飛鳥の記憶を歩く・奈良の旅二日目


大和は国のまほろば・・その原点でもある飛鳥を歩く旅。



 奈良二日目は飛鳥の里を歩く旅。駐車場でナビをセットして、ホテルを出て飛鳥に向か
う。まずは一番行って見たかった場所、甘樫丘(あまかしのおか)に向かう。約十分で甘
樫丘の駐車場に到着。観光客らしき人は誰もいない。甘樫丘入口のビジターセンターらし
き建物を抜けて公園に入る。                           
 公園になっている丘を登る。整備された歩道は散策路として利用されているらしく、散
歩やランニングしている人もいた。クヌギ林や馬酔木の木々の間を緩やかに道が登る。多
くの遺跡を内蔵した丘は佇まいそのものが歴史にまみれている。古代から多くの人が行き
交った丘だ。                                  

甘樫丘を登る。公園になっている丘は様々な人が行き交っている。 快適な道を登る。クヌギや馬酔木の木々が丘を覆っている。


展望台からの景色。大和盆地が一望できる。 右下に見えるのが飛鳥。ここに時代を作った都があった。

 展望台からは左に畝傍山(うねびやま)、正面に耳成山(みみなしやま)、右に天香山
(あまのかぐやま)の大和三山が見え、右の眼下に飛鳥の里が広がっている。のどかな田
園風景だが、この一キロ四方ほどの狭い平地が激動の飛鳥時代の舞台だった。実際に見る
と、その都の規模がいかに小さかったかがよくわかる。今で言えば東京や京都に匹敵する
都会だった場所。展望台には飛鳥板蓋宮跡や飛鳥寺、川原寺などの配置図があったが、こ
の狭い場所にこれだけの施設があったことが想像できない。今はただ普通の田園風景が広
がっているだけだ。丘を下って、これからその里を歩く。              

畝傍山が見える。あの麓が橿原でホテルのある場所だ。 正面に耳成山、右に天香山が見える。距離は近い。


展望台のテーブルに飛鳥時代の都跡が表示されていた。 山裾に立ち上がる一筋の煙。飛鳥の里らしさが感じられて。

 駐車料金が無料なので万葉文化館に車を置き、歩いて飛鳥寺へと向かう。のどかに広が
る田んぼにはレンゲの花が満開に咲いている。しばらく歩くと飛鳥寺が見えて来た。こう
して田園風景の中を歩くのが飛鳥らしくていい。レンタサイクルで回っている観光客も多
い。                                      

畑にレンゲの花が満開だった。のどかな飛鳥の風景。 歩く道の先に飛鳥寺の大きな屋根が見えて来た。

 飛鳥寺は蘇我馬子(そがのうまこ)の発願で作られた日本で最初の本格的仏教寺院だ。
飛鳥寺には丈六の大仏、銅製の釈迦如来坐像がある。鞍作鳥(くらつくりのとり)の作と
伝えられる撮影可の珍しい仏像だ。顔以外は後世の修正だが、伸びやかな作風がいかにも
飛鳥時代のものらしい。また、聖徳太子立像や阿弥陀如来坐像があり信仰の成り立ちがう
かがわれる。聖徳太子像は若く凛々しいお姿で、むしろ山背大兄皇子(やましろのおおえ
のみこ・聖徳太子の息子)の姿を彷彿とさせるものだった。阿弥陀如来坐像の横にはハン
グルのお経の掛け軸があったが、どのような由来があるのか興味深い。百済の工人が作っ
た日本最初のお寺としての関連なのか。                      

飛鳥寺の入り口。 飛鳥大仏の大きな銅像。写真撮影可の珍しいお寺。


顔の右半分は創建当時のまま。他はのちに修復している。 堂内の様子。


聖徳太子立像。何か妖艶な凄みの印象を受けた。 阿弥陀如来坐像。左の掛け軸が全文ハングル表記だった。

 この寺では蹴鞠が伝統的に行われているとのこと。ある本ではこの鞠がある人物の首に
なぞらえているのではないかと書いてあった。確かに首に例えられるような大きさの革製
の蹴鞠だった。                                 

