山里の記憶1


栃もち作り:大村兵子(たけこ)さん



2007. 3. 4



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 やけに暖かい3月5日の日曜日だった。秩父市大滝栃本の大村さんの家に着いた時は
まるで初夏のような日が射して、杉花粉で遠くの山が霞んでいた。友人の和也さんとご
当主の博夫(ひろを)さんが出迎えてくれ、母屋の横に造られた4畳半くらいのストー
ブ小屋に案内してくれた。薪ストーブの上には羽釜と蒸籠(せいろ)がかけられ盛んに
湯気を上げていた。事前に連絡しておいた為か、どうやら先回りして栃もち用の餅米と
栃の実を蒸していてくれているようだった。                   

大滝の栃本はどこもかしこも斜面で構成されている。 自宅裏の大きなトチノキ。栃の実が5升も採れるそうだ。

 挨拶を交わし小屋へと誘われる。そこには今日の主役の兵子(たけこ)さんが忙しそ
うに動き回っていた。蒸籠(せいろ)の具合を見ながら、臼と杵を引っ張り出して洗っ
ている。博夫(ひろを)さんがゆったりと座り、ストーブに薪をくべているのと対照的
だった。兵子(たけこ)さんも博夫(ひろを)さんも同じ70歳だと聞いた。二人とも
じつに若いし、動きも機敏だ。一般的に栃本の人達は平地の人達と比べて足腰が強い。
急斜面で構成された土地で生活するためには必然的に足腰が強くなければならない。当
然と言えば当然の話だが、環境に順応した結果なのだろう。            

 忙しく動き回る兵子(たけこ)さんに栃もち作りについて話を伺う。兵子(たけこ)
さんは丁寧に質問に答えてくれた。けっして自分から話すのではなく、尋ねられた事に
答えるという具合で、私としては聞きやすかったのだが、肝心の部分は何度か重ねて聞
かないと要点がつかめない事もあって取材の難しさを実感した。それは、私が基本的知
識を持たずに聞いている為で、兵子(たけこ)さんにしてみれば、私がどこまで知って
いて自分はどこまで話せばいいのかなんて考えることは意識していなかったと思う。ま
た、作業しながらの取材ということで、私も考えをきちんと順序立てる余裕が無かった
からだった。                                 

 兵子(たけこ)さんの語る栃もち作り                     
「栃もちは、アク抜きが何ともだいねぇ・・」                  
秩父では「何とも重要だ」の「重要だ」を省略して「何ともだ」と言う。栃もち作りで
アク抜きが重要なことは知っていた。では、その手順とは。            
 カラカラに乾いた栃の実は虫も付かず何年でも持つという。7年ものの栃の実を見せ
てもらった。小さいかけらをかじってみた。その瞬間口の中に広がったのは強烈な苦さ
だった。例えて言えばセンブリを咬んだ時のような強烈な苦さで、あわてて咬んだ実を
吐き出し、水道でうがいを繰り返しても全然消えない苦さだった。こんな強烈な苦さを
どう消すのか。                                

 まずカラカラの栃の実を釜に入れ火にかける。火は徐々に火力を強くするようにしな
ければならない。急に火力を上げると良くない。沸騰したら火から下ろし、静かに冷ま
しながら灰を入れ、火箸でゆっくり攪拌し、新聞紙などをかけて二晩静かに置く。  
 この灰は雑木だけを燃した灰で何度も焼いた灰でなければならない。その灰は細かい
目のフルイでゴミを完全に取り去ったものでなければならない。灰を焼くというのは、
一旦出来た灰を何度もその上で焚き火を重ねるということで、灰の量は少なくなるが重
みが出てくる状態の灰を言う。普通の家庭ではまず作ることは出来ない。      
 この灰は貴重品で、近所から所望され大事にとって置いた灰が無くなってしまうこと
もあるという。日頃から心がけて薪ストーブで火を焚き、灰を作って置くのだ。だから
薪ストーブでビニールを燃やすなどはありえない。                

薪がきちんと整理されている。こちらは焚き付け用の細い薪。 こちらは太い薪。まるでオブジェのように揃っている。

 二晩置いて静かになった栃の実は渋皮も自然に取れるという。そして、この栃の実を
3週間毎日水を替えてアクを抜く。流れ水だとアクの抜け方にムラが出来てしまうので
ダメ。毎日何度か上下を混ぜるのも大事な作業だ。15日間くらいのアク抜きで済ます
人もいるが、これはまだ若く、えぐみが残ると兵子(たけこ)さんは言う。     
「水じゃあなくってお湯を使って早くやる人もいるけど、やっぱりダメだいねぇ・・」
要するに手抜きをすると手抜きした味にしか出来上がらないというのだ。3週間毎日水
を替えると聞いて、これは究極のスローフードなのだと痛感した。そして、そこまでし
なければアクが抜けない栃の実を食べる執念に、昔の人の大変な暮らしを思った。  

