山里の記憶10


わさび漬け作り:舩木君子さん



2007. 6. 16



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 6月16日(土)小菅村山沢(やまざわ)地区の舩木さん宅を訪ねた。同行してくれ
たのは野村さん、佐々木さん、加藤さん。皆瀬音の森のイベント参加者だ。舩木さんは
瀬音の森小菅拠点の山主さんで、いつもお世話になっている方だ。そして、今日は舩木
さんのご母堂である君子さん(83歳)にわさび漬けを教えてもらう約束だった。わさ
び漬けに使う生ワサビは先週舩木さんが山から採っておいてくれた。本来なら我々が行
かなければならなかったのだが、持ち主以外の人がワサビ田に入るのは、地元の人から
見ると泥棒以外の何者でもないので遠慮した。                  

 奥多摩のワサビは江戸時代には将軍家に献上したと伝えられている。ここ小菅村は奥
多摩の奥に位置し、多摩川の源流に当たる。山梨県の中ではワサビの生産量は一番だ。
水温が低く一定しているのでワサビの生育に適している。小菅村の沢すじには沢山のワ
サビ田が出来ていて、多くのワサビが生産されている。わさび漬けは各家庭で作られる
他、小菅の湯などでお土産品として人気がある。ここのワサビには「だるま」と「まづ
ま」という種類があった。静岡産のワサビより見た目は悪いが粘りがあり、香りが強い
。成長に1年半かかり、旬はなく一年中収穫出来る。               

 ワサビの辛み成分は「からし油」で1882年にコッホが殺菌性があることを発見した。
現在は黄色ブドウ球菌や腸炎ビブリオ、病原性大腸菌O-157などに対する抗菌性がある
ことが確認されている。最近は、血栓を予防する作用が確認されている他、食欲増進作
用やガン細胞の増殖を抑える作用があると言われている。             

 ワサビは根の先よりも元の方が辛くて美味しいので、すり下ろすときは先を持って茎
が付いている方から擦った方が良い。金気を嫌うので鮫皮の下ろし器を使ってすり下ろ
し、刺身や蕎麦の付け合わせにして食べる。醤油には溶かず、乗せて香りを楽しむのが
美味しい。わさび漬けは日常的にワサビを沢山食べることが出来るので、健康にも良い
食べ物といえる。                               

 君子さんは材料をまとめて待っていてくれた。さっそく持参した酒粕を持ち出すと、
「あらっ、練ったのは無かったんかい。そらあ時間がかかるよぉ・・」と叱られてしま
った。さっそくまな板と包丁を借りて、粘る板状の酒粕をみじん切りにしてすり鉢に入
れる。ここからすでに時間が相当かかる事を覚悟した。何と言っても、粘る板状の酒粕
を刻んで酒を加えながら擦ってダマがなくなるまで練るのは大変なことだ。でも、君子
さんに言わせると練られた酒粕よりも、時間はかかるが板状の酒粕を練った方がわさび
漬けの味は良くなるそうだ。すり鉢で練り始めるとあたりに酒粕の甘い香りが漂ってき
た。何だかいい気分になる香りだ。                       

 君子さんは縁側のテーブルでワサビを刻み始めた。端から細かくみじん切りにする。
我々も手伝った。こうしてしばらくの間ワサビの汚れを取る人、刻む人、酒粕を練る人
に分かれて作業を進めた。ひたすら手を動かしながら君子さんにいろいろ話を聞いた。

ワサビを包丁でみじんに刻む。 刻む大きさはあまり大きすぎても小さすぎても良くない。

 この山沢地区には15軒の家があるが、そのうち10軒が昔はワサビを作っていたと
いう。今はだいぶ少なくなってしまったようだ。住民の高齢化とイノシシがワサビ田の
石垣を壊して田んぼを荒らすのが嫌になってやめていったようだ。イノシシの被害は年
々大きくなる。イノシシはワサビを喰う訳ではなく、石垣の中のミミズや沢ガニを狙っ
て石垣を崩していく。高齢者に山奥の石垣修理は大変で、ついそのままになってしまう
という。ワサビだけでは食えないので、徐々にワサビ田を放置する形になっている。 

