面影画86


9月20日の面影画は金 美子さん




描いた人 金 良隆さん 七十一歳 夫                         

 良隆さんは建築士だった。平成元年に一級建築士の免許を取った。家庭の事情で中学しか出て
いない良隆さんは本当に努力の人だった。下に妹が三人いて、その妹達を学校に出す為に自分は
身を粉にして働いた。                                 

 美子さんは二十二歳の時に二十六歳だった良隆さんと結婚した。通っていた裁縫教室で会って
いた良隆さんのお母さんから求められてのものだった。そこで何回か良隆さんを見ていたので結
婚までの道のりもスムーズだった。                           
 結婚するまでは良隆さんは東京で建築業をやっていた。部下を四〜五人使って仕事をしていた
のだが、結婚を期に高田に帰った。昭和四十二年のことだった。              

 しかし、気持ちが合うと思っていた姑さんと美子さんが不仲となり、四十三年には家を出るよ
うに北海道に仕事に行った。美子さんの出産を機にまた高田に戻った。横田の実家に実を寄せて
いた美子さん。子供が生まれてどうするかという話になった。迎えに来た良隆さんに実家の父が
言った「北海道に二人を一緒に連れて行くならやる。ひとりで北海道に行く気なら娘はやらん」
その言葉は重かった。                                 

 良隆さんは四十四年から北海道の江別で働いた。美子さんも一緒だった。江別での暮らしは貧
しかったけれど楽しかった。十二年いたこの期間が美子さんは一番楽しかったと振り返る。ここ
で二人目の子供が生まれた。                              
 長男が中学校に上がる時期が来た。良隆さんはここで高田に帰る事を決断する。美子さんの友
達が「行かないでくれ!」と言ってくれたのが嬉しかったという。             

 高田に戻った二人は実家に入らず、鳴石に小さな家を求め、暮らし始めた。美子さんはスーパ
ーで働いた。山が好きだった良隆さん。栗駒には年に二回くらい出かけた。ピークハントではな
く、ゆっくりと歩く山歩きが好きだった。足の弱い美子さんに合わせてくれたのかもしれない。
山に行くとかならず温泉によって帰ってきた。温泉巡りも楽しかった。           
 道の駅巡りも好きだった。カーナビで探して行くのだが、たまに見つからないで帰ってくるよ
うなこともあった。美子さんが持参してくれた写真には、あちこち出かけた二人の姿がいっぱい
写っていた。                                     

 三月十一日、良隆さんは鳴石の家にいた。大きな地震で「パソコンがテーブルから落ちた」と
言いながら二階から下りて来た。市内に住んでいる母親が心配だから見に行くと言う。    
 一緒に住んでいたおじいさんが二年前に亡くなって、おばあさんは一人で住んでいた。   
 出かける直前、小さいドライヤーで髪を乾かしていた美子さんに「これ使え」と大きなドライ
ヤーを出してきてくれた。いつもそんな事しないのに。                  
「ずいぶんやさしいね」「風邪引かれたら困るからな・・」そして、家を出て市内に向かった。

 市内の家では良隆さんの妹がヘルパーとしておばあさんを介護していた。三人が家にいた姿を
従兄弟が見ていた。しかし、その直後に高田の町は巨大な津波に呑み込まれてしまった。   
 家は何もかも流されてしまった。                           

 美子さんは長男と手分けして何日も何日も遺体安置所を回った。遠く釜石や気仙沼にも回った
。しかし、ようとして良隆さんの安否は分からなかった。                 
 四月八日に新しく上がった遺体が安置所にあった。その中に良隆さんがいた。発見場所は酔仙
酒造の近くだった。                                  
 「こんな近くにいたんだね・・」顔には傷もなくすぐに良隆さんと分かった。所持品を照合し
て、警察にも確認してもらい、十日には火葬にすることができた。             

 絵のリクエストは背広姿できちんとした良隆さんを、というもの。この先を生きる糧にしたい
と言う。                                       
 この絵が美子さんの喪失感を埋める事は出来ないが、次への一歩に背中を押してくれるように
なれば嬉しい。                                    

 美子さんにおくる、努力家で働き者だったご主人の記録。                
 良隆さんのご冥福をお祈りいたします。                        



 9月20日の面影画は金 美子さん。                         

 津波で亡くなられたご主人を描かせていただいた。                   

 建築士だったご主人。苦労して勉強した人だった。中学しか出ていなかったのだが、一級建築
士の資格を取るほどの勉強家だった。山が好きで、写真が好きで、温泉が好きだった。    

 写真好きなご主人、写真はたくさんあった。絵のリクエストは背広姿できりっとした姿を、と
いうもの。美子さんのまぶたに残るご主人を丁寧に描かせていただいた。          

 名前から韓国系の人かと思ったら、生粋の日本人だそうで、「よく間違えられるんです」と笑
っていた。息子さんの事を話し出すと止まらない、話し好きな人だった。          

 この絵でご主人を明るく思い出してもらえれば嬉しい。                 

最後の依頼者となった美子さん。絵はそっくりだと喜んでくれた。 夕参りの帰りにひよとさやに会った。家に招かれ仏壇に手を合わせた。