蹴鞠に疲れる鞠。革製で思ったよりも大きい。 簡素な境内だが、元々は五重塔などがある大伽藍だった。

 近くに蘇我入鹿(そがのいるか)の首塚がある。甘樫丘と飛鳥寺に挟まれた場所で首塚
に手を合わせていると、不思議な感覚になる。ここが乙巳の変(いっしのへん)の舞台で
、入鹿殺害後、飛鳥寺の中大兄皇子(なかのおおえのみこ)と甘樫丘の蘇我蝦夷(そがの
えみし・入鹿の父親)が対峙していた風雲急を告げる場所だった。いわばクーデターの現
場だ。なぜか蝦夷は屋敷に火を放ち自害するのだが、戦っていたら日本の歴史は変わって
いたかもしれない。歴史に「もし」はないのだが、「なぜ」戦わなかったのか・・という
思いは残る。古今東西、勝った側の記録しか歴史には残らない。           
 のどかな景色の中に古代の激動を思うのも飛鳥の楽しみ方の一つだ。        

入鹿の首塚への道。奥に見えるのが甘樫丘。 入鹿の首塚。奥の甘樫丘の左上に蝦夷の宮殿があった。


首塚から飛鳥寺を見る。 甘樫丘に向けて広がる畑。のどかな景色だが、乙巳の変の舞台。


芝桜と飛鳥寺。 歴史ある集落は建物も歴史を感じる。狭い路地がいい。

 すぐ近くの飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)に行く。長い階段を登った丘の上の
神社は荘厳な佇まいだった。訪れる人も少なく、静寂の空間は背がしゃんと伸びる空気感
に包まれていた。誰もいない奥宮は、明らかに「何かがいる」気配がしていた。どんない
われのある神社なのだろうか。                          

丘に登る階段と鳥居が神社の入り口だ。 丘の上、鬱蒼とした森の中に荘厳な社殿があった。


歴史のある神社らしく、厳かな雰囲気。 神社の裏手に見たことがない竹があった。葉のつき方がおかしい。


陰陽の夫婦石があった。家内円満の象徴。 奥宮の雰囲気がすごかった。何かがいる気配が濃厚で怖いよう。

 周辺の家々が素晴らしかった。重厚な屋根には七福神の屋根瓦が付けられていたり、歴
史の厚さが家の作りにも現れている。横の田んぼはレンゲの花畑で、民家との取り合わせ
が美しい。道路工事の警備をしている人が「この辺の人は金持ちじゃないんだよ、昔から
の人なんだよね」と自慢していた。千四百年もの歴史を「昔からの」と表現する。関東で
は考えられない歴史の厚さだ。                          

レンゲの花と民家の取り合わせが素晴らしい景観。 こののどかな風景に壮絶な歴史が隠れている飛鳥。

 万葉文化館の駐車場に戻り、聖徳太子の生誕地と言われている橘寺(たちばなでら)に
行く。橘寺は境内の花も綺麗だったが、往生院の花の天井画が素晴らしかった。その数二
百四十枚とのこと。天井が花に溢れていた。境内は修学旅行か課外学習か大勢の中学生が
群れていて賑やかだった。一つの石に善と悪の二面の顔が彫られた二面石があり、飛鳥時
代のものと言われている。現在の伽藍は江戸時代に再建されたもの。聖徳太子が乗ったと
いう馬の銅像があるが、サラブレッドのようにスラリとした像だった。        

