ち遠しかったものだった。それでも、どうかすると雨の日でも仕事をした。雨の
日にやった仕事は中が濡れるので弱くなったものだった。納期優先で雨の日にも働くこと
になったのだろう。                               
 でも、屋根が出来上がった時の達成感が、ここまで仕事を続けてきた要因だという。印
象に残っている仕事は、目白の女子大敷地内にある縄文時代の竪穴式住居の屋根を葺いた
こと。川越から目白まで通って屋根を葺いた。この屋根は茅葺きだった。もう十年前の仕
事になる。                                   
 難しかった仕事は、二十二番札所の仁王門の茅葺き屋根。三人がかりで四十五日かかっ
た大仕事だった。茅は茨城から買ってきた。茅は麦ワラよりずっと堅く、扱いが大変だっ
た。お寺の仁王門ということもあり、神経を使う仕事だった。            

足場に座ってひと休み。屋根の上は緊張するし腰も痛くなる。 だいぶ葺き上がってきた。ひとりで少しずつ葺き替えるのは大変だ。

 休憩が終わって、その日の作業が再開された。屋根の上で国作さんが足元のワラ束から
サクサクと指でリズミカルにワラをたぐって揃える。手でワラを揃えるのは中に含まれて
いる石やゴミを落とし、悪いワラや濡れたワラを外すためのもの。          
 ワラに付いている細い葉は滑り止めになるのでそのまま使う。これがないと葺いたワラ
が滑り落ちてしまう。                              
 ワラ束を屋根に置き、片手をスッと屋根に刺して縄を通す。六十年以上、続けて来た人
だから出来る技だ。                               
 国作さんの手をじっくりと見たことがある。ゴツゴツした職人の手だった。指先の関節
はみなタコのように固く盛り上がっている。まるで空手をやる人の手のようだ。何万回も
この手で屋根を突き通ししてきたのだ。ワラを叩いて揃える手のひらも皮が厚い。屋根職
人の手というものを初めてじっくりと見た。ものすごく存在感のある手だった。    

 今日は最終日。国作さんが屋根から降りてきた。「ハサミを使い続けるんは疲れらいね
ぇ、休みながらやんねえとね・・」腰も肩も腕もガチガチになるそうな。       
 降りてすぐにハサミを研ぐ。麦ワラの中には泥や石が混じっていて、すぐにハサミが切
れなくなるから、休みの度に研がなければならない。                
 ハサミを見せてもらった。仕上げハサミは刃が上に湾曲している。このハサミ一つであ
の美しいフォルムを作り上げるのだからすごいものだ。               

小手で叩いて軒先の形を整える。下向きの作業は素人ではとても無理だ。 最終日、最後の刈り込みをする。麦ワラ屋根のフォルムが美しい。

 秩父の麦ワラ屋根はほとんどが「越後流」だという。東北の屋根は流派が違うので、東
北の職人とは一緒に仕事が出来ないのだという。習う人や親方によっても手順は違う。 
 難しい屋根を葺く時など、寝ながら「どういうやり方でやったらいいか・・」を考える
ことも多いという。あの人のやり方か、この人のやり方か悩むことも多い。      
 職人として気に入った屋根が出来ることは「一年に一度あるかないかだいねえ・・」と
言う国作さん。常に上を求める屋根職人の言葉だ。                 

 ハサミを研ぎ終わり屋根に戻る。最後の軒先の刈り込みをする。ずっと下向きの作業で
大変そうだ。時々腰を伸ばして動きを止める。切り終わった軒をコテ(ガギ)で叩き込ん
で形を整える。美しい麦ワラ屋根のフォルムが完成に近づく。            
 下で作業を見ていたら、いつの間にか横に民宿のおかみさんが来ていた。「今まで四十
年間くらいこの屋根をいろんな人に葺いてもらったけど、加藤さんほどふっくら仕上げて
くれる人はいないんだいね。最後はどうしても加藤さんにお願いしちゃうんだいね・・」
問わず語りに話してくれた言葉は、国作さんへの最大級の賛辞だった。