お伊勢参り2


二日目、豊受大神宮(外宮)から参拝した。



朝5時に起きて温泉に浸かる。朝焼けの空が明るく、波も小さい。いい天気になりそう
だ。今日だけは晴れて欲しいものだ。一生に一度のお伊勢参りになるかも知れないのだ
から。晴れ男を自認している身としては何としても晴れて欲しいところだ。朝食を食べ
てチェックアウトし、駅までホテルの車で送ってもらう。参宮線に乗って二つ目の駅が
伊勢市駅。コインロッカーに荷物を入れ、外宮の参道へと向かう。         

ホテルの露天風呂から見た朝の空。雨は大丈夫だ。 伊勢市駅前から始まる外宮の参道。まだ人影もまばら。

豊受大神宮(外宮)の参道はまだ商店街が開く前だったので、人影もまばらで閑散とし
ていた。菊一文字本店もまだシャッターが下りていた。火除橋(ひよけばし)を渡ると
外宮の入り口に当たる鳥居が見えてくる。深い森にもぐり込むトンネルの様な入り口が
印象的だ。橋を渡るところから左側通行で進むようになっている。玉砂利を踏みしめて
鳥居をくぐる。暗い森が包み込むように覆い被さってくる。千年以上の時を抱えた深い
森の中に様々な神様が祀られている。朝早いこともあり、参拝客は数えるほどしかおら
ず、ゆっくりと森を見ることが出来た。巨大な楠や巨大な杉が次々に現れて目を楽しま
せてくれる。玉砂利を踏みしめるジャリ、ジャリという音が心地よく響く。     

火除橋(ひよけばし)からは左側通行で歩く。 森の入り口にある鳥居。トンネルの入り口のようだ。

枯葉すら落ちていない玉砂利の広い参道は、神域として清浄感に満ちている。こういう
襟を正したくなるような神域の感じを好ましく思うのは、日本人としての深層心理に共
通しているものなのではないかと思う。教育や暮らしのなかで様々な形で繰り返しすり
込まれるものなのだろう。個人がそう感じる分には良いのだが、集団で全員が右へなら
えした状態になると戦前の日本のようになる。神道の持つ宗教観が愛国心と結びついた
とき、一神教の怖さがチラリと顔を覗かせる。                  

神楽殿だけが明るい光に包まれていた。 広く人影のない参道。玉砂利を踏む音だけが響く。

神楽殿を右に過ぎて正宮へ向かう。参拝は社殿の外で行う。神宮の衛士がグレーの制服
で見つめている。社殿の中の撮影は出来ない。帽子を脱ぎ、二礼二拍手一拝の参拝を済
ませる。隣の広い敷地が式年遷宮の場所になる。20年に一度、まったく同じ社殿を隣
に作り直す式年遷宮。次の遷宮は平成25年に62回目が行われる。膨大な浪費とも思
えるが、忠実に繰り返すことで残せる何ものかがあるのだと思う。皇室の元ともなった
伊勢神宮だし、関わる全ての人が嬉々として参加するお祭りなのだから、浪費などと口
が裂けても言えない。勝ち組の神様はやることも大きい。             

荘厳な正宮を参拝。衛士が見つめている。 瑞垣には柱毎にサカキが付けられている。


式年遷宮の敷地。 風宮(かぜのみや)を参拝。


土宮(つちのみや)を参拝。 多賀宮(たがのみや)を参拝。


多賀宮(たがのみや)背後の鬱蒼とした照葉樹林。 神楽殿でお守りを買う。

別宮の風宮、土宮、多賀宮を参拝し、神楽殿で交通安全のお守りを買い、ゆっくりと森
を散策する。素晴らしいクスノキやケヤキ、スギが次々と覆い被さってくる。大木は神
様の寄りしろと言われているが、これだけ大木があったら神様もどの木を使って下りよ
うか迷うに違いない。豊かな森に囲まれた豊かな神域。そこに集う125柱の神様達。
観光客として参拝した人間にも少しは御利益を分けて頂けるかもしれない。     

そこかしこに巨大なクスノキが立っている。 これは巨大なスギ。こんなスギも沢山ある。


神域の出口で記念写真。 勾玉池(まがたまいけ)の菖蒲がきれいに咲いていた。

神域を出て、入り口横の勾玉池でひと休み。花菖蒲が見事に咲いて目を楽しませてくれ
た。しばらく休んでから、池の周囲を散策する。休憩所のおばさん達がけたたましかっ
た。おばさんはどこでもそうだが、特に関西弁のおばさん達はけたたましく感じる。池
の周囲ではなぜか鶏が放し飼いになっていて、近寄っても逃げないため、格好の被写体
になっていた。のんびり時間を過ごし、ひと休みしてからタクシーで内宮参拝へと向か
った。                                    


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