山里の記憶102


高菜まんじゅう:扇原ヨシさん



2012. 4. 5



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 四月五日、皆野町三沢の扇原ヨシさん(七十八歳)を訪ねた。ヨシさんの家は細い山道
を登り切ったところの日向耕地にあり、山の上ながら棚田があるような日当たりの良い斜
面に建っていた。ここの棚田は天空の棚田と呼ばれているらしい。          
 遠くはるかに秩父連山を望む見晴らしの良いところで、空が広くて明るい。まるで桃源
郷のような場所だった。                             

 今日は高菜餡の炭酸まんじゅう作りを取材させてもらうことになっていた。高菜とはア
ブラナ科の越年草で、からし菜の変種になる。六十センチくらいになる漬物用の野菜だ。
主に九州地方で作られているが、最近は秩父でも作られるようになってきたようだ。  
 家の裏手に漬物樽が並んでいて、そのうちの五樽が高菜漬けだった。樽から高菜を引き
出すと、意外に大きいので驚いた。「ねえ、大きいでしょ。茎が、レタスみたいなんよ」
と言いながらヨシさんが次々と高菜漬けを引きずり出す。              
 そしてその高菜漬けを洗い場に運ぶ。山から水を引いている洗い場に水を溜め、まるで
洗濯でもするかのように高菜漬けをバシャバシャと洗う。「塩をきつく漬けてあるんで、
こうやって塩を洗うんだいね。三回くらい洗うとちょうどいいやね・・」       

家の裏の洗い場で高菜漬けの塩を洗い落とすヨシさん。 刻んだ高菜を炒め煮にして丸く握り、まんじゅうの餡を作る。

 洗い場の上にまな板を置き、そこで高菜を刻むヨシさん。「一センチ幅くらいに全部刻
むんだいね。いつも十五株くらい一気に刻んで餡を作るんだよ・・」         
 この大きさの高菜を十五株も刻むと聞いて驚いた。「炒めて煮ると小さくなるかんね」
と普通の顔をして言う。どれだけ大量の餡を作るのか心配になるほど、淡々と高菜漬けを
刻むヨシさん。ボールには刻まれた高菜がいっぱいになっていた。          
 少しその状態で食べさせてもらった。少ししょっぱい、からし菜の味だった。    

 刻んだ高菜は大鍋で炒める。炒めるのは少量の油。ヨシさんはキャノーラ油を使ってい
る。そこに顆粒の出汁の素、砂糖、みりん、酒、めんつゆで味付けする。醤油でなくめん
つゆを使うので甘くなる。そして、水気がなくなるまで煮込む。           
 こうして出来上がった高菜の炒め煮はまんじゅうの餡に使うほか、そのままご飯のおか
ずにもなるし、高菜うどんや、高菜チャーハンの具にもなる。ご飯にまぜるだけで、高菜
ご飯にもなる優れものだ。                            
 大鍋で煮込んだあと、餡にするために冷まして味を含ませる。これで餡の素が完成。 
 少し食べさせてもらった。先ほどのからし菜の味は消え、甘辛く美味しい高菜炒めにな
っていた。何よりスジがなく、柔らかいのに驚いた。「これ旨いですね!」「そうかい、
そりゃあ良かった・・」ヨシさんが笑う。                     

 次におまんじゅうの皮を作る。小麦粉は地粉五百グラムと、買ってきた小麦粉五百グラ
ムを合わせて使う。ヨシさん曰く「地粉は山の娘で、買った粉は小町娘だいね・・」  
 これに重曹三十グラムと、ベーキングパウダースプーン山盛りを加えてよく混ぜる。 
 大きなこね鉢の中で細かい目のフルイで二回ふるう。こうすると粒子が細かくなって混
ざりやすくなる。二回ふるうのは初めて見たが、名人は様々な工夫をするものだ。   
 ヨシさんはこねるのに水を使わない。自分で飼っている烏骨鶏の卵を三個、ボールで丁
寧に溶く。そこに砂糖三百グラムを加えてよく混ぜる。さらに牛乳四百CCと酢五十CC
を加えて混ぜて、こね鉢の小麦粉に全部一気に加える。               
 全体を混ぜて堅いようだったら牛乳を加える。水は一切使わない。そして、普通は耳た
ぶくらいの柔らかさにこねるというのだが、ヨシさんの生地はまったく違った。    
「やわやわでないとダメなんだいね・・」と言う。手でつかめないほどの柔らかさ。これ
をどう表現したらいいのか・・・。                        