桜の花びらが散る橘寺に到着。大勢の観光客がいた。 本堂に参拝する。重厚な建物が迎えてくれた。


善と悪の二面を彫ったと言われる二面石。飛鳥時代のもの。 桜の花がきれいだった。お寺と桜はよく似合う。


八重桜の種類が豊富だった。その一つがこれ。旨そう。 橘寺のシンボル、橘の実が成っていた。


往生院から庭を眺める。緑がきれいだ。 聖徳太子が乗っていたという馬の像。すらりとしている。

 道を少し戻って石舞台古墳へ行く。ここは石室の内部を見たかったので楽しみだった。
古墳を見下ろす丘から望むと、古墳の規模と形がよくわかる。ピラミッドのように方形で
立ち上がる立派な古墳だ。上部が方形だったのか円形だったのかは削られてしまったので
わからない。蘇我馬子(そがのうまこ)の墓ではないかと言われている。       
 二千三百トンもの巨大な花崗岩をどう削ったのか、どう運んだのか、どう組み立てたの
か・・・謎ばかりだが、その巨大さと精緻さと労力に圧倒された。古代の人々がわらわら
と出てくるようだった。石室は思ったよりも広く大きく、排水路も作られた完璧なものだ
った。古代の人々の技術と労力が結集している。                  

少し離れた丘から石舞台古墳を眺める。全体像がよくわかった。 古墳の製作図。実際にはどうだったのだろうか。謎は多い。


石棺のレプリカ。ここに蘇我馬子が眠っていたのか。 石室の入り口。古代のお墓が口を開けている。


内部は思ったよりもずっと広かった。 天井も高い。隙間から光が入る。


中から入り口を眺める。しっかり排水溝が作られている。 カミさんを写すと大きさがよくわかる。本当に広い室内。


じっくり内部を見てゆっくりと外に出た。 上に出ている部分がよく写真で見る石舞台古墳だ。


せっかくだから記念写真を撮る。 この大きな石をどうやって加工したのか、不思議だ。


古墳周辺の野原。この場所にお墓を建てた意味は?? 道の途中にあった雷(いかづち)の丘。思ったよりも小さい。

 車で橿原市内に戻り、橿原神宮に参拝する。明治に作られた新しい神宮は、綺麗で広大
で静かだった。ここは他の神社のように何かを感じるという空気感が薄い。まだ新しい神
社だからだろうか。ただただ広い境内を歩き。一周して鳥居の場所に戻った。強い風に楠
の葉がバラバラと散り、葉の雨のようだった。常緑樹の葉がこれほど散るのを見たのは初
めてだった。大鳥居は新築されたばかりで、警備の人の話では二百年生のカナダ産の杉(
カナディアンシーダー)が使われているとのこと。これだけ太いヒノキは国内にはないら
しい。参拝後に食べた焼きそばが旨かった。                    

立派な鳥居はカナダ杉で作ってあるとのこと。 立派な手水舎。


立派な総門を入る。人が少ない。 拝殿に参拝する。

 少し車を走らせて聖林寺(しょうりんじ)に向かう。ここには国宝の十一面観音像があ
る。雨が降り出した山里に山城のように聖林寺は建っていた。            
 大悲殿の十一面観音像もよかったが、その前室にあった阿弥陀如来坐像が素晴らしかっ
た。柔和な姿と顔をいつまでも見ていたいと思わせる素晴らしい仏像だった。こういう仏
像があるから奈良はいい。やはり仏像は博物館ではなく、お寺で両手を合わせながら観る
のが本来の姿だと感じた。本日最後に素晴らしい仏像に会えて感謝。夢に出て欲しい。 

たどり着いた聖林寺。立派な石垣に囲まれていた。 まるで山城のような石垣。素晴らしい歴史の遺産だ。


立派な門を入る。 上から見下ろした景色。里が眼前に広がる。


雨が降り出した。屋根瓦が美しい。 外の緑がしっとりときれいだ。


大悲殿への階段。 大悲殿は解放厳禁。観音像を光に当てないために締め切る。


雨に濡れた天平の甍。 立て看板の横でパチリ。



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