 ワサビには旬というものが無くいつでも収穫できるのだが、わさび漬け作りはいつも
年末の仕事だったそうだ。毎年12月27日ころに山からワサビを採ってきて大量のわ
さび漬けを作った。冬のワサビは茎が細いけれど辛さが強いのでわさび漬け向きだった
。刻んで塩もみする時などツンとして涙がポロポロこぼれたという。        
「冬なんか、泣きながらやったもんさぁ」君子さんが懐かしそうにつぶやいた。   

 昔は車が無かったので歩いて1時間もかけて山の畑に行った。霜が降りている橋で足
を滑らせて落ちた事もあるという。手が切れるように冷たい水でワサビを洗い、わさび
漬けを作って親戚に配った。自宅用は大きな容器に作って、少しずつ小出しにして食べ
ていた。わさび漬けはあまり長持ちしないので、2〜3ヶ月くらいで食べ終えるように
していたという。今ではヒノキ林になっている山に、君子さんが通った畑があった。 
「昔ははあ、山の畑でお茶やって、麦やって、秋はこんにゃく、冬はわさびで身体が休
む間(ま)がなかったいねえ・・よく働いたもんだよぉ」             

 酒粕がいい感じに滑らかになってきた。お酒をいっぱい加えた方が楽なのだが、そう
するとワサビと合わせた時にワサビからも水が出るので水っぽいわさび漬けになってし
まう。だからなるべく酒を加えずに練る。重労働だが、この出来上がりはわさび漬けの
味を決めるくらい重要なので頑張る。900gの酒粕に大さじ4杯くらいの砂糖を加え
、さらに練り込む。こうすると君子さん好みの味になるのだそうだ。この辺の味付けは
人によって、家によって違う。砂糖を入れない方が美味しいという人もいる。    

ワサビの茎に染みついた汚れを削り取る野村さん。 大きな蕎麦包丁でワサビを刻む佐々木さん。

 生ワサビを刻み終わった。刻み終わった1キロの生ワサビを大きなボールに入れる。
塩を大さじ4杯くらい加えてよく揉む。よく揉むことでアクを出す。そして、ボールに
水を加え、ざっと洗ってザルに取ってアクと水気を切る。この時、ザルにフキンを敷い
ておくと細かいワサビを流さないですむ。ザルで水気を切った刻みワサビを、両手で握
れるくらいの量フキンに包んで絞る。水気を絞りきるくらいに固く絞る。付近にワサビ
の刺激臭が漂い、目にツンとくるが我慢して絞る。これで生ワサビのアクが抜ける。 
 力任せにフキンで絞ったワサビをまたボールに戻し、崩しておく。        

洗ったきざみワサビを思い切り絞っている加藤さん。 出来上がったわさび漬けを詰めるパックを準備している君子さん。

 いよいよアク抜きした刻みワサビと酒粕を混ぜる。これは人間の手でやらなければな
らない。固く絞った刻みワサビをほぐしながら、まんべんなく酒粕をからませ、尚かつ
手早く作業しなければならない。手早くやらないと揮発性の辛み成分が飛んでしまうか
らだ。今回は野村さんがその大役をかって出た。さっそくボールに入れた刻みワサビに
酒粕を混ぜ始めた。やはり固まっている部分が多く手早くやるのは難しそうだ。まあ、
初めての作業なので仕方ない。ここは確実に酒粕をからませようと励ます。     

 君子さんが透明のパックを準備してくれた。このパックで小分けして冷蔵庫で3〜4
日間寝かせると美味しいわさび漬けになるという。混ぜたものを一口食べてみたのだが
君子さんの言うとおりあまり旨くはなかった。口にわずかに苦みが残っている。その苦
みが3〜4日間で無くなってマイルドなわさび漬けに変貌するのだそうだ。     

 ワイワイとパックに出来上がったわさび漬けを詰める。今までわさび漬けといえば、
お土産品の「酒粕ばかりでどこにワサビが入ってるの?」という物しか知らなかったが
、このわさび漬けは緑がいっぱいで美しい。これが本当のわさび漬けだったのだ。ます
ます4日後が楽しみになってきた。                       

 君子さんが昔おじいさんが信州から買ってきたわさび漬けにカラシが混ぜてあって、
あれはとても食えたもんではなかったと言っていた。お土産品の中にはそういう物があ
ってもおかしくない。私自身も本物のわさび漬けを食べていたかどうか怪しい。しかし
、これからは違う。4日後食べるわさび漬けが本物としてインプットされるのだから。
これから自信を持って言えるはずだ。「これは本物だ」と。