面影画81


9月15日の面影画は菊池美喜子さん




描いた人 菊池勝男さん 六十八歳 夫                         
     渡辺美香さん 二十五歳 娘                         

 勝男さんと美喜子さんは同じ歳で、二十六歳の時に結婚した。昭和四十六年十一月のことだっ
た。長女と次女の二人の娘に恵まれた。                         
 勝男さんは板金の工場をやっていた。家と工場は森の前にあった。職人らしく、頑固で言い出
したらきかない人だった。美喜子さんは「石部金吉だった」と言う。            

 ほがらかで、どこにいても大きな声で笑う人だった。実直でウソのない人でもあった。最近は
なんだか急にやさしくなって不思議な気がしていた。                   
 毎年、三峰山に登っていたのだが、昨年は初めて手を引いてくれた。今までそんな事はまった
くなかったので、美喜子さんも驚いた。                         
 体調がすぐれない美喜子さんに代わって、おばあちゃんの看護をしてくれた。「百歳まで生き
るんだよ・・」と頭をなでていた姿が忘れられない。                   

 いつだったか、ふと、いくつまで生きるかという話になった事があった。美喜子さんは「八十
四歳くらいかな・・」と言って勝男さんを見た。勝男さんは答えない。無理やり聞いたら「じゃ
あ、七十かなあ・・」と答えた。                            
 四十一歳でタバコを止めて、健康にも注意していた。このごろは年に一度の兄弟会の幹事をや
ったりして、みんなに不思議がられていた。まるで今回の事を予見していたかのようだ。   

 苦しい思いも、悔しい思いもしたけれど、愚痴はいっさい言わず、頑固一徹で通してきた。 
 落ち着いたら、これからは二人で旅行に行きたいねと話していた。            

 勝男さんは消防団に入っていた。コスモス会という会を作って仲間とよく遊びに行っていた。
その消防団の仲間が今回の震災で大勢亡くなった。                    
 三月十一日、美喜子さんは北海道にいた。娘の出産に立ち会う為だった。娘の出産が遅れ、震
災のニュースで高田が大変な事になったことを知る。                   

 家と工場は少し離れていた。近くの人が「菊池さん!早く逃げっすべ!」と言ったが、勝男さ
んは工場から自転車で家に帰った。最後に見た人の話では、高田一中の方ではなく、駅の方を見
ていたという。                                    
 美喜子さんは言う「腹が立つんですよ。自分が消防団の部長もした経緯があったのに、なぜ一
中まで逃げなかったのか・・」後から逃げればいいやと、家に残った足の達者な若い人が津波に
巻き込まれ、多く亡くなった。                             

 美喜子さんが北海道から高田に戻るのも大変だった。知り合いみんなでガソリンを出し合い、
一週間に一回交代で探しに来た。                            
 勝男さんは三月十九日に発見された。火葬は四月十五日だった。火葬には北海道から娘もやっ
てきた。家のあった森の前地区では、百十五人も犠牲者が出た。              

 家も工場も車四台も、何もかも流されてしまった。この三月は娘の出産準備や工場の確定申告
など忙しくて、勝男さんとゆっくり話す時間がなかったとを美喜子さんは悔やむ。「お父さんと
ゆっくり話が出来なかったんです、それが今となっては・・・」もっといろいろ話したかった。

 十四年前、二十五歳という若さで亡くなった娘と、勝男さんを一緒に描いて欲しいと面影画に
申し込んだ美喜子さん。「まったく頑固な人だったのに、満面で笑っている写真なんですよ。何
だか腹がたちますよね・・一人で死んでしまって・・」と同意を求めるが、その写真も元に絵を
描いて欲しいという。                                 

 苦しい思いも悔しい思いも共有してきた二人。美喜子さんのそんな思いを筆に込めさせていた
だいた。この絵が少しでも美喜子さんの気持ちを明るくしてくれれば嬉しい。        

 美喜子さんにおくる、共に生きた頑固なご主人の記録。                 
 勝男さんのご冥福をお祈りいたします。                        



 9月15日の面影画は菊池美喜子さん。                        

 津波で亡くなられたご主人と、十四年前に二十五歳で亡くなられた娘さんを描かせていただい
た。                                         
 美喜子さんは震災の時、北海道にいた。娘さんの出産立ち会いの為だった。津波でご主人を亡
くし、家も工場も車もすべて流されてしまった。                     

 北海道から戻ると、被災の現実が重くのしかかってきた。                

 職人で頑固一徹なご主人だった。持参した写真は満面の笑みで写っている。「まったく、普段
はこんな顔しないのに、こんな写真が残ってるんだからね。不思議ですよね・・」      

 その写真の横に美人の娘さんを並べて描かせていただいた。               

 失ったものが大きすぎる。この絵が少しでも美喜子さんの痛みを和らげてくれれば嬉しい。 

つらい思いもくやしい思いも共に味わってきたご主人の絵を持って。 姫リンゴの実が赤くなってきた。