 蒸籠(せいろ)の栃の実がいい感じで蒸し上がった。蒸し上がった栃の実は驚くほど
鮮やかなオレンジ色だった。栃もちの色とは全く違うので、兵子さんに聞くと、搗き上
がって落ち着くに従って渋い薄茶色になるのだという。餅米2に対して栃の実1の割合
が一番栃もちらしい味になるという。蒸し上がった蒸籠(せいろ)の餅米と栃の実が臼
に入れられた。高温の蒸気が狭い空間に充満する。和也さんが杵でこねに入る。慣れて
いる動作がじつにスムーズだ。                         

 そして餅つき。これは普通の餅つきと変わらない。オレンジの栃の実がつぶされ、餅
米と混ざるに従って茶色に変わっていく。搗いている途中でちょっと味見をさせてもら
った。最初の搗かれる前の実はまだ苦かった。搗かれて茶色になった餅はほんのり苦か
った。このほんのりした苦さがトチ餅の味だ。アクを抜きすぎるとこの味が無くなって
しまうのだそうだ。兵子(たけこ)さんのいう「アク抜きが何ともだいねぇ・・」とい
う言葉のアク抜きとは絶妙の加減でアクを残すことも含めている。何と奥深い言葉なの
だろうか。搗き上がりのアツアツを頬張らせてもらう。そのモチモチした食感と爽やか
なほろ苦さに「旨い!」と思わず叫んでしまった。                

薪ストーブにセイロを載せて栃と餅米を蒸かす。 搗き終わった栃もち。鮮やかなオレンジ色。

 搗き上がった栃もちは臼ごとストーブ小屋に運ばれ、兵子(たけこ)さんの手でちぎ
られ、こし餡をくるりと包み、丸くされる。うどん台の上に白くふるわれた片栗粉の上
に置かれた餅は無骨な博夫(ひろを)さんの両手でやさしく片栗粉をまぶされ、平丸に
形を整えられ並べられていく。                         
 出来上がりをさっそく食べさせてもらった。歯切れの良い皮はもっちりとしてほろ苦
く、こし餡はやさしい歯触りでスッキリと甘く、口中に絶妙のハーモニーを響かせてく
れる。作り立ての栃もちの何と旨いこと。まだ温かい丸餅をつまんでいる指までもが味
わっているかのよう。これはくせになる味だ。昔の人が大変な思いをして、工夫を重ね
て食べられるようになった栃もち。この味は救荒食の域をはるかに超えている。   

 栃もちを食べ、お茶を飲みながらいろいろな話を聞かせてもらった。家の裏に立派な
栃の木があり、五升もの栃の実が採れたそうだ。しかし、このごろは野生の鹿が栃の実
を食べるようになった為に、山で採れる量が急減しているそうだ。         
「何たって、奴らは夜の間に喰っちまうもんだから、朝早く行ったって残っちゃあいな
いんだよなぁ、困ったもんだよぉ・・」                     
 と近所のおじさんが言っていた。猪と猿はまだ食べている形跡は無いようだ。鹿も食
糧不足で何でも食べなければ生きていけないのだろう。それにしてもあの苦い実を生で
食べるのだから、鹿も相当な覚悟で食べているのだと思う。            

 秋に生の栃の実を拾ってきて行う処理について聞いた。             
 大きな実から飛び出した栗のような堅果を丸い石の上に置き、木槌で叩き割る。力加
減が微妙で難しいらしい。その実を新聞紙やムシロの上に並べ二ヶ月間くらいカラカラ
になるまで干す。ちょうど正月くらいまで干すらしい。完全に干し上がったものは虫も
湧かず、何年でも持つとのこと。保存はお茶箱などが良いらしいが、この頃はブリキの
菓子缶などで保存することが多いようだ。そしてラベルに採取年度を書いておく。  

忙しく動き回り、全部終わってやっと笑顔が出た兵子(たけこ)さん。 博夫(ひろを)さんがのしもちを作っているところ。

 栃本では正月にはほとんどの家で栃もちを搗くそうだが、昔ながら手順で臼で搗く家
は4〜5軒になってしまったらしい。電動の餅つき器を使う人や、買ってきて済ます人
も多いらしい。                                
「ちゃんと杵で搗いた餅が旨いんだいねぇ・・」                 
 これも時代の変化なのだろうが、栃もちには代々その家に伝わる製法やコツがあるの
に、それが無くなってしまうのが残念だと、博夫(ひろを)さんがつぶやくように言っ
ていた。