柔らかくこねた生地を同じ大きさに丸め、皮の元を作る。 ヨシさんの両手が手品のように動き、餡が皮で包まれていく。

 小麦粉で手にくっつかないようにしながら軽くゆするようにこね回す。生地はゆらりゆ
らりと徐々にまとまっていく。「うどんじゃないからねえ、まんじゅうの皮はこうでない
とダメなんだいね・・」魔法のように生地がまとまり、それが千切られて丸められた。 
 指でそっと触ってみたが、何とも柔らかい不思議な触感だった。          
「手にくっつかないようにするんが大変なんだいね・・」と言う。それは確かにそうだ。
 ヨシさんのおまんじゅうは「皮が美味しい」と言われる。餡を入れないで蒸しパンのよ
うに皮だけを食べたいという人もいるそうだ。確かに、ここまでの作り方を見ていると、
この皮が美味しくないはずがない。出来上がりが楽しみになってきた。        

 ヨシさんは、大鍋の高菜炒めを丸く握って餡を作る。思い切りぎゅーっと両手で絞って
丸く餡を作る。「こうやって思い切り絞るから、けっこう高菜を使うんだいね・・」と言
いながら次々と大きな丸い餡が並べられていく。                  
 丸められた生地を注意深く平らにして、そこに餡を乗せ、両手がクルクルと手品のよう
に動いて餡を生地が包む。リズミカルにくり返される作業に見とれている間におまんじゅ
うが出来上がった。あとはこれを蒸すだけだ。                   

 二段の蒸し器が出された。敷いた濡れ布巾の上に間隔を空けて七個のまんじゅうが置か
れ、火に掛けられた。一回目の蒸しは十五分。二回目以降は十分で蒸し上がる。    
 炬燵でお茶を飲みながら話しているうちに一回目のまんじゅうが蒸し上がった。もうも
うとした湯気が立つ。ヨシさんは蒸し器を下ろしてうちわで扇ぐ。「こうすると照りが出
るんだいね・・」と手がせわしなく動き、蒸し器の中からおまんじゅうが出されてザルに
置かれる。「よく萌えてらいね、ちょっと時間が長かったんかさあ、色が茶色っぽくなっ
ちゃったね・・」おまんじゅうは、うっすら茶色の美味しそうな出来上がりだった。  
 さっそく一つ割って食べさせてもらった。大きな高菜餡も一緒に割れるほど柔らかい。
口に含むと、もっちりとした皮と高菜餡の味が口いっぱいに広がる。これは美味しい。柔
らかい高菜がしっとりとして、噛んでいるうちに皮と渾然一体となる。じつに旨い。  
 満面笑顔のヨシさんが「美味しいでしょ」と言う。食べながらうなずく。      

蒸し上がったまんじゅうをうちわで扇ぐ。こうすると照りが出る。 ヨシさんご自慢の高菜まんじゅうが出来上がった。

 美味しいおまんじゅうを食べながらヨシさんにいろいろ昔の話を聞いた。ヨシさんは黒
谷(くろや)の笠山地区で生まれた。秩父市が一望できる山の上だった。       
 昭和三十三年の四月、二十四歳の時に見合いで結婚し、この三沢に来た。相手は省一郎
さん、同じ歳で大きな人だった。                         
 嫁に来てすぐやったのが葉たばこの栽培だった。これは畑の中を通り抜けるだけで頭が
ヤニだらけになってしまうような大変な仕事だった。椎茸栽培も養蚕もやった。体の小さ
かったヨシさんにはどれも重労働だった。                     
 嫁に来るときに「あそこは地所が広いから大変だよ」と言われていたのだが、本当に大
変だった。実家に兵隊から帰ってきた兄がいて、その兄に厳しく使われた経験があったか
らこの家でも務まった。兄が厳しく百姓というものはこういうものだと教えてくれたこと
が自分を生かしてくれたと振り返る。                       

 男二人、女二人の子供に恵まれ、大きな病気もなく過ごしてきたヨシさんだった。四十
一歳の時から秩父国際カントリークラブにキャディとして勤め、六十歳の定年まで勤め上
げた。色々な人と接することが出来て、楽しい生活だった。今ではいい思い出だ。   
 しかし、その後はけして順風満帆だった訳ではない。               
 十六年前、六十二歳の時に省一郎さんが大けがをしてから、その看病に追われることに
なった。柿の木の剪定をしているときに石垣の下に落ちて、その後遺症から下半身不随に
なってしまった省一郎さん。ヨシさんは百キロ以上もある重いご主人を車イスに乗せたり
、病院に通ったりと、看病に明け暮れる毎日となってしまった。           
 十二年四ヶ月という長い看病生活だった。平成二十年六月に省一郎さんは亡くなった。

 しばらく出かけることもしていなかったヨシさんだったが、「ヨッちゃんもそろそろ出
てこいな・・」という友達の声に誘われて、農協婦人部の活動や、皆野町の生活改善活動
などに出かけるようになった。出かけていってみんなに会えるのが楽しい。「扇原さんを
見てるとパワーが湧いてくる」と言われたりするようになった。           
「いい友達がいっぱいいてありがたい事だいね、今が一番幸せかもしんないね・・」と目
を細める。料理の技を若い主婦に教えるのが楽しいと、明るく笑うヨシさんだった。